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家田足穂のエキサイト・ブログ

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2011年 08月 12日

(8)諸宗教の究極目標「神と一つになる」(その1)

旧約聖書の『雅歌』に出ている「あなたはわたしのもの、わたしはあなたのもの」という愛する者の言葉は、愛によって「一つになっていること」を表わしています。二つ以上のものが「一つになる」ことは愛の姿です。

諸宗教においても、神と一つになりたいという願い「神と一つになる」ことは、その理想として普遍的に見られることです。

古代インドの宗教のバラモン教では、紀元前8世紀に世界最古の哲学思想であるといわれるウパニシャット哲学が生まれました。そこでは宇宙の根源である最高存在ブラフマンが在り、ブラフマンは自ら創造した宇宙に入り込んでいます。人々は、このブラフマンと個々の小さな存在である人間アートマンは「同一不異」であるということを悟りの目標にしていました。つまり、最高存在であるブラフマンと人間アートマンの「完全な合一」を究極目標としていたのです。ここから「梵我一如」(ぼんがいちにょ)という言葉が出てきました。

このウパニシャット哲学の発展から仏教思想が生まれてきます。仏教における「仏我一如」や「成仏」も、ほぼ同じような意味をもっています。

一遍上人の言葉を借りれば、「仏になった阿弥陀仏と一たび念仏を唱えて成仏した衆生(すべての人々)は一つであり、絶対に二つでは無い」。また「衆生が念仏を唱えたとき、その身は仏に包み込まれて同一となる」ということになります。ここでは、救われたとき阿弥陀仏と衆生には区別が無いと考えられているのです。つまり、究極的には「仏と一つ」になっているのです。

12世紀末から13世紀初頭にかけて隆盛したアンコールワット遺跡のクメール美術でも、「神仏との一体」の憧れを見ることができます。

クメール王朝では、王を神仏と同体とするデヴァーラジャ(神王)信仰が行われていました。王族や貴紳たちも死後「神仏と一体」になることを願い、自分や親族を神仏の姿で表わした像を寺院に奉納していました。今ここで2つの例を見ることにします。

第1例、ジャヤヴァルマン7世は、若くして亡くなった最初の王妃ジャヤラージャデーヴィーを女尊になぞらえて、いわば彼女の肖像として造像したと言われています。

第2例、この像も死後の神仏との一体化をねがう信仰から、幼くして亡くなった小女をターラ
(多羅菩薩)またはプラジュニャーパーラミタ(般若波羅蜜多菩薩)になぞらえて造像したと考えられています。

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第1例 女尊
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第2例 女尊
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by francesco1hen | 2011-08-12 16:27


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