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家田足穂のエキサイト・ブログ

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2017年 08月 12日

 「人を裁くな」と「姦通の罪を犯した女」  聖書の言葉シリーズ(7)            

「人を裁くな」(マタイによる福音書7章1−5節)

人は、しばしば自分の欠点に気付かず、人の悪いことを注意・非難することがあります。聖書はそのことを面白く反省させています。


裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれないであろう。あなたがたが人をさばくように、自分も裁かれ、あなたがたが量るその升で、あなたがたにも量り与えれるであろう。

(ここで初めの「裁く」は人を罪があると決めつけること。つぎの「裁く」は神の裁きと罰を指しています。つぎの言葉が痛いように響きます。)


兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ、自分の目にある丸太に気付かないのか。自分の目に丸太があるのに、兄弟に向かって「あなたの目からおがくずを取らせてくれ」と、どうして言えるだろうか。偽善者、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきりと見えるようになって、兄弟の目からおがくずを取ることもできるであろう。

(自戒すべき言葉ではないでしょうか。)

「針の穴」とか、「目の中のおがくずと丸太」と言うような誇張した表現は面白いですね。イエスには、ユーモア的センスがあったのかもしれません。



                      *  *  *



 「人を裁くな」と「姦通の罪を犯した女」  聖書の言葉シリーズ(7)            _b0221219_10571418.jpg
         レンブラント 〈姦通の罪を犯したの女〉

   レンブラントのこの絵画は、聖書の場面をもれなく描いています。


「姦通の罪を犯した女」(ヨハネによる福音書8章1−11節)

徴税人とともに罪びとにされていたのは、罪深い女と呼ばれていた女たちでした。ヨハネによる福音書の八章に非常に印象的な「姦通の女」の記述があります。


イエスが朝早く神殿の境内に入ると、民衆がイエスのところへ来たので座って教えはじめました。
そこへ律法学者とファリサイ派の人人が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て真中に立たせ、イエスに問いかけました。「先生、この女は姦通をしているときに捕まったのです。モーセは律法のなかで、このような女を石を投げて殺すようにと、わたしたちに命じています。ところで、あたはどう考えますか」と。これはイエスを試して、訴える口実を得るためにした質問でした。

イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始めていました。それを見て彼らはしっこく問いかけれるので、イエスは身を起こして言いました。「あなた方の中で罪を犯したことのない人が、まず、この女に石を投げなさい」。そしてまた、身をかがめて地面に書きつづけました。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去っていきました。

イエス一人と真中にいた女が残りまし。イエスは身を起こして「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか、誰もあなたを罪に定めないのか」とたずねると、女は「主よ、誰も」と答えました。するとイエスは言いました。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。そしてこれからは、もう罪を犯してはならない」と話しました。


                          *



異常な事態の推移を固唾をのむ気持ちで読むわたしたちは、このイエスの絶妙な言葉と姦通の現場で捕らえられた女の気持ちを察するとき、深い感動を覚ええます。ここに書かれている情景は、わたしたちに非常に強い緊張感とともに、事態の展開になみなみならぬ興味をいだかせます。


光の画家レンブラントは、この緊張感みなぎる聖書の場面をもらすことなく克明に描き、人々の感動を呼び起こしています。

 「人を裁くな」と「姦通の罪を犯した女」  聖書の言葉シリーズ(7)            _b0221219_10571418.jpg







by francesco1hen | 2017-08-12 16:07


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