2017年 09月 24日
[ 聖霊降臨から世の終り「最後の審判」まで ] キリストが復活して後40日の間、イエスはしばしば弟子たちのところに現れていました。弟子たちとともに食事をしていた時、イエスは聖霊を送ることを集まっていた者に告げています。 「聖霊があなた方に降るとき、あなた方は力を受けて、エルサレムと全ユダヤとサマリア、および地の果てまで、わたしの証人となるであろう」と。 聖霊降臨は、ルカ福音記者によって書かれた『使徒行録』(2章1-13節)に、つぎのように記されています。 五旬祭の日(キリストの復活から50日目)が来て、使徒たちが一つの所に集まっていた。そのとき突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家じゅうに響き渡り、炎のような舌が現れ、分れておのおのの上にとどまった。すると、みんなは聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、さまざまな他国の言葉で語り始めた。 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国から来た敬虔なユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の者が集まって来た。その人々は、それぞれ自分の国の言葉で使徒たちが話すのを聞いて、あきれてしまった。そして驚き怪しんで、「・・・あらゆる国から来ている人が、わたしたちはそれぞれわたしたちの国の言葉で、あの人たちが神の偉大な業を語るのを聞こうとは!」と言った。人々は驚き、惑い、互いに、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。 * 人々の驚きが、活き活きと書かれています。キリストの教会は、この時から世界の地の果てまでイエスの福音を宣ベ伝えていきました。「キリストの教会の時代」が始まります。 * キリスト教の歴史観では、人類の歴史は三つの時代として考えられています。 (1)「旧約時代」(天地創造からキリスト降誕まで) (2)「新約時代」(キリスト降誕からキリストの昇天まで) (3)「教会の時代」(聖霊降臨から世界の終末まで) これを別の言葉でいうと次のようになります。 (1)「創造と救い」(旧約時代と新約時代)(神に似せられて造られた人間の罪からの解放) (2)「救いの継続」(教会の時代から世界の終末まで)(十字架の救いが教会によって続けられる) (3)「救いの完成」(終末のキリストの再臨・最後の審判)(人の体の復活と永遠の命・愛の完成) 神の国に招かれた人々と墓から復活する人々 終末のとき再臨して審判を行なうキリスト *** 天空に描かれた聖母子 *** [ イエスの福音の約束 ] 天地万物の創造に際して、人は神に似せられて造られました。「神に似せられて」ということは、人は神の本性に与ることができる存在であることを示しています。 ところが、人祖アダムとエヴァが罪を犯して神から離れてしまったことにより、人間は神による「救い」が必要な存在となりました。この救いのために、メシア(救い主=キリスト)が、この世に人となって生まれイエスという名で福音を宣べ伝えることになりました。 父である神が、メシア・イエスをこの世に送った理由について、「神は独り子をお与えになるほど、この世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである。・・・・・ 神がおん子をこの世にお遣わしになったのは、この世が救われるようになるためである」(ヨハネによる福音書 3・16-17)、と語っています。 さらに、「じつに、わたしの父にご意志とは、子(イエス)を見て信じる人が皆、永遠の命を持ち、わたしが、その人を終りの日に復活させることである」と語りました。さらに、最後の晩餐の夜には、「わたしの父の家(=神の国)には、住む所がたくさんある。そうでなければ、あなたたちのために、場所を準備しに行くと言ったであろうか。 行って場所を準備したら、戻って来て、あなたたちをわたしにもとに連れて行こう。わたしのいるところに、あなたたちもいるようになるためである」と、約束しました。 そして、その後で、窮極の約束をあきらかにしました。「わたしが父に内におり、あなたたちがわたしの内におり、そして、わたしがあなたたちの内にいることを、その日、あなたたちは悟であろう」と。これは神の国に入ったときにはっきりと分る、神と人々が「完全に一つ」になるということです。 このことは、キリストの昇天の最後の言葉、「あなたたちは、行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。そして、父と子と聖霊にみ名に入れる洗礼を授けなさい」と命じた言葉のなかでも知ることができます。 名前というものは、名前をもっているものそのものを表わします。「み名に入れる」ということは、洗礼によって、キリストを信じる者となったすべての人々は、父と子と聖霊の三位一体の神の「いのち」に入る資格を得ることです。 神が独り子をこの世に送られたれたのは、「独り子(キリスト)を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るため」でした。しかも、その人びとを終りに日に復活させる、というキリストの約束がありました。 使徒パウロが言っているように、終りに日には、「顔の覆いを取り除かれて、わたしたちは皆、鏡のように主の栄光を映し出しながら、主の霊によって栄光から栄光へと、(復活の)主と同じ姿をもった者に変えられていくのです」。 このことは、神の栄光の中に入れられて行くひとびとの喜びの姿です。 『ヨハネの黙示録』21章は、神の国をつぎのように記しています。 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と先の地とは消え去り、もはや海もない。 わたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、神のみ元から出て天から下ってくるのを見た。 都は神の栄光に包まれていた。その輝きは、最も高価な宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。この都には大きな城壁があり、十二の門があった。・・・ 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。・・・ この都の中に神殿は見えなかった。万物の支配者で神である主と小羊とが、都の神殿だからである。 この都には、それを照らす太陽も月も必要がない。神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は都の光に照らされて歩み、地上の王たちは自分らの栄光を携えて都に来る。都の門は終日閉ざされることがない。そこには夜がないからである。 * ヨハネの黙示録は、このように神の国を描写していますが、このような人間が想像する視覚的な素晴らしさを超えて、神の国はこの世のでは経験できない、想像をはるかに超えた神の栄光の輝きのなかにある至福の喜びに満ちた神秘的な世界であろうと思われます。
by francesco1hen
| 2017-09-24 22:25
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人間は、いいものに出合ったり、文化や宗教の深い意味を知ったり、よい事に出合ったりすると、それを共有したり、それを人に伝えて喜びあったりしたくなります。「宜有千萬」(よろしく千萬あるべし)、《 シャローム・平安!》を あなたに。 by francesco1hen カテゴリ
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