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2012年 01月 31日

[ 5 ]   新約聖書における《愛》

 キリスト教的《愛》アガペーについて

これまで、古代ギリシアのさまざまな「愛」とヘブライ語の5つの「愛」の意味を見てきました。
ギリシア語で書かれた新約聖書で《愛》という言葉は、どのように使われているのでしょうか。

新約聖書で《愛》は、アガペーとピリア(フィリア)が使われています。「愛する」は、アガパオーですが、ピレオー(フィレオー)も同じ意味で使われています。

アガペーとピリアのほかに《愛》をあらわすギリシア語の「求める愛」エロースは、新約聖書では使われていません。「エロース」は、自分に欠けている価値あるあるものを求めようとする情熱(ないし衝動)です。または、プラトンの言葉によれば「より高い次元のものへの絶えることのない憧れである」ということになります。

言い換えるならば、ギリシア人が最も価値あるものとしていた「真・善・美」「地位・名誉」「富」「体力と容貌」などに向かう人間の本来の動きをエロース(求める愛)といいます。
あるいはエロースは、より善いもの完全なものを求め最高のもの《イデア》(真実在)に憧れる愛であるといえます。


これに反して、聖書におけるアガペーと呼ばれる愛《アガペー》は、古代ギリシア語のアガペー(無私の愛)と区別されて、キリスト教的な深い意味が加えられた言葉になりました。

《アガペー》は、自分の命を捨てる愛、無私の愛、献身愛、無償の愛、与える愛、悲愛などと訳されています。
「悲愛」という見慣れない言葉は、仏教の慈悲とキリストの愛を結びつけて作られたことばです。サンスクリット語で慈は「メッター」(最高の友情の意)、悲は「カルーナ」(同苦共感・憐れみの意)です。「悲愛」は、キリストの愛のうちに「カルーナ」があることを強調しています。

新約聖書では、エロースやピリア(フィリア)では表わすことがでいなイエスの愛をあらわすために
《アガペー》が使われたのでした。

キリスト教的《アガペー》(与える愛)は「神の愛」とも言われています。《アガペー》は、神が価値のない罪深い人間に対して自分自身を与える神の憐れみの行為(恵み)です。

この行為は、十字架上で人間を救うために自分の命を捨て、自分自身を与えたキリストの愛《アガペー》に現されています。


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ジョット 最後の晩餐   イエスはこのとき、《愛》につい徹底的に話しました。
             そもそもイエスがこの世界に現れたのは、「神は愛である」ことを告げるためでした。

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ジョット 十字架上のイエス  

晩餐のとき、「愛する者(友)のために命を捨てること、これ以上の愛はない」とイエスは話しています。

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ジョット 十字架上から降ろされたイエス(ピエタ=聖母の悲しみ)
     
     人々はイエスの死を目の前にして、悲痛な叫びをあげています。



                          *




            [ ジョットは、キリストに最も近づいた画家と言われています。]
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by francesco1hen | 2012-01-31 15:06 | Comments(0)
2012年 01月 24日

[ 4 ] 旧約聖書に見るヘブライ語の《愛》という言葉

ホセアの預言書の4つの愛と預言者アモスのヘーンという言葉


ホセア書には、神ヤーウエの愛をあらわす4つのことばが出てきます。4つとは次のような言葉です。
具体的に見てみましょう。

[ アハベ = 愛 ] 愛情、好意、親切を意味し、性愛もふくむ広い意味の愛。

 例 「(神ヤーウエ)わたしはイスラエルが幼いときこれを愛した。」(ホセア書 11, 1)

[ へセド = いつくしみ ] 互いに義務をともなう愛。誠実で強いきずなで結ばれた愛。
               神とイスラエルの親密な関係を示す、特徴的なことばです。

[ ラハミム = あわれみ ] 心からなる同情。ラハミムは内蔵の意で、繊細な感情の座としての
               「心」を意味することからの言葉。同苦共感ともいえます。

 例 「わたしは永遠にあなたとちぎり(契り)をむすぶ。すなわち、正義と公正といつくしみ
    (へセド)とあわれみ(ラハミム)とをもってちぎりを結ぶ。
   そして、あなたは主を知るであろう。」(ホセア書 2, 21-22)

[ ダート = 主を知ること ] 知ることによる親しさ。 普通では知ることの出来ないところま                    で知る。知るは、愛の深さを意味する言葉。知るの反対は、無視。

[ ヘーン = 与える愛 ] 求めなくても恵みとして与えられる愛。無償の愛。後に、キリスト教                  で最も重要な意味をもつ神の「愛」(アガペー)となりました。

 アモス書における例 「ヨセフの残りのものを憐れまれるかもしれない。」(アモス書 5, 15)
           神の憐れみとして「与えられる愛」と理解されています。


以上、5つのヘブライ語で、神ヤーウエのイスラエルの民に示された愛が語られています。この5つの愛は人間においても見られる愛であることには違いがありません。でも、これらの言葉は、すでに見てきた古代ギリシア人の愛の言葉とは少し趣が違うようです。

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旧約聖書には、モーセ五書に360余りの律法が記されています。トーラーと呼ばれる律法は「教える」という意味で、人間らしくなるために、すなわち「神に向かって聖(きよ)くなる」ために、与えられた神ヤーウエの言葉です。

律法の言葉は、正義と公正と愛に基づいています。正義とは、すべての人間が互いの立場を認めあい、人間の権利が守られていることです。公正とは、いたわりの心、弱者への配慮で、友であろうと敵であろうと、この心で臨み、与えなければならないものです。

しかも、この正義と公正を背後で支えているものは、律法の根底にある愛、へセド(慈しみ、強いきずなで結ばれた愛)とラハミム(憐れみ、捨てておけない気持ち、心からの同情)です。

このことを律法の言葉を知ることによって深く理解したいと思います。

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人間としての配慮、いたわりの心の深さ。

「人が新妻をめとったならば、兵役に服さず、いかなる公務も課せられず、一年の間は自分の家のためにすべてを免除される。彼はめとった妻を喜ばせなければならない。」(申命記 24, 19)

「牛とロバを組み合わせて耕してはならない」(申命記 22,10)、「脱穀している牛に口籠(くっこ)を掛けてなならない」(同 25, 4)、「あなたは子やぎをその母の乳で煮てはならない」(出エジプト記 23, 19)、いずれも動物への憐れみをもつべきであると教え勧めています。

刈り入れのときの心得。自分の権利(正義)だけではなく、社会的弱者への配慮が求められています。

「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者(移住者)、孤児、寡婦(夫を亡くした女性)のものとしなさい。」(申命記 24,19)

また同じように「穀物を収穫するときは、畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や移住者のために残しておかなければならない。」(レビ記 19, -10)


このように律法の精神は、正義のほかに、公正すなわち,いたわりの心や弱者への配慮、そして、へセド(強いきずなの愛)やラハミム(憐れみ・共感同苦)といった優しい心をも求めています。

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by francesco1hen | 2012-01-24 23:32 | Comments(0)
2012年 01月 22日

[ 3 ] 古代ギリシアで愛という「ことば」は・・・・・

「愛は人間になくてはならないもです」。これを否定する人は一人もいなと思います。しかし、愛が不在で悲しみや苦悩に苛まれる人が多いのも現実のすがたです。愛は身じかなところにいつもあるのですが、今の時代の人は男女の愛しか知らないようなことをいう人もいます。じつは愛にはさまざまな種類の愛があるのです。古い話ですが、古代ギリシア人は愛についてどのような言葉を持っていたのでしょうか。


ギリシア語の愛という言葉

ギリシア神話や哲学の中で愛という言葉はしばしばでてきます。ギリシアの哲学者によってピリアは「二人の間のすべての愛着の感情」と定義され、それを4っに分けています。

ピリア・フュシケー =  血縁の情愛。
ピリア・クセニケー =  主人と客の間の情愛。
ピリア・ヘタイリケー = 友人間の情愛。     
ピリア・エロティケー = 恋における愛(求める愛)

この4っのうち、ピリア・エロティケーは、プラトンによって「エロース」恋、求める愛として重要な言葉になりました。
ピリア・ヘタイリケーは、アリストテレスによって「ピリア」友情・友愛として,「エロース」より優れていると強調されました。

エロースとピリア 以外のギリシア語の愛という言葉

エウノイア = 善意と献身          アガペー = 無私の愛情
カリス   = 親切と感謝          ストルゲ = 親子の愛情
ポトス   = 欲情・快楽を求める欲望    マニア  = 激しすぎる愛情

これらの愛のさまざまな「かたち」(表れ)が人間の間にあります。このうちある種のものは身を滅ぼすことになりますが、大部分は人間の愛として失ってはならない大切なものです

ギリシア神話において、エロースは、生殖・生成・創造の原理としての愛、異性を求める欲求、さらに善いもの、美しいものを求める根源的で衝動的な力・欲求です。

哲学者ソクラテスにおいては、エロースは「善と美を求める魂」です。その優れた弟子プラトンいおいては、エロースは「最高の善であるイデアへの憧れ」です。
師プラトンに勝る弟子であったアリストテレスは、夫婦にあってはエロースだけではなく、共通の目標を持つ夫婦が互いの徳を求め支えあっていくためには「ピリア」が必要である、と言っています。
プラトンは「エロースの哲学者」、アリストテレスは「ピリアの哲学者」ともいわれています。

ギリシア神話やギリシア悲劇における「愛の姿」

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アポロン神とダフネ 

アポロンは美しく清楚な乙女ダフネに恋しました。ダフネは、男嫌いで走りがら逃れます。捕まえられそうになったとき父の河の神ペネイオスに願って、その身を月桂樹に変えてもらい、アポロンが彼女に手をかけたときに、乙女は木に変わっていました。
意のままにならない恋、すれ違いの恋で、ここには愛の偶然性や運命性が語られています。



死者の国の王ハデスとペルセポネ

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耕作の神デメーテルの娘ペルセポネは春の野原で花を摘んでいました。突如、大地が割れハデスが彼女を誘拐して連れ去り、王妃にしてしまいました。母親のデメーテルの交渉によって、1年の半分はハデスのもとで、あとの半分は母親の元で暮らすようになりました。
ここでは、悲劇性や運命性が、また、人間や女性の象徴性が語れています。ペルセポネは麦の象徴。麦と生命、生・死・再生の象徴でもあります。

ホメロスの『オデッセイア』のなかで、英雄へクトールと妻アンドロマケーのあいだの子アステュアナクスに注がれる親の愛情(ストルゲ)が美しく書かれている部分があります。


エウリピデスの悲劇『アルケスティス』

ペライの王アドメトスは神託によってあと僅かの命となったことを知り、生き延びようと妻アルケスティスに身代わりになってくれるように頼みました。年老いた両親から断られ途方に暮れていたからです。アルケスティスは快く引き受けました。なぜならば彼女は、エウノイア、アガペー、カリスの愛をもって純愛に生きた女性であったからです。夫アドメトスの利己的な愛に比べ、彼女の愛の美しさが際立つ悲劇です。

ギリシア語のたくさんの愛の言葉は、今日もわたしたちのあいだでいきいきと生きています。
「愛」は、忘れていたり、気付かなかったり、無視していたり、ということがあってはならないものであり、行動ではないでしょうか。

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by francesco1hen | 2012-01-22 18:53 | Comments(0)
2012年 01月 21日

[ 2 ]  パルテノン神殿 ー ギリシア文化の特徴について

デルポイのアポロン神殿に gnoti sauton 「汝自身を知れ」と meden agan 「限界をわきまえよ」という人間に対する警告めいた言葉が示されています。前者は、人間は死すべきものである、そのことを自覚しなさい。後者は、神々はアタナトイ(決して滅びない不滅の存在である)だから、死すべき運命にあるタナトイ(死すべきもの)である人間は神々になろうとしてはいけない、という教訓です。

ここで、人間はタナトイ(死すべきもの)であり、神々はアタナトイ(不滅)の存在であるこの区別・秩序を守ることが大切だ、というのがギリシア的な考え方です。

ギリシア文化の特徴について

ギリシア文化の特徴は秩序(ノモス)と均斉(シンメトリア)と調和(ハルモニア)であると言われています。この3っつの意味をパルテノン神殿の建築をしらべて理解しましょう。

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パルテノン神殿ー驚異のアナロギア(比例)

まず堂々としたドーリア式の柱の本数です。正面は8本、側面は17本(8×2+1)によって美しい均斉のとれた形の神殿ができます。この正面の柱の本数とそれの×2+1はギリシアの神殿の柱の数としてどこでも見られる特徴です。基本的に同じですが同じものはどこにも見られないと言われています。

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       次に、パルテノン神殿の形におけるアナロギアを見てみましょう。正面の幅は 30,9m です。側面の長さは 69,5m で、この比例は 4:9です。柱の直径の4に対して柱心と柱心の間隔は9になっています。ここでも4:9の比例があります。神殿正面の破風(上方の三角の部分)の高さが4、底辺の長さは9です。このようにどの部分の比例(アナロギア)をとらえても4:9の繰り返しが見られます。この比例の秩序(ノモス)は見事な美しい均斉(シンメトリア)を造り出し、同時に調和(ハルモニア)の美しさを生み出しています。

この驚異のアナロギアからでてくる調和を愛するギリシア精神の結晶ともいえるパルテノン神殿は、ギリシア神殿建築の最高傑作といえます。

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パルテノン神殿のクルヴァテュール

神殿床面(ステロバテス)の極微曲線(クルヴァテュール)も驚くべき技術の集積です。床面は水平であるというのは常識です。ところがパルテノン神殿の床面は、中央に行くほど少しずつ高くなっていきます。全く平面であると中央が低く見えるという人間の錯覚を修正するために生み出された研磨技術の成果です。敷石の一つの四辺の角の高さは微妙に異なり、それが中央に向かう全体の床面の極微の曲線を造り出して行くことは至難の業としかいえません。

このクルヴァテュールを生み出す非凡な技術や才能と素晴らしい感性は驚きの対象となります。さらに、パルテノン神殿ほど徹底して建築全体が、明瞭単純な4:9のアナロギア(比例)の数的秩序(ノモス)によって構成されているという例はギリシアでも稀なのです。

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パルテノン神殿の美しさは秩序(ノモス)と調和(ハルモニア)そして洗練された均斉(シンメトリア)のうちにあると言えましょう。

古代ギリシア人はポリス(共同体)で生活していました。ポリスの秩序を維持するために法(ノモス)を守ることを重視していまた。また、人間の理想は神々であったのですが、けっして人間の限界を超えるようなことはしませんでした。人間は、すぐれた精神と健全な肉体をもつこと、その両者の調和(ハルモニア)こそ善き人間としてのすがたであると、そのことに憧れていました。神々になろうとする不遜な気持ちをもたず、極端に走らず、調和した均斉のある考え方で生きたのでした。そのような手本は、神殿建築や彫刻をはじめあらゆるところにあったのです。

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by francesco1hen | 2012-01-21 17:01 | Comments(0)
2012年 01月 20日

[1] 文化という言葉について

「文」という漢字の字源(漢字の最初の形)は、衣服の襟のかたちを表わしたものです。「文」という漢字の意味は、初めは形やようすを示す意味から次第にその意味を展開して、精神的なものまでを表わす意味をもつ文字になっていきます。漢和辞典によれば「文」は次のような意味をもっています。

1)もよう、はなやかなかざり 2)形象 3)事物の現れ(天文) 4)条理(区画) 5)文字
6)ことば(文章) 7)ふみ、書物 8)のり(法・則) 9)人間の知恵が生み出した美しさ(文化) 
10)学問・芸術 11)よい、美しさ 12)飾る(美しくする) 13)文身(いれずみ)をする
(風俗)。 以上は、人間の生活の全領域にかんする色々な文化の現象を表わしています。

一方、今日われわれが、文化として使っている英語やフランス語の culture は、それぞれラテン語の
cultus を語源としている言葉です。この言葉は、豊かな意味と文化的内容を持っているという点で、
漢字の「文」という言葉とよく似ています。それぞれの固有の文化を持っていた漢民族とローマ人が
、言語の意味や内容において共通ないし類似した考えを持っていたことは、たいへん興味深いことであるといえます。

文化の語源となったラテン語の cultus もたくさんの意味をもっています。意味の展開にすこし注目したいと思います。羅和辞典によれば、次のような意味があります。

1)耕作 2)耕地 3)世話・養育 4)習慣・生活方法 5)贅沢 6)衣服 7)装飾 
8)教化 9)教養 10)薫陶 11)尊敬 12)祭礼・礼拝 などがあります。

cultus が文化という意味で culture となった経緯について少し考えてみましょう。culture という言葉は、ラテン語の cultura の転化で、本来は colo つちかう(培養),耕す、手がける、というラテン語から出て、土地の耕し( agri cultura)= (agriculture = 農業)、動植物の世話を意味しました。
しかしこの後は、心の培養、つまり精神の修練、修道( anima cultura)の意味で使われるようになりました。また、 cultura は祭礼・礼拝という意味をもつ cultus から出ている言葉で、このように受け継がれて来た中世ラテン語の cultura は、様々な道具にはじまる衣食住などの物質文化、および、学問や教養、修道生活に見られる精神文化を共に包含する、今日の文化のコンセプションとほぼ一致する内容を示しています。

漢字の「文」やラテン語の cultus には今見てきたような様々な意味がありますが、 まとめて言えば、文化とは、人間の生活の仕方である( Culture is the way of life.)ということができます。
思えば人間の文化のすがたには、実にさまざまな豊かさで展開されていることに驚きを感じます。

その一端を写真で具体的に見てみたいと思います。

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北鎌倉の東慶寺(駆け込み寺)の本堂の端正な美しさを示す仏教建築の美しい姿。この寺で多くの不幸な女性たちが救われました。この寺は尼寺でしたが、明治以降は男僧の寺となっています。
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東慶寺蔵の「キリシタン聖餅箱」(チボリウム=キリストの体であるパンを入れておく聖体器)
この聖体器があることは、ある高貴なキリシタン女性が逃げ込んで保護されていたのかもしれません。そぞろ想像は深まります。
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北海道渡島当別のトラピスト修道院の正門と修道院本館正面
6世紀の聖ベネディクトの会則のモットー「祈りと労働」によって始められた修道院運動は、中世西ヨーロッパの文化の基礎を作りました。そのことが高く評価されて、聖ベネディクトは「ヨーロッパの父」と言われています。その精神 ora et labora (祈りかつ働け)にもとづいて、今日もこの修道院は、修道院文化を維持・発展させています。


 
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by francesco1hen | 2012-01-20 18:41 | Comments(0)