2017年 08月 22日
週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちにマグダラのマリアは墓に行き、墓から石が取りのけてあるのを見ました。そこで弟子のペトロとヨハネのところへ走っていき、「だれかがわたしの主を墓ら取り去りました。何処においたのかわたしには分りません」と告げました。二人の弟子が走って行き、墓に入ってみると、イエスが包まれていた亜麻布が平らになっていました。イエスはそこにはいなかったのです。 さて、マグダラのマリアは墓の外に立って泣いていました。泣きながらも、身をかがめて墓の中をのぞき込むと、イエスの遺体が置かれていた場所に白い衣を着た二人の天使が座っているのが見えました。天使たちは、マリアに「婦人よ、なぜ泣いているのですか」といいました。マリアは「誰かがわたしの主を取り去りました。どこへ置いたのか、わたしには分りません」と答えました。 こう言って後ろを振り向くと、そこにイエスが立っていました。しかし、その人がイエスであることには気が付いていませんでした。イエスは「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」と尋ねました。マリアは園の番人だと思って、「あなたが、もしあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか、教えてください。わたしが引き取ります」と言いました。 それに答えて、イエスは「マリア!」と。マリアは振り返って、思わずヘブライ語で「ラボニ!」(先生!)と呼びかけて近寄りました。 これにイエスは応えて、「ノリ・メ・タンゲレ!(縋り付くのはよしなさい)。わたしは、まだ父のもとに上っていないのだ。わたしの兄弟たちのところへ行ってこう伝えなさい。『わたしの父であり、あなたたちの父でもある方、また、わたしの神であり、あなたたちの神でもある方のもとへ、わたしは上って行く』」。 マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、「わたしは主を見ました」と言い、イエスから言われたことを弟子たちに告げました。 * マグダラのマリアは、以前にイエスから七つの悪霊を追い出してもらった婦人です。以来イエスに従って、十字架の下に最後までたたずんで、イエスを主と仰ぎ愛していた女性でした。イエスはこれに応えて、復活ご最初にマグダラのマリアに現われた、と聖書に書かれています。 (この話と言葉は、ヨハネによる福音書 20章1-18節にでています。) フラ・アンジェリコ 〈ノリ・メ・タンゲレ〉 この壁画は、ヴェネティアのサン・マルコ修道院の修室(個室)に描かれた、修道士の黙想を助けるためのものです。フラ・アンジェリコらしい、ルネサンス時代の美しい絵画です。 * 「エマオのキリスト」 キリストが復活したちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから60スタディオンはなれたエマオという村に向かって歩いて行きながら、最近の出来事を話し合っていました。 するとイエス自身が近づいてきて、いっしょに歩き始めました。しかし、二人の目はさえぎられていて、この人物がイエスであることに気が付きませんでした。 イエスは二人に、「あなたがたが歩きながら話し合っているその話はなんの事ですか」とたずねました。二人は暗い顔をして立ち止まって、「エルサレムに滞在しながら、近ごろ起った事を、あなたはご存じないのですか」と話ました。 イエスが「それはどんな事ですか」とたずねると、二人は「ナザレのイエスの事です。この方は十字架に付けられてしまったのです。そのことがあってから今日でもう3日目です。葬られた墓にその方は見当たりませんでした」。 そこで、イエスは、「メシアは、必ずこのような苦しみを受けて後、栄光に入るはずではなかったか」と、モーセから始めて、すべての預言者が、メシアについて聖書全体にわたって書いてある事を、二人に説明しました。そろそろ夕刻になっていたので、二人はイエスを無理に宿にさそい、食卓につきました。 食卓についてから、イエスはパンを取り、賛美をささげて、手で分け、二人に渡しました。すると、二人の目があけて、その人がイエスだと気付きました。でもその時、イエスのすがたは見えなくなっていました。 二人は「あの方が道々話しかけ、また、聖書を説き明かされたとき、わたしたちの心の内は燃えていたではないか」と互いに語り合いました。 そして、時を移さずエルサレムに引き返してみると、十一使徒とその仲間が集まっていて、「主は本当に復活して、ペトロのお現れになった」と話していました。そこで二人も旅の途中で起った事や、パンを手で分けたとき、イエスだと分った次第を物語りました。 (この話と言葉は、ルカによる福音書 24章13-35節に出ています。) レンブラント 〈エマオのキリスト〉 この作品は、古くから美術の教科書などでよく見かけました。ご記憶の方もあるかと思います。 エル・グレコ 〈復活したキリスト・イエス〉 キリストが復活した神秘の瞬間を見た者はいません。画家は、復活はこのようであったであろうと、イマジネーションをもとに、このように描いたと思われます。 *
by francesco1hen
| 2017-08-22 18:11
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人間は、いいものに出合ったり、文化や宗教の深い意味を知ったり、よい事に出合ったりすると、それを共有したり、それを人に伝えて喜びあったりしたくなります。「宜有千萬」(よろしく千萬あるべし)、《 シャローム・平安!》を あなたに。 by francesco1hen カテゴリ
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