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2011年 05月 12日

「念仏賦算」と「踊り念仏」に込められた願いのかぎり       「捨てる」という霊性について(10)

一遍の宗教の特徴は「遊行」と「念仏賦算」、そして「踊り念仏」です。一遍は一つの所に住み着かないで、同行する時衆と16年間ほぼ全国各地におよぶ遊行の旅を続けました。この遊行の目的は貴賎高下と人を差別しないで、信不信を問わず、また浄不浄を嫌わず、「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と版木で印刷された念仏札を、すべての階層の人々、とくに一般の庶民のところまで配り歩くことでした。

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この念仏札は縦7・5センチ、横2センチの小さな札です。六十万人の「六」は六字名号、「十」は
十方衆生・一切衆生、「万」は仏の万徳円満、「人」は白蓮華のように往生する人を表わし、全体で生きとし生けるもの一切衆生を示しています。「決定往生」は必ず極楽浄土に生まれるという意味です。

この念仏札は、南無阿弥陀仏を唱えれば、人はすべて必ず浄土に往生できるという阿弥陀仏の約束を表わしています。阿弥陀仏の本願を表わした念仏札が、貴賎高下の別なくただでもらえる。念仏してこの札を手にした者は必ず極楽往生できるという確信は、人々にこの上ない喜びを与えたに違いありません。


この「念仏賦算」とともに、人々の間に大きな共感を呼び起こしたものが「踊り念仏」でした。佐久
小田切の里で始まった踊り念仏は、やがて一遍が行った宗教儀式として人々に迎え入れられました。

都や地方の都市、村落を問わずあらゆる階層の人々は、多数の時衆僧尼が和讃を唱え、鉦をうちながら輪になって踊る「踊り念仏」に歓喜法悦の救いを味わったのでした。念仏に救われたものの踊り念仏は、阿弥陀仏の御振る舞いで、一遍が歌った「仏こそ命と身とのぬしなれや わがわれならぬこころのふるまい」のように、仏もなく我もなく、ただ念仏して南無阿弥陀仏になり切る「忘我の念仏」
になっていました。

一遍ら遊行時衆の足はほぼ全国各地、著名な神社仏閣や困難な暮らしに耐えている村々に、そして津津浦々にまで伸ばされたのでした。一遍たちに出合い、踊り念仏の熱狂のうちに多くの人々は浄土往生の法悦にひたり、救われた者の歓びに包まれていたのでした。


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四条京極の釈迦堂での踊り念仏のようす


「一切衆生」「二世安楽」 (藤沢市の「えのしま道」道標に刻まれた願いの言葉)

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《ナマステ・南無!》
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by francesco1hen | 2011-05-12 12:27 | Comments(0)


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