家田足穂のエキサイト・ブログ

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2012年 12月 15日

初冬の新林公園の風景(2)

新林公園の中心位置する「旧小池邸の古民家」の内外とその周辺を紹介します。梅林の奥に古民家が見えてきます。
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古民家と呼んでいますが、由緒ある堂々とした庄屋の茅葺きの邸宅です。

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入り口をはいるとすぐ裏口が目に入り、かまどの部分が目に止まります。
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いろりのある部屋には、江戸時代に使われていた籠の類いが特別に陳列されていました。玄関先から奥座敷もみることができます。玄関の間の内側から外を見ると、このような印象的な美しい景色です。
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奥座敷から庭と門の方を見るとこのようです。
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旧小池邸の門から出るとこのような新林公園らしい風景が見られます。
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この公園内には、いろいろな動物がいますが、このようなリスはよく見かけます。
この日(12/14)は、藤棚を上り下りしていました。



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by francesco1hen | 2012-12-15 16:03 | Comments(0)
2012年 12月 15日

初冬の新林公園の風景(1)

藤沢市の新林公園の正門を上って中に進むと、「中門」ともいうべき「旧福原家長屋門」があります。
園内の目玉の一つです。門を潜ると美しい景色が見えてきます。
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奥の梅林を通り抜けていくと、池と水田(近くの小学校に割り当てられていて、春になると田植えから収穫まで小学生たちが世話をしています)が見えてきます。

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右手のやや高い道から広がる水田を眺めると、また格別の風景が見えてきます。
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水田の奥には、昔から水田に水を与えてきた溜め池があります。現在は鳥獣保護区となっていて観察窓からしかこの池をみることが出来なくなっています。残念ながら、ここではまだ一度も水鳥の姿を見たことがありません。
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溜め池のある所から見渡す水田あたりのようすはご覧のとうりです。都市のすぐそことは思われません。
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たんぼの中の木道を通って、もとの池にもどて来ると池の水面に・・・・・!(。。)
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(^〜^)
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奥の方に「旧福原家長屋門」が見えます。

                              ***

                      次回は、《旧小池邸の古民家》を紹介します!
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by francesco1hen | 2012-12-15 12:11 | Comments(0)
2012年 12月 13日

「 道 」という字は面白い(3)

続 「道」について ー その意味の深さと広がり

前回につづき、茶道の精神である「和・敬・清・寂」について少しかきます。

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「和」という字は、禾と口が組あわさてできています。禾は穀物、すなわち食物を表わしています。人は食事をすると和やかな気持ちになります。「和」は、和やかな親しい交わりを生みだします。

「敬」は、招いた客を敬うきもちで迎え、招かれた人も庵主を尊敬の念をもって対座します。迎える者も迎えられる客も「一期一会」の気持ちで茶室の時を過ごします。

「清」は、俗世界の邪念を捨て、清らかな心で、森羅万象のなかで、ともに茶の世界にひたります。
茶室は、数寄を凝らした四畳半の小間ですが、自然・宇宙への広がりをもっています。と同時に、自然・宇宙が縮小されたものが茶室です。

「寂」は、閑静のなかで茶菓を戴き、親しく語り合う空間の落ち着きのあるところです。茶道の世界で「寂」は、最も重要なものとされています。「寂」は、釈迦の悟りの境地「涅槃・寂静」に通じるものがあります。現代語になおすと「絶対の安らぎ・平和」となります。

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千利休が、キリシタンであったことはすでに触れました。じつは、茶道とキリシタンを比較研究すると、茶道の作法・所作とカトリック教会のミサの祭儀の行いかたには、いくつかの類似点があります。また、「和・敬・清・寂」のメンタリティとキリスト教精神とは、深いところで一致するところがたくさんあります。このことについては、また別の機会にお話したいと思います。

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              東山魁夷 「 道 」


                        *      *     *


本題の「道」のことにもどります。

わが国でもよく耳にする、有名なセザール・フランクの《 パニス・アンジェリクス 》(天使の糧)の歌詞にも、「小道」がでてきます。ラテン語の歌詞を、ご存知の方も多いとおもいます。

Panis Angelicus fit panis hominum: Dat panis caelicus figuris terminum:
O res mirabilis ! manducat Dominum, Pauper, servus et humilis.

Te trina Deitas unaque poscimus, Sic nos visita, sicut te colimus:
Per tas semitas duc nos quo tendimus, Ad lucem quam inhabitas. Amen.

天使のパンは、人々のパン(キリストの体)となられました。与えられたパン(聖なる体)で、前の徴(シナイ砂漠で降ったマナ)を完全なものとなさいました。貧しい者、僕であり卑しい者であるわたしたちが、キリストの聖なる体(パン)を戴くこと(聖体拝領)は。おお、なんと! 感歎すべきことなのです。

御身、三位一体の神にお願いします。あなたをあがめ、礼拝しているわたしたちの処へ、すぐに訪れてください。あなた(神)の小道によって、わたしたちが憧れてる処、あなたがお住みになる栄光の処にわたしたちをお導きください。

ラテン語の4行目の始めの Per tuas semitas   あなた(神)の小道によって 、 semitas が「小道」です。 

 この小道については、詩編 16, 11 で、つぎのような言葉があります。

   あなたは、いのちにいたる道をわたしに示し、
   あなたのみ前にあって喜びに満たしてくださる。

《 パニス・アンジェリクス 》の歌詞には、キリストの御体を戴き(聖体拝領で)キリストと共に天の国で「永遠の命」の歓びに入ることを願い祈る、祈りの言葉があります。


                               *

「父への道であるイエス」

  
   わたしの父の家には、住む所がたくさんある。・・・・・ 行って場所を準備したら、戻って来て、あなたたち   もいるようになるためである。

  「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通ってでなければ、だれも父のもとに行くことができない  ・・・・・」
                               (ヨハネによる福音書 14 , 2-6)

人間を救うためこの世界にくだった神の子イエスは、人類を父である神にみちびく、「父への道」です。イエスは「真理」である福音の教えを説き、まことの命「永遠の命」を与えることによって、人類を父なる神と一致させることを望んで、語りかけています。父なる神と一体であるイエスは神の真理そのものであり、また、命そのものでもあります。

イエスの福音の教えである「道」(小道・細い道)は、神の「真理」にみちびく道であり、神の「永遠の命」への道であるということになります。

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東京都町田市の「大泉禅寺の参道」 禅の悟りにいたる道も険しく細い道です。
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by francesco1hen | 2012-12-13 12:26 | Comments(0)
2012年 12月 12日

「 道 」という字は面白い(2)

「道」について ー その意味の深さと広がり


月日は百代の過客にして、行きかふ人もまた旅人也。船の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老いをむかふるものは、日々旅にして旅をすみかとす。古人も多く旅に死せり。

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有名な松尾芭蕉の『奥の細道』の序文です。芭蕉は、俳諧の真髄を求めて旅に出ました。
さまざまな人生が旅に喩えられています。死に隣り合わせているような奥州への旅で芭蕉はさまざまな体験をしながらいい俳句の数々を遺しました。また、『奥の細道』いう素晴らしい紀行文を後世に残しました。奥州の小道を歩いた彼は、その紀行文で深い味わいのあることがらを書いてくれました。

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小道といえば、旧約聖書の詩編の中にも美しい言葉がでてきます。

  神よ、あなたの道を示し、その小道を教えてください。
  真理のうちに わたしを教え導いてください。
  あなたは わたしの救いの神、 
  いつの日も、わたしは あなたを待ち望む。      (詩編 25 , 4 ~ 5)

あなたの道、その小道は、「神の道」です。それは、また「神への道」で、神への信頼をもって歩む道です。まちがいなく神のところまで行くための道、それは意味の深い小道です。小道の目的地は、天の国です。天の国とは、人と神が完全に「愛において一つになる」状態であると信じられています。


「小道」や「細い道」から連想されるのは、アンドレ・ジッドの『 狭き門 』( La porte etroite )です。ジェロームとアリサの恋の物語ですが、聖書のことばから題名がつけられています。

  狭い門から入りなさい。滅びへの道は広く、そこに通じる道は広々としていて、そこから入る者は多い。しかし、  いのちへの門は狭く、そこに通じる道は細く、それを見つける者はすくない。
                                    (マタイによる福音書 7 , 13~14)

天国へ通じる門は狭く、そこに達する道は細い道であっても、「永遠の命」というかけがえのない「宝」をえるためには、「狭い門」(イエス)こそ大切な門であり、「細い道」(イエスの福音・ことば)が、「永遠の命」につながるこの上ない「道」であるという意味になります。

「永遠の命」がいかに大切なものであるかということを、つぎの言葉がつたえています。

  たとえ全世界を手に入れても、自分の命(永遠の命)を失ったならば、なんの益になろうか。
                                      (マタイによる福音書 16, 26 )



「狭い門」と「細い道」は、茶道の茶室と露地にあります。門から茶室にいたる道のことを「露地」といいます。露地は、俗世間の気持ちをあらための、茶室につうじる道です。「和・敬・清・寂」の無限の理想の世界に入るためには、「露地口」と「中潜り」(ともに門)を通って露地を伝い、ツクバイ(蹲う・謙遜な気持ち)で口をそそぎ、狭い「にじり口」から身をかがめて茶室に入ります。

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「にじり口」について、千宗室は、つぎのように言っています。「利休が、秀吉の命で切腹させられたのは、キリシタンであったためであり、茶室のにじり口も「狭き門より入れ」という聖書のことばを具体化したものです」と。


                              *


茶室の「和」における「賓主互感」と「敬」「清」「寂」のときを心ゆくまで過ごして、茶室を後にするときの気持ちを「余情残心」といいます。茶室は、「至福の時」を過ごす場所であるのです。


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   座間谷戸山公園内にある「巡礼街道」。むかし、多くの人が通ったようです。これも「細い道」です。
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by francesco1hen | 2012-12-12 18:29 | Comments(0)
2012年 12月 11日

「 道 」という字は面白い

「お手てつないで 野道を行けば みんな可愛い小鳥になって 歌をうたえば靴がなる ・・・・」
とか、「森の小径にさまよって歩いていると、急に視野がひろがる丘にでました。」とかありますが、「道」といいう字は、含蓄に富み、面白いのです。

また人名でも、「みち」と読む字があります。犬養道子、永井路子のほか、道や路のほかに「じ/りん/けい」と読ませる名前もあります。越路吹雪、中村倫子、小林古径などがそれです。


「道」は、人やモノが動くところですが、このように道のほかにも、さまざまな字と言葉があります。

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つぎに「みち」と読める字を並べてみます。
 
 街(街頭/街路/街道)。 程(行程/道程)。 途(途上/帰途/前途)。 
 
 倫(人のつながり、人倫/倫理/→人道)。   軌(軌跡/軌道)。 
 
 行(歩行/行進)。 方(方途/方法/方向)。
 
 スイ(字がでないのです)スイは、地中の道で、トンネル、坑道、切通し)。
 
 道(道中/道標/道程/程遠い)。   路(道路/帰路/家路/信濃路)。

「路」は、作られた広い道のことです。たとえば、街路のような道路のことです。これに対して、「径」(けい)は、「こみち」とよみ、狭い道を表わしています。 
 径(径路/→小道)。 

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『類語辞典』によると、道は、道路で、さまざまに分類しています。

(1)人や車がとおる道ー信濃路   (2)広さや規模ー小道〜高速道路 
(3)町中の大小の道ー街路・並木道   
(4)田舎や山道ー野道・つづら折り (5)分かれ道、交わる道ー岐路・交差点
(6)傾斜している道ー坂道・峠道  (7)地下に通じている道ートンネル・切り通し  
(8)線路ーモノレール・環状線 などに分類され、その類語は無数にあります。

切り通しといえば、鎌倉時代の鎌倉は、一方の海と三方山に囲まれている地形のため、内外との交通のためと、防衛のために山地を切り開いて、七つの「切通し」を作りました。「鎌倉の七切通し」とか「鎌倉七口」と呼ばれています。「鎌倉武士の記憶を今にとどめる峻険の古道」と文学的に言われてもいます。

また『類語辞典』によると、人倫(人の道)から「間柄」ー縁や絆、「人道」ー武士道〜商道、人道支援、「道徳」「倫理」ー美徳や不倫、「学術」ー倫理学・学問の道・芸術の道、「方法」ー解決の道を見いだす。などと広がっていきます。

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中国でも「道」「路」は、人や物が動くということから、人の行為や法則、規範などの意味をもつようになりました。さらに、宇宙万物の原理、あるいは本体の意味を持つようにもなりました。

古代中国の儒家・孔子と孟子は、実践道徳を重視して「治国平天下」の思想を生み出しました。いっぽう、道家の老子と荘子は、「道」(Tao)、天地万物の生成する本源のもとに「無為自然」の生き方をすいるのが、本来の姿であることを示しました。



ヒンドゥー教や仏教、日本の思想では、「道」は、どのように考えられていたのでしょうか。

ヒンドゥー教の bhakti 「献愛」は、神々への献身的な信仰の道と考えられています。

仏教では、仏教いぜんの「道」(marga)の考え方から、無我、無執着をめざす仏道を説きます。仏道は、八正道として展開され、自己自身が仏教的な「悟り」に達する道です(悟達の道)。

大乗仏教では「菩薩道」が説かれ、苦しみや悩みのある人々とともに救われていこうとする道が中心になっています。



日本の「道」は、仏教思想の影響のもとで、能・狂言にしても、その稽古は一種の修行、すなわち「道を学ぶ」という精神でおこなわれました。

茶道、華道、書道、武士道でも同じです。単に技を学ぶのではなく、心の鍛錬に役に立つということから稽古がおこなわれていました。日本の「道」には、精神性の深みがあります。

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書道「平安の三筆」の一人、空海像

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           「茶道」を大成した千利休像


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                  座間里山公園のなかの、昔の「巡礼街道」




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わたしが父のうちにおり、あなた方がわたしのうちにおり、
そして、わたしがあなた方のうちにいることを、
その日、あなた方は悟であろう。

(ヨハネによる福音書 14 , 20 )



        最後の晩餐の夜、イエスが弟子たちにつげられた言葉です。
        よく考えて見ると、神と人間が「完全に一つ」になっていることです。
        その日とは、天の国に入ったときのことです。




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by francesco1hen | 2012-12-11 11:53 | Comments(0)
2012年 12月 08日

初冬の座間里山公園を訪れました〜。

暖かい日差しの初冬の日(12月7日)に、夏いらいのこの里山を再訪しました。初冬の風景と水鳥の姿を求めてきたのです。座間里山公園の「長屋門」をはいると、夏とはまったく違う風景を見ました。
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この里山の一つのメイン「水鳥の池」は美しい風景を見せています。この季節からは水鳥のにぎわいがみられます。
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第一野鳥観察小屋の窓から見る景色もなかなかいいものです。耳を澄ますと、いろいろな野鳥の声が聴こえてきます。

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「伝説の丘」(本堂山)に上ってゆく坂の両側は、美しく組まれた石垣が魅力的です。初冬の気配が感じられます。しかし、あたりは秋の名残をとどめているところもあります。
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「伝説の丘」の真ん中に、親しみを感じさせる風流な佇まいの「あずまや」があります。この辺りだけは、秋の紅葉のまっ盛りです。燃えるような黄色や赤く映えているモミジがたいへん綺麗です。
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目を転じて遠くの丘を眺めると初冬の風景を感じます。午後2時近くになると、吹いてくる風も急に冷たくなります。やはり季節は、美しさを感じさせる初冬です。
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11月27日に、舞岡公園「小谷戸の里」を訪ねました。晩秋の景色を堪能しましたが、今月の座間里山公園の初冬の風景も捨てがたいよさがありました。人の手が入っている自然の中に身をおくという幸せにひたってきました。


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             「水鳥の池」の岸辺の枝に《飛ぶ宝石》カワセミがいました。
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by francesco1hen | 2012-12-08 18:32 | Comments(0)