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2017年 04月 03日

宇治  平等院 鳳凰堂

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                「平等院 鳳凰堂」

10世紀以来、摂政・関白 藤原道長の跡を継いで、子頼通が1052(永承七)年、宇治の別荘を寺としたのが平等院です。

その阿弥陀堂である鳳凰堂は、翌1053(天喜元)年に落成しました。その中堂と二階建ての翼楼とは、鳳凰が翼を広げた姿をかたどったものと言われています。また、極楽浄土の宮殿をモデルにしたとも。

鳳凰堂は、東向きに建てられています。午前中は明るいのですが、午後はこのように逆光になります。(失笑)? (*_*)/

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     「鳳凰堂中堂」

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     鳳凰堂中堂の裏側から屋根の上の鳳凰を見る


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      正面から見た右の翼楼

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裏側から見た翼楼と反り橋


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鳳凰堂中堂の堂内には、平安時代を代表する仏師定朝作の「本尊阿弥陀如来座像」をはじめ、雲中供養菩薩52躯、9通りの来迎「九品来迎」を表わした壁扉画など、平安浄土美術の頂点が集約されています(国風文化)。                    
                                      
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本尊 阿弥陀如来座像 と その二重天蓋の素晴らしさ! そして頭部                                              
「阿弥陀如来座像」の周囲の壁の「雲中供養菩薩」が、雲中で雲に乗り、さまざまな楽器を奏で舞うすがた。供物を持ったり、合掌したりする様など、伸び伸びと繊細に彫り上げています。                             


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       「阿弥陀如来座像」と「雲中供養菩薩」52躯


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平等院の庭園は、浄土式の借景庭園で鳳凰堂主返の州浜や平橋・反り橋などが整えられています。

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平等院鳳凰堂のフォト撮影は、午前中がよいと思います。経験から学びました。                
                         (~_^)//。





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# by francesco1hen | 2017-04-03 16:11 | Comments(0)
2017年 04月 02日

京都宇治 黄檗山万福寺

黄檗山万福寺の「総門」(内側から)

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    「総門」を入ると・・・・・


禅宗の臨済宗は、天台の僧栄西(1141-1215)によって、曹洞宗は、栄西の弟子に学んだ道元(1200-53)によって開かれました(鎌倉仏教)。ともに修行の場は、都会と山中に分れていましたが、宗教的にも文化的にも大きな影響を与えてきました(禅宗文化)。

江戸時代1652年、中国の福建省から渡来した明僧隠元が禅宗の一派である黄檗宗を伝えました。宇治の万福寺は、1661年に開創された寺院で黄檗宗の大本山です。
長崎の崇福寺も、禅寺として中国の様式で造られています。

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    「三門」の豪壮なすがたに驚きます

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      「放生池」から見た「三門」


万福寺の伽藍配置は、中国の明朝様式を取り入れ、百済式と同じように主要建造物が直線上に配置されています。伽藍建築群は、二十三棟、回廊、額、聯などが国の重要文化財に指定されています。

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「天王殿」は、玄関のようなものとされています。立派な「額」が掲げられています。天王殿には、七福神の布袋尊が巨大な体躯で人々を迎えます。
布袋尊は、弥勒菩薩の化身であると言われています。

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                       *


「大雄宝殿」(だいおうほうでん)は、万福寺の本堂であり、最大の伽藍。日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物です。

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    「大雄宝殿」の正面から「天王殿」の裏側を見る


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   大雄宝殿の「額」万徳尊


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本尊は、「釈迦牟尼佛」。両脇侍は、「迦葉と阿難」の二尊者。
両単には、「十八羅漢像」が並んでいます。


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   「法堂」僧たちの修行の場。  
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    法堂の「勾欄」(こうらん)と「巡照板」(じゅんしょうばん)

黄檗山の一日は、朝の巡照板によって始まります。夜の巡照板によって終わります。
ここで修行する雲水(修行僧)が精進を誓い、自覚を促すために巡照板を打ち鳴らし
て各寮舎を廻ります。

法堂正面の勾欄は、卍 および、卍崩しの文様になっています。


「巡照板」は、禅堂、西方丈など五箇所に設けられています。
開創以来の三百年余年、朝四時と夜の九時に木槌で三打して朗々と唱え、起床と開枕(消燈)を告げ、順次打ち鳴らします。その時となえるのはつぎの言葉です。


      謹白大衆(きんべだーちょん)謹んで大衆(修行僧)に申しあげる。
      生死事大(せんすすーだ)  生死は、事大にして、
      無常迅速(うーじゃんしんそ)無常は迅速なり。
      各宜醒覚(こーぎしんきょ) 各々、醒覚して、
      慎忽放逸(しんうふぁんい) 無為に、時を過ごさぬように。

仏道修行僧の心を、戒めています。





             「 一 喝 起 風 雲 」      隠元禅師書



                         *


            
     黄檗山万福寺にちなんで 「宜有千萬」(よろしく千萬あるべし)



                   *



禅宗に興味・関心をお持ちの方は、2012年6月14日のブログ

「曹洞宗大泉禅寺 ー 禅について ー 」 を検索してください。




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# by francesco1hen | 2017-04-02 17:16 | Comments(0)
2017年 03月 31日

「美山かやぶきの里」 日本の原風景

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京都府南丹市美山町北に 「茅葺きの里」 があります。

伝統的建造物群保存地区に指定されています。訪れるたびに癒される日本の原風景
「美山かやぶきの里」といわれ親しまれています。全国各地から人々が訪れ、外国人観光客にも人気があるようです。

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  「茅葺きの里」には、保存物としてつぎのようなものがあります。

[ 建築物 六十八棟 ] 茅葺主屋 二十九棟  その他、トタン屋根か藁葺き
                        茅葺き以外の小屋  寺社

[ 工作物 七棟 ]  露地門  塀  宝印塔 

[ 環境物件 四十五件 ]  石垣  寺社境内  地蔵  栃ノ木


この保存地区内の民家の約四割は、江戸時代に建築されたものです。
そして、伝統的な建築様式は、入母屋造です。棟はほぼ東西に揃えられています。
棟飾りの「千木」(ちぎ)や「雪割り」「破風」の意匠にも特徴があります。



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   茅葺き屋根の原材料となる「かや」



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   もっとも新しく葺かれた「茅葺主屋」の佇まいです。


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  茅葺き屋根の正面破風の入母屋造り。  屋根は苔むして貫禄がありますね。


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茅葺き屋根の上の棟飾りの「雪割り」は、「烏どまり」とも言われています。

棟飾りの七つある「千木」(ちぎ)の別の名は、「馬乗り」ともいわれます。

千木の数は、五つが一般的で、七つある家は、もと庄屋であったそうです。




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   集落の道の一例です。黒い小屋は「鉄砲銃」といって各戸にあり、防火の
   ためのものです。春秋の「一斉放水」は、壮観です。


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 「美山かやぶきの里」で、いちばん美しい茅葺き屋根の家でした!(^_~)//。


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    石垣の下を流れる水路の端で咲く「ふきのとう」の花。


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    かやぶきの里の前を流れる「美山川」清流で鮎が多いのが有名です。




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# by francesco1hen | 2017-03-31 12:51 | Comments(0)
2016年 12月 12日

京都衣笠「等持院」と茶室「清蓮亭」

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方丈(Main Hall 本堂)の前庭が広大にひろがっています。この庭から何を想うのでしょうか。


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端のこの石組みは、存在感があって素晴らしい深い心象を与えています。



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方丈の北庭がまた見事です。その景色は幽邃な趣があります。 遠くに茶室清蓮亭が望見されます。 手前の青く光る池は「心字池」です。

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おびただしい石組みの景色は、禅寺ならではの美しさを見せています。禅の美でしょうか。




 
 茶室「清蓮亭」の風雅・簡素な建築

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方丈北背の小高い所に茶室清蓮亭が落ち着いた姿で建っています。村田珠光や相阿弥らと茶道を興じた8代将軍義政の好みと伝えられる清蓮亭は、上段一畳に座して望む芙蓉池苑の眺めが格別です。 ところで、茶室内部に目を凝らしてみましょう。簡素な数寄屋造りです。


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暦応四年(1341)足利尊氏が天竜寺の夢窓国師を開山に招き、衣笠山の南麓に創建したのが等持院です。この寺には、尊氏の墓所があり、寺内の霊光殿には、足利歴代の将軍像(木造着色)が両側に並べてあります(5代義量と14代義栄の像を除く)。しかし、徳川家康象が祀られているのは意外でした。等持院には、足利15代、230余年の歴史を語る貴重な文化財が充分に保存されています。


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# by francesco1hen | 2016-12-12 23:48 | Comments(0)
2016年 12月 11日

妙心寺 退蔵院 

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初冬の12月7日に、国宝や史跡名勝で有名な妙心寺「退蔵院」を訪れました。


[ 飄鮎図 ]

国宝の「飄鮎図」は、方丈(本堂)で見ることができます。これは禅の公案ー小さな瓢箪で大きななまずをいかに捕らえるか、ということを問う絵です。絵の上には、京都五山の高僧31人の賛(解答)が書かれています。とても読めませんが、読んでみたら面白いと思います。


[ 狩野元信の庭 ]

方丈の縁先からは、室町時代の画家 狩野元信の作庭による枯山水庭園を見ることができます

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史跡名勝 狩野元信の庭は、白砂と石組みで表現された禅庭の観念的な世界を示しています。
枯山水の背景には常緑樹をおもに植えて、一年中変らぬ「不変の美」を求めたものと考えられています。「無常」に対して「不変」を求めたのでしょうか?

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元信の庭を見てから方丈を後にすると、昭和の名庭といわれる「余香苑」に歩を移します。
京都の寺にこんなに大きな庭があるかと思えるような広さです。


[ 余香苑 ]

余香苑の門を入ると大きな枝垂れ桜が、人びとを迎えてくれます。初冬のこの時は、花の無いしだれ枝がわれわれに触れて歓迎してくれました。

両側には、「陰陽の庭」がありました。敷き砂の色が異なる二つの庭は、物事や人の心の二面性を伝えています。陰の庭には8つ、陽の庭には7つの石が配されています。どのような意味があるのでしょうか?

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陰陽の庭からすこし進むと、風雅な明るい東屋がありました。


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紅葉がまだ少し残っているようです。

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昭和の名庭「余香苑」のメイン風景です。


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                     「余情残心」






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# by francesco1hen | 2016-12-11 18:26 | Comments(0)
2016年 10月 23日

[ 秋薔薇 ] 大船フラワーセンター(2)


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          「秋のバラも美しいですね!」(^_^) //。。。








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# by francesco1hen | 2016-10-23 17:44 | Comments(0)
2016年 10月 23日

[ 秋薔薇 ] 大船フラワーセンターバラ園(1)

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# by francesco1hen | 2016-10-23 17:34 | Comments(0)
2016年 10月 17日

満勢さんの随筆『雑草』より (3)「花の色」

            「花の色」


 去年の春、表の溝の縁に矢車草の芽ばえを見つけたので、庭の花壇に植えてやったら薄いピンクの可愛い花が沢山さいた。毎年種子をまこうと思っていては忘れる矢車草が思いがけなく咲いて私は大変うれしかった。種子がこぼれて今年はその側に四本芽が出ていたので、並べて植え替えてやったらすくすくと伸びて蕾をつけた。一番始めに咲いたのは濃いピンク。その次が去年と同じ薄いピンク、その次が紫紺、終りに咲いたのは白だった。これで空色があったらと欲ばった考えを出したが、どうして一本の草の種子からこんなに違った色が咲いたのか不思議でならない。もっとも人間の子でも同じ両親から生まれながら色々の性格を持っているのだから、それと同じかも知れない。そして、そこに人間の知恵では計り知れることの出来ないものがあると感じた。

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 木村太郎先生は、わたしの高校生のときから親しく接して頂いた心の支えであり、友でした。クリスマスの頃、太郎先生の聖書朗読を聴いてたいへん感銘を受けました。後年わたしが聖書朗読をするようになった時には、そのことを意識して朗読に励んだのでした。また、先生は水墨画や淡彩画に秀でておられたので、画家を志していたわたしは先生に私淑していました。先生の人柄に惹かれていたことをしばしば思い出します。懐かしい忘れがたいお方です。

 可愛いおばあ様の満勢 奥様からは、彼女の心がよく伝わってくる随筆『雑草』をあるとき頂きました。読み応えのある、また微笑みがただよってくる文に惹かれて、
20編のうちから3編を紹介させて頂きました。




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# by francesco1hen | 2016-10-17 11:28 | Comments(0)
2016年 10月 16日

満勢さんの随筆『雑草』より (2) 「お箸のこと」

              「お箸のこと」


 ご飯を食べる箸、もの心ついたときから私は象牙の箸で食べていた。家族皆それぞれ男女大小があったが、家で食べる箸といえば象牙だと思っていた。嫁ぐ時にやはり夫婦用に象牙の箸を持たせてくれて何十年も使っていたが、先が黒ずみ、割れてきたのでお払いばこにした。もう象牙の箸など買えるような生活ではないので、スーパーで木の箸を買って夫も九十で亡くなるまでそれですませていた。あんがい軽くてよいものだ。
 おそば、素麺などを食べる時には杉箸に限る。つまり割箸、角があるから挟みやすいのだ。他所の家で素麺に塗箸が出て困ったことがあった。箸にも棒にもかからぬという事。
 この頃テレビでよく食べ歩くのを放映されるが、美しいタレントが変な箸の持ち方をして、きまって「う、ま、い」とか「おいしい」なんて言っているのを見て、「先ず箸の持ち方をお習いなさい、それから味を云々と言ったら」と思って見ている。テレビは全国の人が見ているのだから注意した方がよいと思う。

                                   
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# by francesco1hen | 2016-10-16 14:58 | Comments(0)
2016年 10月 15日

満勢さんの随筆『雑草』より (1)「おもてなし」

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             老いわれにルージュのみやげ雛の客



木村満勢(ませ)さんは、可愛いおばあ様です。フランス文学者 木村太郎氏の奥さまです。少女時代と娘時代を東京下町の裕福な家庭で過ごされたようです。晩年には三冊の随筆を上梓されました。細やかできめ細かい文体の素晴らしい随筆なので3編ほど紹介したいと思います。日本画もよく描かれました。三味線も。



           「おもてなし」


 人さまが訪ねて下さった時、冬は暖かく、夏は凉しげにと心がけること。何はなくとも冬は熱いお茶を出す。夏は先ず汗をかいていらっしゃるから、熱湯でしぼったおしぼりを出し、冷たいお茶をお出しする。ジュース等は甘くて後口が悪いから嫌な方もあるので。冷やしたお菓子にはやはりお茶のほうがよいと思われる。それを出されたお客のほうは、冷たい物は冷たいうちに頂くのが礼儀だ。せかく熱湯で絞った手拭いも温くなってから手を出し、食べないのかと思ったら冷やしたお菓子も生温かくなってから食べられたのでは折角のこちらの厚意が無になってしまいがっかり。遠慮も程々にした方がよいと思われる。
 おしぼりも冷蔵庫に入れておく方が世話がないが、冷たいので拭いた後はかえって暑く思われるようで、逆に熱いおしぼりの後は涼しく感じると私は思う。この頃は冷房車でみえる方は暑そうでないからそこのところは適当に。


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            満勢さんは日本画もよく描かれました。「青ぶどう」






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# by francesco1hen | 2016-10-15 12:56 | Comments(0)
2016年 10月 13日

蓼科湖の風景 3

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奥のほうに 蓼科山 がみえます。山は男性的です。コスモスは乙女の美しさ。

男体山(なんたいざん)があれば、女体山(にょたいざん)もあるはずです。
何処にあるのでしょうかは知りませんが・・・・・。  



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# by francesco1hen | 2016-10-13 11:57 | Comments(0)
2016年 10月 12日

蓼科湖の風景 2

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ひょうきんな淑女と紳士のスワンボートが、「おもてなし」をしてくれます。

なんとも面白い感じですね (^_~) //・・・。



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# by francesco1hen | 2016-10-12 11:23 | Comments(0)
2016年 10月 11日

蓼科湖の風景 1

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美しき蓼科湖   「止水明鏡」とはこのようなことを言うのでしょうか。

         「ああ、うつくしき・・・。」ともらしたくなる風景です。


好きなことば   「余情残心」。

         一条兼良の『花鳥余情』という源氏物語注釈書もありますね。



                         *

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# by francesco1hen | 2016-10-11 17:00 | Comments(0)
2016年 10月 10日

超凡なる彫刻家 桑山賀行の木彫作品(12)

「たそがれて・・・」 2003 の作品について、「祭りのあとの一抹の寂しさ」をと解説していますが、演者(人形遣い)のすがたには威厳があり、人形遣いによって命を与えられた人形は、凛(りん)とした美しさを見せています。


  「神の手」の中で輝いて生きる人間のすがたを表わしているようです。


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                  *


                 

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# by francesco1hen | 2016-10-10 11:44 | Comments(0)
2016年 10月 08日

無比の彫刻家 桑山賀行の木彫作品(11)

「 たそがれて・・・ 」 2003   

「祭りの後の一抹の寂しさを文楽人形により表現」したと作者はいうが・・・


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 この木彫作品は、2004年総理官邸で半年間設置されていた栄誉ある作品です。



                  *







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# by francesco1hen | 2016-10-08 09:45 | Comments(0)
2016年 10月 07日

抜群の彫刻家 桑山賀行の木彫作品(10)

「過去の街」 2014    

「カッパドキアのような風景の中にとけ込んだ街をイメージして制作」されたものですが、永遠不変の世界への入口のようです。


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「遠き夢跡」 1993   遠い歴史を想い、この先の未来への道を歩む小女。


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「窓」 1999

「窓にはそれぞれの時がある」この深い意味は、考えてみる価値があります。


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   ここに現れてきた小女は、永遠不滅なもの(真理)を求めているようです。




                    *






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# by francesco1hen | 2016-10-07 11:39 | Comments(0)
2016年 10月 06日

奇才非凡の彫刻家 桑山賀行の木彫作品(9)

「 秋さりて 」 1990

「折れて捨て去られた案山子によって過ぎた時間を表現」する作家は、過ぎ去る時の移ろいに「無常なるもの」を見ていたのでしょう。

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「万物流転」「生々流転」してこの世のもは変化し、消滅してゆきます(無常)。

しかし、与えられた「 魂 」 は、「 常 」すなわち、不変不滅・永遠です。




                 *





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# by francesco1hen | 2016-10-06 10:29 | Comments(0)
2016年 10月 05日

比類のない彫刻家 桑山賀行の木彫作品(8)

「 独 」 1989

「収穫が終り、田んぼに役目を終えて忘れ去られたカカシによって過ぎた秋を表現」した作品。彫刻家は、言外のことも考えていたに違いないと思います。


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「独りむまれ(生まれ)て、独り死す」という言葉があります。

さらに、「 独生・独死・独去・独来 」の語もあります。


そして、「つながぬ月日過ぎ行けば、死の期(ご)きたるは程もなし。」
(月日はつなぎとめられず、あっという間に過ぎ去るから、死期が迫るのもまじかである) このことばも大事なことです。


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    一度 無常の風ふけば 花のすがたも散りはてぬ







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# by francesco1hen | 2016-10-05 16:56 | Comments(0)
2016年 10月 04日

希有の鬼才彫刻家 桑山賀行の木彫作品(7)

「道のり」 1996

「20代のヨーロッパ一人旅の不安な気持ちと遺跡の印象を表現」したと作者はいいます。

不安におそわれたとき、人は出口を求めます。そこには「希望と喜び」があるからです。




                    *



「窓」 2001

「窓の外の風景はこのようなものかと思いを巡らして・・・ 」


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   明るい窓や出口は、未来や 来世の「変らないもの・永遠」を象徴しているようです。







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# by francesco1hen | 2016-10-04 10:33 | Comments(0)
2016年 10月 03日

奇才の彫刻家 桑山賀行の木彫作品(6)

「遠き夢跡」 1993

「若いころ見た遺跡の素晴らしさに遠い歴史を思い制作」した作者は、常に過ぎ去った時の流れを意識しているようです。


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   時の道をあるいてきた小女は、そのことを無言のうちに語っています。







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# by francesco1hen | 2016-10-03 11:24 | Comments(0)
2016年 10月 02日

卓抜な彫刻家 桑山賀行の木彫作品(5)

「窓」1999

「それぞれの窓にはそれぞれの時がある」と作者は考えています。

ここには「時」の深い意味があります。過ぎゆく時の意味です。無常なこの世で、「常なるもの」を求めていく人にとっての深い意味です。


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          森からの道を歩いている小女は、何かを考えています。









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# by francesco1hen | 2016-10-02 17:19 | Comments(0)
2016年 10月 02日

異彩を放つ彫刻家 桑山賀行の木彫作品(4)

「風景 ー 海 ー」 1992

「工学的に造り出された船の底部の曲線の美しさと、朽ちていくわびしさと」と作者は朽ち滅びていくもののうちに《無常という事》を感じているのでしょうか。


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                    *



「夏の朝に」(セミの抜け殻)

「人の抜け殻のGパンとセミの抜け殻によって、はかなさを表現」した作品です。


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「 遠き日 」 2000

「抜け殻からでたせミは、どこに行ったのだろうか・・・・」


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セミは地中にいる時間は長いけれど、地上ではその命は短い。空蝉(うつせみ)は「はかない」という言葉の意味がしめすように、人間の命のはかなさを表わしています。

彫刻家はこの作品で、この世界は変化はげしく過ぎ去る、つまり「無常であること」を示しているようです。




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# by francesco1hen | 2016-10-02 11:31 | Comments(0)
2016年 10月 01日

不世出の彫刻家 桑山賀行の木彫作品(3)

「 演者 V 」(神の手) 2011

「文楽を見ている人形遣いの姿が消える。人形に命を与える手は神の手であろうか・・・ 」

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                     *



「演者 VI 」(神の手)

「文楽人形が人形遣いの手によって生命を与えられたように動き出す時、それが神の手のように思われる。人形に生命を与える瞬間を思い描いて制作」したと作者はいう。

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      神のなせる業とは、このようなもでしょうか ?




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# by francesco1hen | 2016-10-01 11:21 | Comments(0)
2016年 09月 30日

鬼才の彫刻家 桑山賀行の木彫作品(2)

文楽の「演者」(人形遣い)2007 内閣総理大臣賞(日展)

「開演直前の緊張の一瞬、はりつめた空気のなかで精神統一する演者」の姿。

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  演者(人形遣い)の存在感にみちたすがたには、何かを考えさせられます。
  人形に命を与える存在です。さらには、・・・・・ 。




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# by francesco1hen | 2016-09-30 10:26 | Comments(0)
2016年 09月 29日

秀逸な彫刻家 桑山賀行の木彫作品(1)

文楽人形 「幕間」 2005

「一幕を終えた安堵感と同時につぎの幕開けの緊張感のある幕間を表現」している。

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        木彫の素晴らしさをよく示している作品ですね。






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# by francesco1hen | 2016-09-29 10:49 | Comments(0)
2016年 09月 26日

妙心寺山内 「桂春院」庭園 史跡名勝(禅の庭)


臨済宗妙心寺派大本山「妙心寺」は、南総門から北へ七堂伽藍が一直線で並ぶ配置で 山門・仏殿・法堂・大方丈などが並んでいます。境内の塔頭(脇寺)の数は47と多く、随一を誇っています。そのなかで公開しているのは、桂春院・退蔵院・大心院の三か寺です。


なかでも「桂春院庭園」は史跡名勝で有名です。この度そこを訪れました。風情のある庭園なので紹介します。


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この門から入り庫裏を通ってなかに進むと、方丈北側の「清浄の庭」を見ることができます。 壷庭に井筒を利用して直立した枯滝の石組み、そこに滝の響き、白砂の渓流が音をたてて流れているような観をあらわしています。心身の塵垢を洗い浄めるような雰囲気です。



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               これが「清浄の庭」です。禅寺ならではの象徴的世界です。


 浄められた廊下を進むと「書院」に面する風雅な「侘びの庭」が目に入ります。



「侘びの庭」は、書院前庭より飛び石伝いに「既白庵茶室」(非公開)につうじる露地庭です。露地は梅軒門と猿戸によって内露地と外露地にわかれいます。


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               「侘びの庭」の梅軒門

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              奥に見えるのが方丈の縁先で、その前面に「真如の庭」が広がります。




「方丈」南側の「真如の庭」。 中心となる禅の庭園です。


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「真如の庭」の 真如 とは、宇宙に偏在する根源的実体 のことを言います。
 あるいは、永遠不変の真実(真理)ともいいます。

一面に杉苔の美しいなかに、小さい小石をさりげなく、無心に七・五・三風に配置したところは、十五夜満月を表現しているといわれています。これが禅の庭です。



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「方丈」とは、禅宗の長老(地位の高い住持)や寺の長である住職(住持)が居住する場所のことをいいます。桂春院の方丈の正面の襖は、狩野山雪(三楽の弟子 1590-1651)の「金碧松三日月」といわれる襖絵です。襖の奥には仏像が安置され、読経が行われます。


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                          *




この方丈東側の「思惟の庭」は、左右の築山に、十六羅漢、中央の礎石を座禅石にみたて、仙境に遊ぶような趣を持っています。

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                      [ 座禅について ]


座禅は、①結跏趺坐 ②呼吸・雑念を捨てる ③考案・不立文字で無想無念の「空無」の悟りの境地に入ります。

空無は、悟達の境地。「無我唯有仏」は、「仏我一如」のことをいいます。


ちなみに、ヨーガも行法による三段階は、サンスクリット語で次のようです。

①ダーラナ(凝念・ぎょうねん)= 精神を集中する。
②デャーナ(静虜・じょうりょ)= 静まり、澄みきった状態になる。
③サマーディ(三昧・さんまい)= 自分の意識が消え、対象だけが光り輝く。

このサマーディは、空無という悟達「無我唯有仏」「仏我一如」と同じです。
キリスト教でいうならば、「神との一致」「神と一つになる」という事でしょうか。


座禅の方法は、変転極まり無くいずれは滅びゆく、この世の「無常」を見通し、「常なるもの」と共にある悟りを求めることであると思われます。

真如の庭の「真如」は、永遠不変の真実・真理です。このことについては、つぎのような言葉もあります。



 
   「天地は過ぎ去る。しかし、わたし(真理)の言葉は過ぎ去ることがない。」

                       ( マタイによる福音書 24・35 )



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               桂春院を辞して、庫裏の玄関を出ました。「余情残心」








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# by francesco1hen | 2016-09-26 11:47 | Comments(0)
2016年 09月 03日

木霊と共に50年「桑山賀行彫刻展」(7) 全体を見直す(総集編) 

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                   「風景ー海」滅び朽ち果てた船体


『平家物語』の始め

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花のいろ、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。


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            「赤とんぼ」 朽ち果てた向日葵にとまる赤とんぼ



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                 「帆」これも使い古され朽ちた案山子


『方丈記』のはじめ

 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世中にある人の栖と、またかくのごとし。・・・・・ 。


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                  「砂丘」 朽ち果てゆく古い柵とカラス。



『平家物語』と『方丈記』の冒頭で読み取れる無常観は、古来から日本では愛され認められてきた思想です。解説の必要がないくらい親しまれてきた言葉です。
ところが、いまや無常観は人々の気を惹かないようになっています。

小林秀雄の「無常という事」は、昭和十七年(1942)六月号の「文学界」で発表されたエッセイで、文庫本でも版を重ねています。高校の教科書にも載り、大学入試の問題にもよく使われている有名な文です。ところが今や「無常」という言葉は死語になっています。「むじょうかん」という言葉を聞いてもどういう字であるかも分らない人が多いようです。エッセイの末尾に小林秀雄は書いています。
「現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事が分っていない。常なるものを見失ったからである。」


「無常という事」では、冒頭に『一言芳談抄』の中にある文が出てきます。

「或云(あるひといわく)、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひてとはれて云、生死無常のありさまを思ふに、この世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給へと申すなり云々」


人には生死があります。人は生きて死ぬ。この世は無常であり、人もまた無常です。
比叡のかんなぎの若い女性は、この世のことはどうであろうと、来世では、仏の手によって救われることをひたすらに願っていました。

来世の死後のことを考えないで、日常の現実的生活にだけに心を奪われている生き方には、考えるべきことがあるように思われます。現代でもこの世は「無常」です。神を捨ててしまった罪深いこの時代こそ、「常なるもの」を意識して求めなければならないのではないでしょうか。ちなみに東日本大震災も熊本地震も「無常」そのもです。現代でも「無常である事」は、われわれのすぐそこにあります。


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  「赤とんぼ」と「枯れた向日葵と山羊の頭蓋骨」が示す「生と死」が無常。



[ ソクラテスは、アテナイの人々に語りかけました。]

人の内面世界(魂・精神)に目を向けるようにと語ったソクラテスは、アテナイの市民たちを批判して「すぐれた人間になるためには、財産や容貌、名誉や評判を気にしないで、自分の魂をすぐれたものにしなければならない」と。これは古代的価値観である「知識・権力・財産・快楽」を求めすぎることを戒めるものでした。歴史のすべての時代、現代でも大なり小なり、このような価値観は信じられ、求められてきました。しかし、この価値観は否定されることもしばしばでした。


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            人はどのような「道」を歩めばよいのでしょうか?


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   「森への道」は、「無常でないもの」(永遠なるもの)への道でしょうか?



[ 旧約聖書の『知恵の書』の記述の現代的な響き ]

 「われわれの一生は短く、悲しみに満ちている。人の最後にあたって何も癒すすべはなく、また陰府から人を救い出したものは誰もいない。われわれは偶然に生まれたものであり、後には、まったく存在しなかったもののようになる。われわれの鼻の息は煙り、人の思いは心臓の鼓動から出る火花にすぎない。鼓動が止まると、体は灰となり、魂は軽い空気のように消え失せる。われわれの名は時ともに忘れられ、誰もわれわれの業を思い出してくれない。われわれの一生は薄れゆく雲のように過ぎ去り、霧のように散らされる、日の光に追われ、その熱に溶かされながら。われわれの生涯は影のように過ぎゆき、ひとたび最後が来れば、やり直しは出来ない。・・・・ さあ、目の前にある善いものを楽しもう。・・・・・(物質的快楽を!) 」(2・1〜6)

以下叙述は続きます。その様子は、現代人が経済優先の物質的豊かさを追い求め、消費生活で欲望を満たすような様子が記述されます。『知恵の書』は紀元前1世紀に書かれた書物ですが、その記述は現代人の姿そのものようです。


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                      何処に出口があるのでしょうか。



[ 価値観の転換を求めるキリスト(救い主)・イエス ]

イエスの福音の第一声は「時は満ち、神国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした。現世的な生活よりも神とともにある神の国の「永遠の命」を求めなさいというメッセージでした。過ぎ去っていく世界よりも、無常でない「永遠の命」を求めなさいということでした。このことのためにイエスはこの世に現れたのです。


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「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は広々としていて、そこから入る人は多い。しかし、命に至る門は狭く、その道は細いことか。それを見いだす人は少ない」。


「たとえ全世界を手に入れても自分の命を失ったなら、なんの益があろうか」。イエスの言葉は、衝撃的な意味をもつものでした。「永遠の命」は、無常なこの世の富や栄誉は神の国の素晴らしさとは比較にならないほどの価値があるのだ、という福音でした。

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                    人間にさしのべられる恵の神の手。


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                      新しい命を与える神の愛の手。



来世の救い「無常でないもの」とは「神と一つになる」喜びです。比叡のかんなぎの若い女性が願ったことは「無常でない」仏の救いでした。この願いは、人間の究極的な願いです。これによって人は「絶対の安らぎ」を得るのです。


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  演者と人形は一体です。「神と一つになる」こととはこのようなことかも。


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           神秘に開かれた「窓」や「戸口」とも考えられますね。



「無常である事」は、人の生と死を考えさせ「無常でないもの」、「永遠の命」への道を開くものです。


                          *



                * [ 木彫家 桑山賀行のこれからの展開 ] *



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「とんがり帽子 — 日本の歌より」2015


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「雨が降り」2015



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「しかられて ー 日本の歌より」2015



ロビーの一部に珍しい「額縁に入った彫刻」がありました。これからの作品の傾向をしめす作品です。これからは「日本の歌より」という作品が、人々を驚かせることになるようです。あるいは、ほのぼのとした歌の世界の平和を醸し出すような作品かもしれません。 皆さんと共に固唾をのんで待ちましょう。 (^_~) //。








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# by francesco1hen | 2016-09-03 23:54 | Comments(0)
2016年 08月 31日

桑山賀行彫刻展「木霊と共に50年」(6) 風景 ー 海 ー ・ 空蝉(うつせみ)・ 赤とんぼ(向日葵)


[ 風景 ー 海 ・ 空蝉 = 現身 ・ 赤とんぼ(向日葵)・・・ 再び「無常という事」]

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3室ぶち抜きの主会場の前のロビ−にならぶ作品たち

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「風景 — 海」1992  

「工学的に造り出された船の底部の曲線の美しさと朽ちていくわびしさと」


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「窓」1994

「幼い頃みた隣の家の窓の向日葵が心に浮かびその記憶をもとに制作」



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「夏の朝に」1999

         「人の抜け殻のGパンとセミの抜け殻に依て、はかなさを表現」

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「遠き日」2000

           「抜け殻から出たセミはどこに行ったのだろうか・・・」



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「我家のソクラテス」2010

「我家にやって来た盲導犬リタイアのアイリスはソクラテスを思わせる風貌をしていた」


                       *


ここから《赤とんぼのシリーズ》が始まります。


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「赤とんぼー日本の歌より」2013

                「赤とんぼの連作を作るきっかけとなった作品」


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「赤とんぼ」2014

                 「赤とんぼの飛ぶ季節に思いをはせて・・・」



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「赤とんぼ(向日葵)」2014

「生きている赤とんぼと生を終えた山羊とひまわりに依って生と死を表現」


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「赤とんぼー陽だまり」2015

「陽の光が気持ちよく空が高く感じる季節。幼い頃遊んだ縁側の風景がなぜか懐かしい」


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同「赤とんぼー陽だまり」   枯れた向日葵は「死」を象徴している。



                               *



《 再び「無常である事」》

これまで見てきた数々の作品は、一貫してこの世は無常であるという考え方が底流としてあるように思えます。作者はもっと広い受けとめ方をしていると思いますが、一鑑賞者は、本質的部分を捉えるならば、やはり作品からはこの世は「無常であること」を感じさせられます。

「風景 — 海 ー」の船底部の曲線の美しさにもかかわらず、朽ち果てた船体は滅びゆくものの姿を示しています。
「窓」の枯れた向日葵。セミの抜け殻「空蝉」(うつせみ)は「現身」とも書き、この世の人、この世を表わしています。また、「うつせみ」の身、というように「命」、「人」、「世」の枕ことばです。空蝉は、死に至るもの、滅びゆくものの意味をもっています。

「我家のソクラテス」について。紀元前5世紀のソクラテスは、デルポイのアポロン神殿の「汝自身を知れ」「限界を超えるな」という言葉から思索を始めました。

そして、外的世界に対する視点を内面的世界(精神・魂)に変えたという「思想の革命」を行いました。物質世界の探求から内面世界の探求、人が生きる目的はなにか、という魂の転換を呼びかけたのでした。ソクラテスが、まず大事にしたことは「魂を出来るだけすぐれたも(徳高いもの)にする」ことでした。

《赤とんぼシリーズ》は、昔を惜しみながらも、この世の「生と死」を深く見詰めて考える作品群です。案山子の連作「独」「帆」「秋さりて」も同じように、連綿として「生と死」が問題となっています。「砂丘」や案山子の傍らに止まっているカラスも「生と死」「滅びゆくもの」への思索を促しています。

実は、これらの作品は、現代の人々が忘れてしまい意識から消してしまった、この世が「無常であること」を提示し、現世にない「無常でないもの」を魂の奥底から見出すように暗示しています。


                                   *



「カァー、カァー、カァー」という、「 鴉 」の鳴き声が聞こえてくるようです。



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# by francesco1hen | 2016-08-31 16:18 | Comments(0)
2016年 08月 30日

桑山賀行彫刻展「木霊と共に50年」(5) 文楽の演者 と 神の手

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  [ 文楽の演者 と 神の手 ]


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「 演者 」2007 (内閣総理大臣賞)
 
「開演直前の緊張の一瞬、張りつめた空気の中で精神統一する演者」


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内閣総理大臣賞に輝いた「演者」。後方に神の手といわれる「演者 V. VI. 」が見える



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「 演者 II 」2008

「演じ終えた直後の緊張のうちに安堵と脱力感を感じている演者」



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同「 演者 II 」


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「 演者 III 」2009

「人形遣いと人形が一体となって演じ終えた一抹のさみしさを表現」



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「 演者 IV 」2010

「開演を前にして操る人と操られる人形が本当はどちらが操るのかを相談するように心を通わせている姿を表現」


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「 演者 V 」(神の手)2011

「文楽を見ていると人形遣いの姿が消える。人形に生命を与える手は神の手であろう」


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「 演者 VI 」(神の手)2012

「文楽人形が人形遣いの手によって生命を与えられたように動きだすとき、それが神の手のように思われる。人形に生命を与える瞬間を思い描いて制作」



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「 演者 VII 」(神の手)2013

「人より人らしく演じられる文楽人形。人形に命を吹き込み人の世界に導びくのは神の手であろうか・・・」



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* ある鑑賞者のコメント

「《文楽の演者と神の手》についての作者の解説はじつに素晴らしいと感じました。
演者は神の手のようであることは真実のことです。」


「神によって創造されて存在する人間のアイデンティ(存在の根拠)は、神です。神こそ人間の源泉で、人間の究極の目的です。人は神から出て、神に帰る。」


「神によって造られた人間の命は、神秘です。たとえ肉体的な生命が滅びても、魂は不滅です。この命こそ、最も大切にしなければならないものです。」


「神のみ旨(意志)に従い、その教えの真理に導かれて生きる。そこには正しい善い生き方があり、人間の美しく生きる姿があります。文楽人形のように・・・」


                   


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# by francesco1hen | 2016-08-30 16:24
2016年 08月 29日

桑山賀行彫刻展 「木霊と共に50年」(4) 深海魚 と 文楽人形

[ 深海魚 と 文楽人形 ]

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「海物語」1998  

「大きな口で獲物を待っているチョウチンアンコウがモデル」


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「深海の怪」1998 

「深海にはさまざまな奇怪な魚がいる。水深4000mに住む体長わずか7.5cmのラシオグナイトウス・サコストマを制作」


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「海の番人」2005  

「カサゴがモデル、グロテスクでもあり、ユーモラスでもある」


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「花化粧」2007  

「水族館で見たミノカサゴの姿は優美でまるで化粧をしているような女性のように見えた」


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* 「深海魚のさまざまな姿に強い興味を抱いた作者の気持ちがよく分ります。それにしても木彫の素晴らしさを感じます。彼らは暗い深海で、力強く生きていますね。」



  舞台は、暗い「深海」から明るい「文楽人形の世界」へと変ります。


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「遠い日の夏祭り」2002   

「幼い日に父と見た夏祭りの人形芝居の記憶をたよりに形にした。文楽シリーズを制作するきっかけとなった作品」


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「たそがれて・・・」2003    

「祭りの後の一抹の寂しさを文楽人形により表現。2004年総理官邸に半年間設置された」


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「たそがれて・・・」の部分

*  演者と人形の表情に注目したい。とくに人形の表情が生きていますネ。



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「幕間」2005   

「一幕を終えた安堵と同時に次の幕開けの緊張感のある幕間を表現」


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同「幕間」 

* 一枚きりでは惜しいので、もう一枚となりました。あかず眺めましょう。


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「拍手を聞きながら」2006  

「黒衣の演者と人形が演じ終えた瞬間の緊張感と安堵感が交ざった様を表現」




                 * * *



* この文楽シリーズはさらに続きます。舌を巻くような文楽の世界が深まり、また、広がります。そして佳境へとわたしたちを惹き込んでいきます。








































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# by francesco1hen | 2016-08-29 23:03 | Comments(0)