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家田足穂のエキサイト・ブログ

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2017年 08月 20日

有名な「全世界を手に入れても」と「一粒の麦」 聖書の言葉シリーズ(9)           

「全世界を手に入れても」

ある人々のとっては衝撃的な言葉。たとえば、金融的テクニックを使って巨万の富を築いている人々にとっては、そうなるかもしれません。人々は、普段はそんなことを気にかけてもいないでしょう。しかし、この言葉によって、人生観を根底から変えて新しい生き方をした人々もいました。


イエスは、弟子たちに告げました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架をになって、わたしに従いなさい。自分の命を救おうと望む者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、それを得る。たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったならば、なんの益になろうか」。
                              (マタイによる福音書16章24-26節)


この「全世界を手に入れても、自分の命を失ったならば」の「命を失う」は、魂が滅びて「永遠の命」に入ることができない、という意味です。来世の「永遠の命」の価値は、地上のどんな富よりもはるかに大きいものであると、全世界よりも大切な「永遠の命」のことを強調しています。



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この言葉によって、人生を変えた人が、イグナチウス・デ・ロヨラとフランシスコ・ザヴィエルです。
ロヨラはスペイン貴族出の野望に充ちた軍人でした。ある戦争で傷つき病床でこの言葉に出会い、イエズス会という修道会を仲間とともに設立しました。15・6世紀のイエズス会の活躍は、歴史の上でよく知られています。
日本に馴染みの深いその一人がフランシスコ・ザヴィエルです。ザヴィエルは、ご存知のように、インドから宣教師として、初めて日本にキリスト教を伝えた人です。この時から、日本のキリシタン史が始まりました。1549年のことでした。



「一粒の麦」
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「全世界を手に入れても」に似ているのが、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ」の言葉です。

「もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、死ねば、豊かに実を結ぶ。自分の命を大切にする者は、それを失い、この世で自分の命を顧みないものは、それを保って永遠の命に至る」。

「わたし(神の子)に使えようとする者はわたしに従え。そうすれば、わたしのいる所に、わたしに仕える者もいることになる。父(である神)は、わたしに仕えようとする者を、大事にしてくださる」。
                               (ヨハネによる福音書 12章24-26節)


生と死に関するこの麦粒の比喩は、イエス自身の死の意味とキリストを信じる者に適用されます。「豊かに実を結ぶ」は、「永遠の命に至る」ことです。全世界の富にも勝るもの、それは「永遠の命」であり、父である神が大事にして、その「いのち」の中に入れてくださるのです。

それを可能にしたのは、イエスの十字架の死による救いです。一粒の麦が地に落ちて死んだのは、すべての人が、豊かに生きる(永遠の命の)ためであったのです。


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                エル・グレコ  〈十字架上のキリスト〉



「全世界を手に入れても」と「一粒の麦」の言葉がしめすのは、この世の富を命とする者に比べると、来世の命を大切にする者の幸福は、はるかに偉大であるということが語られています。



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by francesco1hen | 2017-08-20 10:36


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