2017年 08月 01日
律法学者やパリサイ派の人々は、律法に精通し、これを厳格に守ることを人々に要求していました。律法を守らないものは罪びとであると決めつけていました。そして、自分たちは完全であると思い込んでいました。 ところが、イスラエルの社会では、祈る時間がない貧しい人や病人・罪深い女・徴税人、そして、敵対視されていたサマリア人たちは、それぞれの理由から求められるように律法を守れない事情がありました。そのために、不当にも罪びとにされていた人々でした。 イエスが特にあわれみの目を向けて愛したのは、このような人びとでした。「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招くためである」(マルコ2・17)と言っています。 イエスは、パリサイ派の人や律法学者から責められて罪びとにされた人びとを救い出すために、その苦しみに捨ておかれ、蔑まれ排斥される彼らの立場に「共感同苦」して、彼らに寄り添って共に食事をし話を聞きながら語り、勇気付けるために時を過ごしていたのでした。 * このようなことは、「新約聖書」によく書かれています。 さまざまな病人を癒す(マルコによる福音書 1章32−34節) ヤイロの娘と出血病の女の話(マルコによる福音書 5章21−34節) 罪深い女赦される(ルカによる福音書 7章36−50節) 徴税人の頭レビ(マタイ)、イエスの弟子として召し出される(マタイによる福音書 9章9−13節) サマリア人の女との問答(ヨハネによる福音書 4章1−30節 39−42節) 例を示すならば、このような話などがあります。
by francesco1hen
| 2017-08-01 16:34
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人間は、いいものに出合ったり、文化や宗教の深い意味を知ったり、よい事に出合ったりすると、それを共有したり、それを人に伝えて喜びあったりしたくなります。「宜有千萬」(よろしく千萬あるべし)、《 シャローム・平安!》を あなたに。 by francesco1hen カテゴリ
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