家田足穂のエキサイト・ブログ

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2011年 06月 25日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(16)

時宗総本山 清浄光寺(遊行寺) 藤沢市

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神奈川県藤沢市 一般には、遊行寺と呼ばれている清浄光寺と大銀杏



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遊行の一遍上人 「南無阿弥陀佛」の念仏札を配り歩いた姿です。
 



                       *


「断捨離の本家」聖フランチェスコと一遍上人 のシリーズはこれでおわります。

皆さんの訪問に感謝いたします。これからも「家田足穂のエキサイト・ブログ」をよろしく。



 
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by francesco1hen | 2011-06-25 14:55 | Comments(0)
2011年 06月 25日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(15)

アシジのサン・フランチェスコ大聖堂

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大聖堂上堂の正面と上堂身廊(内部は色彩豊かなゴシック様式)

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大聖堂下堂の祭壇部分と天上の聖フランチェスコを讃える壁画
および、地下聖堂の聖人の墓所


大聖堂は、典型的なロマネスク様式の美しい建築です。この大聖堂は1292年に教皇グレゴリウス9世によって建立されました。大聖堂は、上・下・地下の三層からできています。
地下聖堂は1228年に建てられ、下堂は1253年教皇イノケンティウス4世によって建てられました。



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この絵は、ジョットの師チマブーエによって描かれたもので、生前のフランチェスコに最もよく似ていると言われています。(聖フランチェスコ大聖堂下堂の「天使と聖フランチェスコ」の絵の部分)
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by francesco1hen | 2011-06-25 14:44 | Comments(0)
2011年 06月 25日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(14)

一遍上人の臨終

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『一遍聖絵』第十二巻三段 「一遍の臨終を悲しむ道俗たち」


正応ニ年(1289)八月十日朝、所持の書籍経巻を焼却して、「一代聖教みなつきて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」と、釈迦一代の教えは六字名号に尽き果てたと述懐しました。

二十三日朝、時衆たちの看病もむなしく、朝の礼賛の念仏が唱えられる中で、一遍は瞑想するかのように往生しました。「彼の五十一年の法林、すでにつきて一千余人の弟葉むなしくのこれり。恩顔かえらず、在世にことなるは四衆恋慕のなみだ、教誡ながくたえぬ。平生におなじきは六時念仏の音ばかりなり」と『聖絵』は伝えています。

絵図「一遍の臨終を悲しむ道俗たち」は、釈迦涅槃図のように一遍を中心にすぐれた群衆描写によって展開されています。ここに一遍は、一期十六年の遊行の生涯を終えたのです。



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                    熊野権現影向図 (神奈川県・正念寺)

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                  熊野観心十界曼荼羅図 (滋賀県・興善寺)

上は、那智浜に現出した阿弥陀如来、すなわち熊野権現のご神体を拝する奇瑞を描いたものです。
下は、来世を知らない人々に、仏法を勧めるための絵解きとして描かれたものです。
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by francesco1hen | 2011-06-25 14:15 | Comments(0)
2011年 06月 25日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(13)

フランチェスコ、ラ・ヴェルナ山で「聖痕」Stigma を受ける

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ジョット 聖痕を受ける聖フランチェスコ (サン・フランチェスコ大聖堂上堂)


1224年9月14日、聖十字架の祝日の朝、ラ・ヴェルナ山で兄弟から離れ、ひたすら祈りに没頭していたフランチェスコは、6枚の羽をもったセラフィム天使の形をした十字架のキリストを見たのです。しばらくすると自分の身体の上にキリストの五つの傷「聖痕」が残されているのを知りました。

愛の証しである「十字架のキリスト」に対する彼の傾倒は生涯を貫くものでした。この「聖痕」は、キリストの足跡に完全に従ったフランチェスコが、完全にキリストに同化したという徴でした。彼の「回心」の生活は生涯の終りに、ついにキリストに同化することで頂点に達したのです。

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ピエトロ・ロレンツェッティ 聖痕を受けるラ・ヴェルナの聖フランチェスコ
                  (サン・フランチェスコ大聖堂下堂)


聖フランチェスコの死  第二のキリストの発見

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聖フランチェスコの死 (サン・フランチェスコ大聖堂下堂)


1226年10月3日、フランチェスコは「清貧の聖人」誕生の地、ポルチウンクラで兄弟たちに最後の訓戒を与え、詩編142番「声を上げ、主に向かって叫び」を唱えた後、多くの兄弟たちやアシジの市民に見守られながら、44歳の生涯を閉じました。

死の直後、兄弟たちは、師父フランチェスコの願いにより、キリストが十字架から降ろされた大地に横たえられたように、彼の遺体を小一時間ばかりのあいだ土の上に横たえました。

これを見て、人々はフランチェスコのことを「ウンブリアのキリスト」と呼びました。後年これが広がり、キリストに最も近づいたフランチェスコのことを「第二のキリスト」と呼ぶようになりました。
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by francesco1hen | 2011-06-25 10:15 | Comments(0)
2011年 06月 24日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(12)

一遍聖の社会活動 「乞食・非人」とともに

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『遊行上人縁起絵』 第三巻一段 「尾張国甚木寺」


大衆に飲食を施す一遍聖 人々を救済するところが描かれています。時衆の社会的活動を具体的に示すものです。背景を省き明快な画面、橙色をおおく用いる色調などは室町絵巻の特徴です。

一方、『一遍聖絵』の絵図の中で必ず描かれている「乞食・非人」の救済は一遍にとって欠かすことができなかったことです。例えば、『聖絵』第二巻の四天王寺の乞食・非人小屋、『聖絵』第五巻の鎌倉入りのとき、随従する乞食・非人が追われる場面、『聖絵』第七巻の関寺門前にたむろする乞食・非人、市屋道場の踊屋の下にうずくまっている乞食などその姿は多く見られます。

別の記録によると、九州遊行に際して、一遍は身体に障害があり非人とされた人々に食事を施し、これらの人々を連れて遊行していました。また、鶴見岳に温泉を開き、足の悪い者やハンセン病患者たちのための治療に当たっていたこともありました。

これらの人々にも、一遍は喜んで念仏を勧めました。乞食、非人、ハンセン病患者など世間から見放されてきた人々を一遍は救ってきたのです。彼らからすれば、一遍は生き仏のような存在であったと思われます。一遍聖として慕われてきたのも、こういうことがあったからです。

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by francesco1hen | 2011-06-24 22:51 | Comments(0)
2011年 06月 24日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(11)

聖フランチェスコと第三会員の聖人(在俗の修道的生活者)

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シモーネ・マルティーニ 聖フランチェスコとトルーズの聖ルドビコ司教
                (サン・フランチェスコ大聖堂下堂)


フランチェスコは修道院に入ることの出来ない人でも世俗の生活の中で、フランチェスコと同じ清貧の精神で生活しようとする人々が大勢いることを知って、「フランチェスコ第三会」を作りました。その第三会員の中から聖人になった人々がいました。聖フランチェスコの隣に描かれているトルーズの聖ルドビコ司教はその一人でした。

男子の修道会を第一会「小さき兄弟会」(フランシスコ修道会)と言います。女子の修道会を第二会
「貧しき婦人たち」(聖クララ会)、世俗の男女には「償いの兄弟・姉妹の会」(在俗フランシスコ第三会)と三分類の修道会があります。

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by francesco1hen | 2011-06-24 16:25 | Comments(0)
2011年 06月 24日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(10)

京都四条京極釈迦堂と市屋道場の「踊り念仏」の盛況

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『一遍聖絵』第七巻 京極釈迦堂の「踊り念仏」

弘安七年(1284)一遍らは四条京極の釈迦堂に入りました。再び訪れた京における念仏勧進や踊り念仏は、都の人々から喝采をもって迎え入れられました。一遍の弟の聖戒が書いた『聖絵』の詞書は、「七年閏四月十六日、関寺より四条京極の釈迦堂に入り給ふ。貴賤上下群れをなして、人はかえり見る事あたわず、車はめぐらすことをえざりき」と大混雑を呈した様子を記しています。

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『一遍聖絵』第七巻 「市屋一遍聖道場之図」

絵師法眼円伊が描いたこの絵での「踊り念仏」の場面は、群衆描写の出色の絵図といわれています。
これについては、ブログ・シリーズ 「捨てる」という霊性(11) 2011年5月12日に詳しく、その「踊り念仏」のようすを絵を見るような文章で紹介しました。

京極釈迦堂と市屋道場の「踊り念仏」はその頂点を示すものでした。その後の踊り念仏は『聖絵』の詞書きはなく、弘安九年(1286)、鉦や念仏の声が風に乗って聞こえるような淀の植野の「踊り念仏」の場面と正応ニ年(1289)、淡路の二の宮の社殿前の松林で行われた「踊り念仏」を絵図で伝えているだけです。

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by francesco1hen | 2011-06-24 15:26 | Comments(0)
2011年 06月 23日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(9)

サン・ダミアーノ、ここで聖クララは41年間の修道生活を送りました

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写真は、サン・ダミアーノの修道院とその中庭。

サン・ダミアーノの聖堂で、フランチェスコは十字架からの「キリストの声」を聞いて、聖堂の修復の仕事を始め、1206年には「財産放棄」を宣言して、聖書の言葉に忠実にに従う生活に入りました。フランチェスコの教えの最も忠実な弟子として清貧の修道生活をつづけたクララ(イタリア名でキアーラ)は、後にフランチェスコの命令でこの修道院の院長になりました。

フランチェスコが晩年、病気がひどくなり先に進めなくなったとき、この修道院の中庭に小屋を建ててもらい病躯を休めざるをえませんでした。この苦しい時に有名な『兄弟太陽の賛歌』が作られたのです。この歌は最初のイタリア文学と言われていますが、聖フランチェスコの霊性をよく表わしている作品です。このブログ・シリーズの「捨てる」という霊性(15)にその全文が出ています。

聖クララ(キアーラ)は、アシジの貴族の家に生まれ(1194)、フランチェスコの模範に倣い、
清貧に徹した厳しい修道生活を送り、1253年に帰天しました。1255年には聖人に列せられ、
1257年にはサンタ・キアーラ教会の建設が始められました。

死後クララの遺骸は腐敗を免れ、今もサンタ・キアーラ教会に保存されて、生きているような姿で、訪れる人々を感動させています。

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シモーネ・マルティーニ作 聖クララ(キアーラ)像 (サン・フランチェスコ大聖堂下堂)
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by francesco1hen | 2011-06-23 22:29 | Comments(0)
2011年 06月 23日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(8)

「遊行聖」一遍と踊り念仏

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『一遍聖絵』第四巻五段 小田切の里の踊り念仏

「熊野成道」の翌々年の健治ニ年(1276)以降、一遍は九州大隅から念仏を勧める遊行の旅をつづけ、弘安ニ年(1278)夏には伊予に、秋には安芸厳島神社、冬には備前(岡山)藤井、翌年春には京都から四十八日をかけて信濃善光寺を参詣したのち、歳末には信州小田切の里の武士の館で、自然発生的にはじめての「踊り念仏」を経験しました。

絵図には、武士の館で念仏を唱えているうちに無我の境地に到り、踊り出す時衆僧尼や里人の姿がいきいきと描かれています。

この後、やがてこの「踊り念仏」は大変な人気のうちに広がり、人々の熱狂的な歓迎を受けるまでになりました。その冬には、信州佐久の武士の館でも数百人が踊り念仏の歓喜に身を委ね、板敷きを踏み落とすほどの激しい踊り念仏が行われました。小田切の里以上に盛況でした。

弘安ニ年(1279)信濃を後にして、奥州・関東各地を念仏を勧める遊行は、寒さも厳しく、辛く苦しむことの多い四年の間の長いの旅でした。

弘安五年(1282)3月には鎌倉で市中に入ることは許されませんでしたが、小袋坂の崖下で野宿くして鎌倉市中のおびただしい道俗の供養を受けました。翌3月2日には片瀬に移りると、一遍を慕う鎌倉中の老若男女、おびただしい数の道俗が集まり念仏を受けるようになりました。

片瀬浜で「踊り念仏」が行われるようになると、片瀬海岸には近所諸方から陸続と人々が集まり、一遍たちは片瀬には4ヶ月半ほど滞在することになりました。片瀬の「踊り念仏」で思わぬ成果を上げた一遍たちは、東海道から京都を目指し、弘安七年(1284)京都釈迦堂に入りました。
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by francesco1hen | 2011-06-23 12:12 | Comments(0)
2011年 06月 22日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(7)

聖フランチェスコは小鳥たちに説教しました!

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小鳥たちに説教する聖フランチェスコ (サン・フランチェスコ大聖堂上堂)

大聖堂の《聖フランチェスコの生涯》の第15番目の作品で最も有名な絵です。この画面は、聖人と木の根もとに集う小鳥たちと、この奇跡の証人として驚きの念を示しつつ傍らに立っている弟子だけで画面が構成されています。それだけに聖人は比類のない荘厳さをもっています。

有名な「小鳥への説教」の話はチェラーノの『聖フランチェスコの第一伝記』第一巻第21章に出てきます。彼がアシジの南方それほど遠くないベヴァーニアの近くにやってくると、そこで鳩やからす、別名小がらすと呼ばれる、その他いろんな種類の鳥が群れをなして集まっているのに出会いました。彼はつぎのように話しました。

「わたしの兄弟である小鳥たちよ。あなたたちの造り主を心から誉め讃えるために、いつも感謝しなければなりません。なぜなら、そのお方は、あなたたちの着るものとして羽毛を、また飛ぶために翼を、そして必要なものをすべてくださったからです。神さまは、あなたたちをその被造物の中でもとくに大事になさっておられます。空の綺麗なところにあなたたちの住居を用意なさり、蒔いたり、刈り入れたりしなくてもよいように、何の心配もなく暮らせるように、あなたたちを守り心配なさっておられるのです」。

小鳥たちはこの言葉を聴くと、その首を長く伸ばしたり翼を広げたり、口を開けたり閉じたりしながら、話し手の方をじっと見つめるなど、それぞれの性格に従って、興味深い仕方で喜びを表していました。その間フランチェスコは、彼らの間を行ったり来たりしていましたが、その衣服が彼らの頭や体に触りました。最後に彼らを祝福するため、十字の印をし、他のところへ飛んで行く許しを与えました。

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シエナ派画家の「小鳥に説教する聖フランチェスコ」(サン・フランチェスコ大聖堂下堂)

大聖堂上堂のジョットの有名な「小鳥への説教」よりシエナ派の画家のこの絵の方がより古い作品です。よく見ていると、この方がより崇高な感じがする、という人もいます。
フランチェスコは聖書を左の手に持ち、右手で小鳥たちに語りかけ、鳥たちがじーっと耳を傾けているさまが美しく描かれています。
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by francesco1hen | 2011-06-22 22:06 | Comments(0)