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2017年 10月 10日

箱根仙石原(すすき)の風景

箱根仙石原の〈すすき〉は素晴らしい・・・ 。 その一語に尽きますね!


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清々しい空気とやさしい薄原にいやされて堪能し、満足して帰路についています。 (^_~)//。



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                詩編139 のことば(旧約聖書より)



          詩編 139 「常に人とともにいる神」


   神よ、あなたはわたしを心にかけ、 わたしの すべてを知っておられる。

   わたしが座るのも、立つのも知り、 遠くから わたしの思いを見通される。

  
   歩むときも、休むときも見守り、  わたしの行いを すべて知っておられる。

   くちびるに言葉が のぼる前に、  神よ、あなたはすべてのことを知っておられる。

  
   後ろからも、前からも、 あなたの手は わたしを守る。

   わたしを包む あなたの英知は 神秘に満ち、 あまりに深く、及びもつかない。


   あなたはわたしのからだを造り、 母の胎内で わたしを形造られた。

   わたしを造られた あなたのわざは不思議。 わたしは心から その偉大なわざを讃える。


   神よ、あなたの思いは きわめがたく、 そのすべてを知ることはできない。

   あなたのはからいは限りなく、 生涯、わたしは その中に生きる。




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by francesco1hen | 2017-10-10 11:40 | Comments(0)
2017年 09月 24日

ジョットによる「キリストの生涯とその福音の約束」(3)

[ 聖霊降臨から世の終り「最後の審判」まで ]

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        「聖霊降臨」(使徒たちの福音宣教が始まる = キリストの教会の成立)
        


 キリストが復活して後40日の間、イエスはしばしば弟子たちのところに現れていました。弟子たちとともに食事をしていた時、イエスは聖霊を送ることを集まっていた者に告げています。

「聖霊があなた方に降るとき、あなた方は力を受けて、エルサレムと全ユダヤとサマリア、および地の果てまで、わたしの証人となるであろう」と。 

 聖霊降臨は、ルカ福音記者によって書かれた『使徒行録』(2章1-13節)に、つぎのように記されています。

 五旬祭の日(キリストの復活から50日目)が来て、使徒たちが一つの所に集まっていた。そのとき突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家じゅうに響き渡り、炎のような舌が現れ、分れておのおのの上にとどまった。すると、みんなは聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、さまざまな他国の言葉で語り始めた。

 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国から来た敬虔なユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の者が集まって来た。その人々は、それぞれ自分の国の言葉で使徒たちが話すのを聞いて、あきれてしまった。そして驚き怪しんで、「・・・あらゆる国から来ている人が、わたしたちはそれぞれわたしたちの国の言葉で、あの人たちが神の偉大な業を語るのを聞こうとは!」と言った。人々は驚き、惑い、互いに、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。

                          
                             *


 人々の驚きが、活き活きと書かれています。キリストの教会は、この時から世界の地の果てまでイエスの福音を宣ベ伝えていきました。「キリストの教会の時代」が始まります。


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                  〈エル・グレコの聖霊降臨〉



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キリスト教の歴史観では、人類の歴史は三つの時代として考えられています。

(1)「旧約時代」(天地創造からキリスト降誕まで)
(2)「新約時代」(キリスト降誕からキリストの昇天まで)
(3)「教会の時代」(聖霊降臨から世界の終末まで)   

これを別の言葉でいうと次のようになります。

(1)「創造と救い」(旧約時代と新約時代)(神に似せられて造られた人間の罪からの解放)
(2)「救いの継続」(教会の時代から世界の終末まで)(十字架の救いが教会によって続けられる)
(3)「救いの完成」(終末のキリストの再臨・最後の審判)(人の体の復活と永遠の命・愛の完成)



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                 キリストの再臨・最後の審判

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             神の国に招かれた人々と墓から復活する人々

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                 神から離れ・魂が失われた者たち

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                 終末のとき再臨して審判を行なうキリスト


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                     天空に描かれた聖母子



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[ イエスの福音の約束 ]

 天地万物の創造に際して、人は神に似せられて造られました。「神に似せられて」ということは、人は神の本性に与ることができる存在であることを示しています。

 ところが、人祖アダムとエヴァが罪を犯して神から離れてしまったことにより、人間は神による「救い」が必要な存在となりました。この救いのために、メシア(救い主=キリスト)が、この世に人となって生まれイエスという名で福音を宣べ伝えることになりました。

 父である神が、メシア・イエスをこの世に送った理由について、「神は独り子をお与えになるほど、この世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである。・・・・・ 神がおん子をこの世にお遣わしになったのは、この世が救われるようになるためである」(ヨハネによる福音書 3・16-17)、と語っています。

 さらに、「じつに、わたしの父にご意志とは、子(イエス)を見て信じる人が皆、永遠の命を持ち、わたしが、その人を終りの日に復活させることである」と語りました。さらに、最後の晩餐の夜には、「わたしの父の家(=神の国)には、住む所がたくさんある。そうでなければ、あなたたちのために、場所を準備しに行くと言ったであろうか。 行って場所を準備したら、戻って来て、あなたたちをわたしにもとに連れて行こう。わたしのいるところに、あなたたちもいるようになるためである」と、約束しました。

 そして、その後で、窮極の約束をあきらかにしました。「わたしが父に内におり、あなたたちがわたしの内におり、そして、わたしがあなたたちの内にいることを、その日、あなたたちは悟であろう」と。これは神の国に入ったときにはっきりと分る、神と人々が「完全に一つ」になるということです。

 このことは、キリストの昇天の最後の言葉、「あなたたちは、行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。そして、父と子と聖霊にみ名に入れる洗礼を授けなさい」と命じた言葉のなかでも知ることができます。

 名前というものは、名前をもっているものそのものを表わします。「み名に入れる」ということは、洗礼によって、キリストを信じる者となったすべての人々は、父と子と聖霊の三位一体の神の「いのち」に入る資格を得ることです。

 神が独り子をこの世に送られたれたのは、「独り子(キリスト)を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るため」でした。しかも、その人びとを終りに日に復活させる、というキリストの約束がありました。

 使徒パウロが言っているように、終りに日には、「顔の覆いを取り除かれて、わたしたちは皆、鏡のように主の栄光を映し出しながら、主の霊によって栄光から栄光へと、(復活の)主と同じ姿をもった者に変えられていくのです」。

 このことは、神の栄光の中に入れられて行くひとびとの喜びの姿です。



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  『ヨハネの黙示録』21章は、神の国をつぎのように記しています。

わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と先の地とは消え去り、もはや海もない。
わたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、神のみ元から出て天から下ってくるのを見た。

都は神の栄光に包まれていた。その輝きは、最も高価な宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。この都には大きな城壁があり、十二の門があった。・・・ 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。・・・ この都の中に神殿は見えなかった。万物の支配者で神である主と小羊とが、都の神殿だからである。

この都には、それを照らす太陽も月も必要がない。神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は都の光に照らされて歩み、地上の王たちは自分らの栄光を携えて都に来る。都の門は終日閉ざされることがない。そこには夜がないからである。


                             *


ヨハネの黙示録は、このように神の国を描写していますが、このような人間が想像する視覚的な素晴らしさを超えて、神の国はこの世のでは経験できない、想像をはるかに超えた神の栄光の輝きのなかにある至福の喜びに満ちた神秘的な世界であろうと思われます。


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by francesco1hen | 2017-09-24 22:25 | Comments(0)
2017年 09月 19日

ジョットによる「キリストの生涯とその福音の約束」(2)

[ イエスの洗礼からキリストに昇天まで ]

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       キリスト・イエスが、洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受ける。


この時からのことを、最も早い時期に書かれたマルコによる福音書は、つぎのように記しています。


イエスが水の中からあがると、天が開け、「霊」が鳩のように自分の上に降ってくるのをごらんになった。そして、天から声がした。「あなたはわが愛する子、わが心にかなう者である」。         
「霊」はイエスをすぐに荒れ野に追いやった。イエスは四十日の間そこに留まり、サタンに試みられ、野獣の住む所におられたが、天使たちがイエスに仕えていた。                    

 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。                         

 ここにイエスの福音宣教の第一声が発せられました。「悔い改めて」は、世俗的な富に気を奪われていないで、もっとも価値のある神の国に入ることを大切にしなさい、ということです。          


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        カナの婚礼の席で、イエスが最初の奇跡を行なう。(水が良いぶどう酒に変わる)

このあとで、イエスはさまざまな病人を癒したり、人々に福音を宣ベ伝えていく日々を過ごします。


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         ラザロの復活

 エルサレムの近くのベタニアに、ラザロとその姉妹マルタとマリアがいました。イエスはこの家によく立ち寄り、ラザロはイエスの親友でした。イエスがいない時ラザロは病気で死に、すでに埋葬されていました。マルタの訴えで、イエスは墓の前まで行き、ラザロを復活させました。ラザロは人間のうちで最初に復活したので、このことは、人々の「希望」となりました。



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         イエスのエルサレムへの入城

イエスの福音を伝える仕事もいよいよ最終的段階を迎えます。この週にはイエスの受難が始まります。

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            エルサレムの神殿で、イエスは商人たちを追い出す。(上)
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    最後の晩餐の前に十二使徒の一人ユダはイエスを裏切り、大祭司のところに行きました。

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         ユダの後ろには、不気味な悪魔の姿が見えます。 二人の表情に注目。

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         最後の晩餐(愛の晩餐)

この夜、イエスは、おおくの時間をさき、愛について徹底的に話しました。それで「愛の晩餐」と呼ばれます。なかでも「新しい掟」を与えたことは大事なことでした。

「新しい掟」とは、「わたしがあなたたちを愛したように、互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である。友のために命を捨てること、これ以上の愛はない」とイエスは命じました。

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          晩餐の時、弟子の足を洗うイエス

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足を洗う意味はつぎのことを理解されるためでした。「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人の贖いとして、自分の命を与えるためである」。(マタイ 20・28)


また、晩餐の夜イエスは、イエスを愛る人にたして約束をしました。

その窮極の約束は、「わたしが父のうちにおり、あなたたちがわたしのうちにおり、そして、わたしがあなたたちのうちにいることを、その日、あなたたちは悟であろう」という言葉でした。

「その日」というのは、神の国に入ったときのことです。神の国に入るということは、この言葉からわかるように、神である父と子と人が、「完全に一つ」になっていることです。


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         ゲッセマネの園の祈りの後の、「イエスの逮捕」

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        ユダが「ラビ(先生)平安を!」と接吻するのを合図に、逮捕が行なわれました。
        迫真的な場面です。ジョットの傑作中の最高傑作です。キリストに最も近づいた画家
        といわれるのはこのような描写をしたからでしょうか。

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          イエス、大祭司から尋問を受ける

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          イエス茨の冠をかぶせられ、人々から侮辱を受ける

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             イエス十字架を担う、ゴルゴタへの道を歩む

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      イエス、十字架に付けられる 母とヨハネが立ち、マグダラのマリアが跪いている
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         イエス十字架から降ろされる(十字架降下)

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          聖母マリアの悲しみ(ピエタ)・(十字架降下)

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      「キリストの復活」 「ノリ・メ・タンゲレ」(わたしに縋り付くのはよしなさい)



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           復活の40日後、オリベト山からの「キリストの昇天」


昇天するとき遺した最後の言葉は、「あなたたちは行って、すべての国々の人々を弟子にしなさい。ー 父と子と聖霊のみ名に入れる洗礼を彼らの授け、わたしがあなたたちに命じたことを、すべて守るように教えなさい。わたしは世の終りまで、いつもあなたたちと共にいる」でした。

「インマヌエル」(神は共にいます)と預言されたイエスは、地上から去っても「世の終りまで、いつも共にいる」と約束したのでした。




                          *





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by francesco1hen | 2017-09-19 22:45 | Comments(0)
2017年 09月 18日

ジョットによる「キリストの生涯とその福音の約束」(1)


《 三人の偉大なイタリア人 》

13・14世紀のイタリアは、3人の偉大な人物を生みだしました。それは、清貧の聖人アシジのフランチェスコ と 詩人ダンテ と 画家・建築家のジョットです。

聖フランチェスコは、二人に大きな影響を与えました。ダンテは、その『神曲』の中で聖フランチェスコをしばしば讃えています。ジョットは、いくつかの《聖フランチェスコ伝》を残しています。また、ダンテは、友人ジョットのために、その錬獄編第十一歌で「チマブーエは画壇の不朽の地位を保とうとした。今やジョットが登場して人気を博するようになると、チマブーエの名声はかすんでしまった」と歌っています。そして、ジョットは、美しいダンテの横顔の肖像を残しています。

ダンテとジョットが活躍した クワトロチェント=14世紀は、イタリア・ルネサンス初期の新しい時代です。「キリストに最も近づいた画家」といわれたジョットの画業は、《荘厳の聖母子》《キリストの生涯》《聖フランチェスコ伝》などのフレスコ画が代表的な作品です。


                             *
              



これから紹介するのは、北イタリア パドヴァのスクロヴェー二礼拝堂に描かれた「キリストの生涯」の壁画です。スクロヴェーニは、パドヴァの悪名高い高利貸しでした。それで彼の死後、息子が礼拝堂を神にささげて、父親の罪滅ぼしをしたと言われています。

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           スクロヴェーニ礼拝堂の正面外観(西に面しています)



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祭壇から見た内部「最後の審判」の壮大な壁画が見えます。


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天空が描かれた天井  中央には パントクラトール「天地万物の支配者」が描かれています。


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              入口から見た内部正面 (中央奥は祭壇)



[ 受胎告知から神殿の少年イエスまで ]

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               「受胎告知」する大天使ガブリエル

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         大天使ガブリエルから「お告げ」を受ける処女(おとめ)マリア

受胎告知によって、神が人間の体をマリアから受けて人の世に住むようになりました。
このことを「受肉」incarnation といいます。「託身」ともいいます。


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            上は「幼子イエスの降誕」  (下は「最後の晩餐」)


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                幼子とその母マリアとヨセフ

幼子はヨシュアと名付けられました。ヘブライ語でヨシュアは、よくある名前で「神は救い」という意味で、ギリシア語では「イエソス」、これがイエスと言われるようになりました。


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         東方の三人の博士の礼拝(マギの礼拝)ー 主の公現


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         エジプトへの避難(ヘロデ王の嬰児虐殺を避けるため)

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            マリアの厳しい表情が印象的です。


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         ヘロデ王による嬰児虐殺

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             イエスの神殿奉献(エルサレムの神殿で)


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          エルサレムの神殿で学者たちと話す少年イエス(12才のとき)


ルカによる福音書は、神殿で学者たちと話したことがあってからのことを、「それからイエスは、両親とともにナザレに下って行き、二人に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをことごとく心に留めていた。イエスは知恵もまし、背丈も伸び、ますます神と人に愛された」と記述しています。


                           *


イエスの誕生からヨルダン川で洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受けるまでを、イエスの私生活としています。イエスが洗礼を受けてからは、イエスの公生活と言います。つまりイエスが世に出て福音を宣教する時代が始まります。















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by francesco1hen | 2017-09-18 22:16 | Comments(0)
2017年 09月 02日

東方キリスト教会の12祝祭

《 東方キリスト教会の12祝祭 》

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マリアへの受胎告知         キリストの降誕     

            十字架降下              キリストの埋葬



「東方キリスト教会」について少し説明しておきます。

古代ローマ帝国の支配領域であった地中海を囲む地域を「古代地中海世界」といいます。その世界は4世紀以後キリスト教の地域になっていました。この地域ではアドリア海を境に、東はギリシア語圏と西はラテン語圏に分れており、東はキリスト教徒が多く、西は少なかったのですが、ペトロの後継者であるローマの司教がカトリック教会の中心(教皇)として存在していました。

ところが、1054年に東西教会は決定的に分離され、西は「ローマ・カトリック教会」、東は「ギリシア正教会」と呼ばれるようになりました。

1453年東ローマ帝国がオスマン・トルコ帝国によって滅ぼされると、1480年には、モスクワ大公国がモンゴル支配から自立し、1547年にはロシア帝国になり、ローマ帝国の後継者を自認し、宗教的には「ロシア正教」となりました。

ギリシア正教会とロシア正教会では、皇帝が宗教の長の地位も兼ねることから「皇帝教皇主義」といわれています(ローマ・カトリック世界では、皇帝権と教皇権はそれぞれ独立しています)。

このギリシア正教会とロシア正教会のすがたは東欧諸国でも見られます。この伝統を受けついだ東ヨーロッパのキリスト教を総称して「東方キリスト教会」と呼んでいます。


ギリシア正教会とロシア正教会を中心に東方キリスト教会では、大切な祝祭として「12の祝祭」が盛大に行われます。それは絵画(イコン)的にも優れた表現を見ることができます。


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            受胎告知            キリストの降誕


            幼子の神殿奉献         キリストの洗礼


            キリストの変容         ラザロの復活   



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            エルサレムへの入城         キリストの磔刑


          復活後古聖所に下り死者を復活させる   キリストの昇天        


            聖霊降臨             聖母マリアの死(眠り)


    以上のが「12祝祭」の一つの例です。所によって祝祭の入れ替えがある場合があります。
    つぎに優れたイコンによる祝祭の表現を見てみます。


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            おとめマリアが、天使ガブリエルから聖霊による受胎を告げられます。


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           キリストの降誕のようす  《降誕祭》

 
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            東方の三人の博士の礼拝  《キリストの公現祭》

       キリストが公に現れたとして、東方キリスト教会では、クリスマスより盛大に祝われます。



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         洗礼者ヨハネからキリストが、ヨルダン川で洗礼を受ける。《キリストの洗礼》


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            《キリストの変容》


イエスが三人の弟子たちを連れて、タボール山に登ったとき、イエスの姿が変わり、衣服はまっ白に輝きました。そして、エリアがモーセとともに現れ、二人はイエスと語り合っていました。すると、雲の中から声が聞こえ、「これはわたしが愛する子。彼に聞け」と。弟子たちはすぐに周囲を見渡しましたが、自分たちとともにいるイエスの他には、だれも見えませんでした。

モーセは律法の教えを、エリアは預言者の教えのすべてを表わしています。神の声は、キリストが律法と預言の教えを完成する者であることを示しています。「キリストの変容」は、「キリスト教の内的成立」を意味しているといわれています。これに対して、「キリスト教の目に見える外的成立」は、復活後50日目の「聖霊降臨」のときであるといわれています。


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            キリストの磔刑   《キリストによる十字架の救い》


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        《キリストの復活祭》  キリストは、復活ご最初にマグダラのマリアに現れる



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         《キリストの昇天祭》   復活後 40 日目に、キリストは昇天しました。


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           《聖母マリアの眠り》   

        死を「眠り」と言っています。マリアは、天に挙げられキリストの抱かれています。


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          キリストの「聖顔布」  (これは描かれた物ではない、と注意書きされています)

これはイエスが十字架を担いでカルワリオの丘に進んでいったとき、ヴェロニカという女性が、イエスに汗を拭くようにと布を渡しました。イエスはこれを受けて汗を拭きました。すると、返された布には、奇跡的に「キリストの顔」が写っていました。それでこの顔が伝えられて「聖顔布」と呼ばれるようになりました。


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              《パントクラトール》


ギリシア正教会の重要な「キリストのイメージ」は、「パントクラトール」です。それは「天地万物の支配者」という意味です。

ちなみに、皇帝は「コスモクラトール」(世界の支配者)です。神はそれを超える「宇宙の支配者」というわけです。



                         *****






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by francesco1hen | 2017-09-02 17:04 | Comments(0)
2017年 08月 23日

聖書の言葉シリーズ(12) キリスト昇天 最後の言葉                      「世の終りまで、いつもあなたたちと共にいる」          


「わたしは世の終りまで、いつもあなたたちと共にいる」                       

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        ジョット 〈キリストの昇天〉 (スクロヴェーニ礼拝堂の壁画)


マタイによる福音書は、キリストが昇天するときの最後の言葉をつぎのように記しています。

「あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。そして、父と子と聖霊のみ名に入れる洗礼を彼らの授け、わたしがあなたたちに命じたことを、すべて守るように教えなさい」。

そして最後に、  「わたしは世の終りまで、いつもあなたたちと共にいるのである」。 記しています。
                               (マタイによる福音書 28章19-30節)

「父と子と聖霊のみ名に入れる」の(み名に入れる)という表現は、名は、名そのものを表わしています。したがって「入れる」は、神の本性に与らせる、という意味になります。つまり「神そのものに入れる」「神と一つになる」ことです。それが、信仰に入る「洗礼」です。


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               ロマネスク時代の「キリストの昇天」の挿絵 (素朴さを感じます)


「いつもあなたたちと共にいる」にちなんで、マタイによる福音書の1章19−25節の言葉が対照的であることを見ましょう。


ヨゼフは、婚約していたマリアが身ごもっていたのでひそかに離縁しようかと思っていました。ヨゼフがこのように考えていると、天使が夢に現れて言いました。

「ダヴィでの子孫ヨゼフよ、妻マリアを家に迎えるのを恐れるな。その胎内に宿されているのは、聖霊によるのである。マリアは男の子を産む。あなたはその子をイエスと名づけよ。その子は自分の民を罪から救う方だからである」と。これは預言者をつうじて言われたことが成就するためである。預言者は言っている。

「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」と。

「インマヌエル」は、「神はわれわれと共にいます」という意味です。

昇天のときイエスが残した言葉「わたしは世の終りまで、いつもあなたたちと共にいる」は、イエスがいつも「インマヌエル」であることを明らかにしています。マタイによる福音書の始めと終りは、不思議にも同じような言葉があることに気が付きます。


「イエスと名づけなさい」の「イエス」は、ギリシア語化された名前です。ヘブライ語では、「ヨシュア」という、よくある男の子名前です。その意味は「神ヤーウェは救う」です。 ヨシュア = イエス です。



                             *




  ついでに加えると、「キリスト」は、ギリシア語化された言葉で「救い主」という意味です。

  ヘブライ語やアラム語では、「マシア」「メシア」で、これがギリシア語化されて「キリスト」になりました。

  日本では「救い主キリスト」と、わかりやすく表記されます。

  しかし、意味的には、「救い主・救い主」や「キリスト・キリスト」になりますね。(^_~)/。

                     

                             *



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           ジョット 「世の終り最後の審判」(部分)  (スクロヴェーニ礼拝堂西の壁画)

            この部分は別名で「父の右座のキリスト」です。







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by francesco1hen | 2017-08-23 12:15 | Comments(0)
2017年 08月 22日

聖書の言葉シリーズ(11) 復活したキリストの言葉 「ノリ・メ・タンゲレ」              と「エマオのキリスト」              

「ノリ・メ・タンゲレ」                                      

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         ジョット 〈復活のキリスト〉



週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行き、墓から石が取りのけてあるのを見ました。そこで弟子のペトロとヨハネのところへ走っていき、「だれかがわたしの主を墓ら取り去りました。何処においたのかわたしには分りません」と告げました。二人の弟子が走って行き、墓に入ってみると、イエスが包まれていた亜麻布が平らになっていました。イエスはそこにはいなかったのです。


さて、マグダラのマリアは墓の外に立って泣いていました。泣きながらも、身をかがめて墓の中をのぞき込むと、イエスの遺体が置かれていた場所に白い衣を着た二人の天使が座っているのが見えました。天使たちは、マリアに「婦人よ、なぜ泣いているのですか」といいました。マリアは「誰かがわたしの主を取り去りました。どこへ置いたのか、わたしには分りません」と答えました。

こう言って後ろを振り向くと、そこにイエスが立っていました。しかし、その人がイエスであることには気が付いていませんでした。イエスは「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」と尋ねました。マリアは園の番人だと思って、「あなたが、もしあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか、教えてください。わたしが引き取ります」と言いました。

それに答えて、イエスは「マリア!」と。マリアは振り返って、思わずヘブライ語で「ラボニ!」(先生!)と呼びかけて近寄りました。

これにイエスは応えて、「ノリ・メ・タンゲレ!(縋り付くのはよしなさい)。わたしは、まだ父のもとに上っていないのだ。わたしの兄弟たちのところへ行ってこう伝えなさい。『わたしの父であり、あなたたちの父でもある方、また、わたしの神であり、あなたたちの神でもある方のもとへ、わたしは上って行く』」。

マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、「わたしは主を見ました」と言い、イエスから言われたことを弟子たちに告げました。


                            *


マグダラのマリアは、以前にイエスから七つの悪霊を追い出してもらった婦人です。以来イエスに従って、十字架の下に最後までたたずんで、イエスを主と仰ぎ愛していた女性でした。イエスはこれに応えて、復活ご最初にマグダラのマリアに現われた、と聖書に書かれています。

               (この話と言葉は、ヨハネによる福音書 20章1-18節にでています。)


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          フラ・アンジェリコ  〈ノリ・メ・タンゲレ〉

この壁画は、ヴェネティアのサン・マルコ修道院の修室(個室)に描かれた、修道士の黙想を助けるためのものです。フラ・アンジェリコらしい、ルネサンス時代の美しい絵画です。



                             *



「エマオのキリスト」

キリストが復活したちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから60スタディオンはなれたエマオという村に向かって歩いて行きながら、最近の出来事を話し合っていました。

するとイエス自身が近づいてきて、いっしょに歩き始めました。しかし、二人の目はさえぎられていて、この人物がイエスであることに気が付きませんでした。

イエスは二人に、「あなたがたが歩きながら話し合っているその話はなんの事ですか」とたずねました。二人は暗い顔をして立ち止まって、「エルサレムに滞在しながら、近ごろ起った事を、あなたはご存じないのですか」と話ました。

イエスが「それはどんな事ですか」とたずねると、二人は「ナザレのイエスの事です。この方は十字架に付けられてしまったのです。そのことがあってから今日でもう3日目です。葬られた墓にその方は見当たりませんでした」。

そこで、イエスは、「メシアは、必ずこのような苦しみを受けて後、栄光に入るはずではなかったか」と、モーセから始めて、すべての預言者が、メシアについて聖書全体にわたって書いてある事を、二人に説明しました。そろそろ夕刻になっていたので、二人はイエスを無理に宿にさそい、食卓につきました。

食卓についてから、イエスはパンを取り、賛美をささげて、手で分け、二人に渡しました。すると、二人の目があけて、その人がイエスだと気付きました。でもその時、イエスのすがたは見えなくなっていました。

二人は「あの方が道々話しかけ、また、聖書を説き明かされたとき、わたしたちの心の内は燃えていたではないか」と互いに語り合いました。

そして、時を移さずエルサレムに引き返してみると、十一使徒とその仲間が集まっていて、「主は本当に復活して、ペトロのお現れになった」と話していました。そこで二人も旅の途中で起った事や、パンを手で分けたとき、イエスだと分った次第を物語りました。

                (この話と言葉は、ルカによる福音書 24章13-35節に出ています。)



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                レンブラント 〈エマオのキリスト〉

    この作品は、古くから美術の教科書などでよく見かけました。ご記憶の方もあるかと思います。




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           エル・グレコ 〈復活したキリスト・イエス〉


キリストが復活した神秘の瞬間を見た者はいません。画家は、復活はこのようであったであろうと、イマジネーションをもとに、このように描いたと思われます。



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by francesco1hen | 2017-08-22 18:11 | Comments(0)
2017年 08月 20日

聖書の言葉シリーズ(10) ふしぎな言葉「あなたたちがわたしのうちにおり」            



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      レンブラント 〈最後の晩餐〉 これはエスキースで、最後まで完成作品は描きませんでした。



「最後の晩餐」の夜、イエスは愛について徹底的に話しました。それで、この晩餐は「愛の晩餐」ともいわれます。ここでイエスは、弟子たちにふしぎな言葉を語りました。


「わたしが父のうちにおり、あなたたちがわたしのうちにおり、そして、わたしがあなたたちの内にいることを、その日、あなたたちは悟であろう」。         (ヨハネによる福音書 14章20節)


その日とは、神の国に入ったときです。これは一体どんなことでしょうか?。この言葉の後、しばらくして、イエスはぶどうの木の話をしました。その話は長いのですが、短くすると、「わたしはぶどうの木であり、あなたたちは枝である。人がわたしの内に留まっており、わたしもその人のうちに留まっているなら、その人は多くの実を結ぶ」ということが骨子です。

そして晩餐が終わってから、イエスは、三人の弟子を連れてゲッセマネの園で、父である神に祈りました。その時の祈りの言葉から「ふしぎな言葉」の意味が少し分ります。


ゲッセマネの園の祈りの言葉(その一部)、「どうか、皆を一つにしてください。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、彼らもわたしに内にいるようにしてください。・・・・・ わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです」。


「わたしたちが一つであるように」というのは、父と子と聖霊の「三位一体の神」のことです。愛というものは、二つ以上のものが一つになることです。神が「完全に一つ」であるように、神の国に入った者が、神と「完全に一つ」になることです。「神の国」は、「三位一体の神」そのものです。だから、「神の国に入る」ということは、「神の命に入る」ということです。


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           北イタリアの「アルベンガ洗礼聖堂」の天井のモザイク〈天空の三位一体の神〉 

Xpi の記号はキリストを表わし、鳩は聖霊を。Xpi が三重になっているのは、「三位一体」を表わしています。



                             *



「ふしぎな言葉」は、人と神が「完全に一つ」になることを言葉で表しているのです。このことは「愛の完成」という言葉でも表わされることがあります。





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by francesco1hen | 2017-08-20 17:43 | Comments(0)
2017年 08月 20日

聖書の言葉シリーズ(9) 有名な「全世界を手に入れても」と「一粒の麦」            

「全世界を手に入れても」

ある人々のとっては衝撃的な言葉。たとえば、金融的テクニックを使って巨万の富を築いている人々にとっては、そうなるかもしれません。人々は、普段はそんなことを気にかけてもいないでしょう。しかし、この言葉によって、人生観を根底から変えて新しい生き方をした人々もいました。


イエスは、弟子たちに告げました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架をになって、わたしに従いなさい。自分の命を救おうと望む者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、それを得る。たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったならば、なんの益になろうか」。
                              (マタイによる福音書16章24-26節)


この「全世界を手に入れても、自分の命を失ったならば」の「命を失う」は、魂が滅びて「永遠の命」に入ることができない、という意味です。来世の「永遠の命」の価値は、地上のどんな富よりも、はるかに大きいものであると、全世界よりも大切な「永遠の命」のことを強調しています。



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この言葉によって、人生を変えた人が、イグナチウス・デ・ロヨラとフランシスコ・ザヴィエルです。
ロヨラはスペイン貴族出の野望に充ちた軍人でした。ある戦争で傷つき病床でこの言葉に出会い、イエズス会という修道会を仲間とともに設立しました。15・6世紀のイエズス会の活躍は、歴史の上でよく知られています。
日本に馴染みの深いその一人がフランシスコ・ザヴィエルです。ザヴィエルは、ご存知のように、インドから宣教師として、初めて日本にキリスト教を伝えた人です。この時から、日本のキリシタン史が始まりました。1549年のことでした。



「一粒の麦」
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「全世界を手に入れても」に似ているのが、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ」の言葉です。

「もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、死ねば、豊かに実を結ぶ。自分の命を大切にする者は、それを失い、この世で自分の命を顧みないものは、それを保って永遠の命に至る」。

「わたし(神の子)に使えようとする者はわたしに従え。そうすれば、わたしのいる所に、わたしに仕える者もいることになる。父(である神)は、わたしに仕えようとする者を、大事にしてくださる」。
                                    (ヨハネによる福音書 12章24-26節)


生と死に関するこの麦粒の比喩は、イエス自身の死の意味とキリストを信じる者に適用されます。「豊かに実を結ぶ」は、「永遠の命に至る」ことです。全世界の富にも勝るもの、それは「永遠の命」であり、父である神が大事にして、その「いのち」の中に入れてくださるのです。

それを可能にしたのは、イエスの十字架の死による救いです。一粒の麦が地に落ちて死んだのは、すべての人が、豊かに生きる(永遠の命の)ためであったのです。


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                エル・グレコ  〈十字架上のキリスト〉



「全世界を手に入れても」と「一粒の麦」の言葉がしめすのは、この世の富を命とする者に比べると、来世の命を大切にする者の幸福は、はるかに偉大であるということが語られています。



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by francesco1hen | 2017-08-20 10:36 | Comments(0)
2017年 08月 15日

聖書の言葉シリーズ(8) 「人を裁いてはならない」と「人のあやまちを赦せ」            

「姦通の女」の記述を読むとき、わたしたちは、ルカによる福音書の「人を裁いてはならない」というイエスの「裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれない。人を罪びとに定めてはならない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(6章37節)という言葉を思い出します。

これと同時に想い起こされるのは、マタイによる福音書18章21-35節の「人のあやまちを赦せ」という記述です。そのとき弟子のペトロがイエスのところに来て、「主よ、兄弟がわたしに罪を犯した場合、何度赦さなければなりませんか。七回までですか」と言いました。イエスはこれに答えて、「あなたに言っておく。七回どころか、七の七十倍までである」と。・・・・そして、最後に「わたしの天の父も、もしあなたたちの一人が、自分の兄弟を心から赦さないならば、あなたたちと同じようになさるであろう」と結びました。

イエスは、赦すことは、恵みに充ち憐れみ深い神の御心であると諭し、同時に、人も他の人の過ちを赦すべきことを強く教えています。
      
イエスは、 姦通の罪を犯した女を裁かず、罪に定めませんでした。イエスに赦されて救われた女は、深い喜びを心に抱きながら、新しい人生を送ったに違いありません。


7の70倍は、490です。この数にちなんだ珍しいものがあります。カトリック藤沢教会の祭壇背後には、7の70倍までも「赦しなさい」という意味深い490の「木片モザイク」の装飾がほどこされています。

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         カトリック藤沢教会の珍しい八角形の聖堂



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救い主イエスに赦された例はたくさんあります。ゴルゴタの丘で、イエスの左右に磔にされた犯罪人の回心の例が有名です。

十字架にかけられた犯罪人の一人が、冒涜の言葉を吐いて、「お前はメシアではないか。自分とおれたちを救ってみろ」と叫びました。すると、もう一人の犯罪人がこれをたしなめて、「お前は同じ刑罰を受けていながら、まだ神を恐れないのか。われわれは自分のやったことの報いを受けるのだから当たり前だが、この方は何も悪いことをなさっていないのだ」と言い、「イエスさま、あなたが神の国に行かれたときには、どうかわたしを思い出してください」と願いました。イエスは、「あなたによく言っておく、今日、あなたはわたしとともに楽園にいるであろう」と告げました。

極悪の犯罪人も悔い改めることによって罪を赦され、神の国(楽園)に招かれたのです。この赦しは、イエスによる赦しのすばらしい結末といえましょう。この犯罪人は、最高の喜びの栄光「神の国」のうちに迎えられたのです。

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             ルーベンス  ゴルゴタの丘のイエスと犯罪人









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by francesco1hen | 2017-08-15 22:32 | Comments(0)