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家田足穂のエキサイト・ブログ

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2011年 04月 22日

アシジの聖フランチェスコと一遍上人の《挨拶》          「捨てる」という霊性について(2)

前回のおわりのところで、《シャローム・平安!》という挨拶の言葉を使いました。

シャロームはイスラエルの挨拶の言葉です。ガザ地区の人びとも「サラーム」と挨拶をしています。
ヘブライ語の「シャローム」にはたくさんの意味があります。平和・平安が主な意味ですが、そのほかに、健康,健全、繁栄、充実,充満、完全というようにたくさんの意味をもった言葉が挨拶として使われています。そういう意味で素晴らしい挨拶の言葉です。

カトリック教会では、昨日はイエスの「最後の晩餐」を記念するミサが行われました。この最後の晩餐でイエスは弟子たちに「わたしはあなたたちに平安を残す。わたしの平安をあなたたちに与える」
と語りました。この「平安」は単なる別れの挨拶ではなく、神から与えられる安らぎ・幸福の意味をもっています。

アシジの聖フランチェスコと一遍上人の《挨拶》          「捨てる」という霊性について(2)_b0221219_1048065.jpg


インドの人びとは挨拶の言葉として「ナマステ!」を使います。この言葉もまた素晴らしい意味を持っています。「わたしはあなたに信頼します。」「信頼しています,どうかよろしく」という心が込められています。今のヒンヅー語のナマステは、元々古代インンドのサンスクリット語から来ています。中国人はこれを音訳して「南無」と表わしました。これがそのまま仏教の言葉として日本に入ってきました。

アシジの聖フランチェスコは生涯の間、出合うすべての人びとに次のような挨拶を贈り続けました。
「神があなたに平和をお与えになりますように!」。この平和は「最後の晩餐」のときの平安と同じ意味です。これが彼のキリストの福音を伝える基本的な姿勢でした。

「捨聖」一遍上人も生涯をかけた遊行の旅のあいだ、「南無阿弥陀仏」と印刷された念仏札を九州から東北の各地・全国、津津浦々の人びとに配り歩きました。阿弥陀如来の救いをすべての階層の人びとに差別することなく伝えたのでした。

「シャンティ・寂静!」









by francesco1hen | 2011-04-22 11:44


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