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2013年 05月 11日

エル・グレコとバロックの三巨匠  [ 3]

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市民画家 レンブラントの宗教画

レンブラント(1606-1669)は、市民生活をよく描いた画家です。宗教画もたくさんのこし、その作品によって、『レンブラント旧約聖書』と『レンブラント新約聖書』という書物が編纂されています。


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《 最後の晩餐 》 その完成作品はなく、最後の晩餐にかんしてはこのエスキースを残しているだけです。
おそらく、レオナルド・ダ・ヴィンチの《 最後の晩餐 》のような作品を仕上げることができないと感じたので完成作品を残さなかったのではないかと、推測されています。


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《 イエス十字架に磔にされる 》 今や十字架が押し立てられます。死に追いやる祭司長の傲岸なすがたが印象的です。


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《 十字架上のキリスト 》 イエスの叫び声が聞こえてくるような緊迫感があります。


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《 イエスの十字架降下 》 無力になったイエスの痛々しさをさらけ出しています。


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《ゴルゴタの丘の悲劇》  イエスを膝に抱いていた母マリアも失神しているようです。


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《 イエスの埋葬 》 遠くに三本の十字架がみえ、受難のときを思いださせます。


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《 キリストの復活 》 復活の瞬間はこのようであっただろうか?


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《 マグダラのマリアに現れるキリスト 》 レンブラントらしい表現です。


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《 エマオのキリスト 》 レンブラントの作品として、日本でよく知られているものです。


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《 キリストの昇天 》 この世における最後のキリストの姿、「わたしは日々あなたがたと共にいる」という最後のことばを遺して、天に昇りました。



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by francesco1hen | 2013-05-11 17:10 | Comments(0)
2013年 05月 11日

エル・グレコとバロックの三巨匠  [ 2]

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宮廷画家ルーベンスとヴェラスケス

ルーベンス(1557-1640)とヴェラスケス(1599-1660)は、ともに宮廷画家として活躍したバロック絵画の巨匠です。それぞれ趣はちがいますが、優れた宗教画をのこしています。

ルーベンスは、その場面の情景を強烈に描きドラマ性を強調しています。ヴェラスケスの方は、これとやや雰囲気を異にし、静謐に真実のすがたを描いています。


ベルギーのルーベンスの作品です。

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《 ゴルゴタの丘のキリストの磔刑 》 二人の盗賊のあいだで十字架刑をうけるイエス


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《 キリストの十字架降下 》 悲劇性が強烈に画かれています。まわりの人の感情がよく分ります。


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《 十字架から降ろされたイエス 》 キリストの遺体は、死の現実を示しています。


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《 復活後、弟子たちに現れたキリスト 》 弟子のトマスに、傷跡に触れて見るようにという復活のイエス。 復活のイエスの輝かしい体につよい印象をいだかせます。



ここからは、スペイン宮廷で活躍したヴェラスケスの作品です。

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《 十字架のキリスト 》 十字架上のイエスの真実のすがたを感じさせます。



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同じ作品も光の当てかたで、雰囲気がかわります。いずれにしても優れた作品であることに変わりはありません。はっとする感動を覚えます。


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ヴェラスケスの《 エマオのキリスト 》 復活のキリストのレンブラントの作品と比べてみましょう。


                       
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つぎは、オランダの市民画家 レンブラントが登場します。
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by francesco1hen | 2013-05-11 16:01 | Comments(0)
2013年 05月 10日

エル・グレコとバロックの三巨匠   [ 1 ]

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バロック時代の芸術

1600 年〜1750 年までの 150 年間をバロック時代といいます。ルネサンス時代の後のこの時代は、
建築・美術・音楽においてルネサンス時代に見られないダイナミックな素晴らしい芸術が展開されました。バロック時代には三つの文化の担い手がありました。それは教会と宮廷と市民の劇場でした。

教会では,バロック様式の大聖堂が目立ちます。建築と絵画彫刻と音楽において華麗な芸術世界が生みだされました。宮廷芸術の代表的な存在は、ルイ14世によって造営さられたヴェルサイユ宮殿の姿にその壮麗さをみることができます。市民の劇場では新しい音楽の世界オペラが上演され市民たちに喜びをもたらしました。


エル・グレコと三人のバロックの巨匠(ルーベンス、ヴェラスケス、レンブラント)における
《 キリストの十字架の救いとメシア・キリストの復活 》

 キリスト教の全体像(キリスト教とはなんでしょうか、また、なにを信じているのでしょうか)

紀元325年、ニケーア公会議で決定された「ニケーア信仰信条」という信仰宣言があります。この内容を知ることにより、キリスト教の全体像を知ることができます。

                    
              
              クレド  [ 信仰宣言 ]

     われは信ず、唯一の神を。
     全能の父、天と地、見ゆる者、見えざるもの、すべての造り主を。(父である神)
     
     また、われは信ず、唯一の主、神の御ひとり子・イエスズス・キリストを。
     主はよろず世のさきに、父より生まれ、神よりの神、光よりの光、
     まことの神よりのまことの神、造られずして生まれ、父と一体なり、
     すべては主によりて造られたり。               (神であるキリスト)   

     主はわれら人類のため、またわれらの救いのために、天よりくだり、
     聖霊によりて処女マリアより御身体を受け、人となりたまえリ。
     ポンショ・ピラトのもとにて、われらのために十字架につけられ、
     苦しみをうけ葬られたまえリ。               (人としてのキリスト)
     聖書にありしごとく三日目によみがえり、
     天にぼりて、父の右に座したもう。
     主は栄光のうちに再び来たり、生ける人と死せる人を裁きたもう。
     主の国は終わることなし。                 (神であるキリスト)

     われは信ず、主なる聖霊・生命の与え主を、
     聖霊は父と子とよりいで、父と子と共に拝みあがめられ、
     また預言者によりて語りたまえリ。             (神である聖霊)  

     またわれは一にして・聖・公・使徒継承の教会を信じ、
     罪のゆるしのためなる唯一の洗礼をみとめ、
     死者のよみがえりと来世の生命とを待ち望む。        (教会の教えを信ずる)
     アーメン。     

            (アーメンは、これらのことを肯定し、同意することをあらわす言葉。)    



エル・グレコ(1541c.-1614) における《 十字架のキリストと復活のキリスト 》

エル・グレコは、ギリシア人という意味です。本名は、テオトコプーロス。クレタ島の生まれ。ルネサンス時代のイタリアで修行し、スペインに渡りその地で神秘的な宗教画を多く残した。

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王を表わす赤い衣服をはぎ取られ、まもなく十字架に釘付けにされる 《 聖衣剥奪 》


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《 十字架上のイエス 》  「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜ捨てられるのですか)


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《 十字架上のイエス 》 救いのわざが「成し遂げられた」、と言って息を引き取られた。


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《 十字架から降ろされたイエス 》


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《 キリストの復活 》 これは聖書の記述にもとづかず、画家の想像する復活の姿。


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《 祝福を与えるイエス 》 スペイン的なイエスの風貌   ある人は、この絵に深く感動しました。


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by francesco1hen | 2013-05-10 17:47 | Comments(0)
2013年 05月 08日

世界の終り《 最後の審判 》

ジョットによる《 イエスの生涯とその福音の約束 》7



《 最後の審判 》

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スクロヴェーニ礼拝堂内部西壁全面の《 最後の審判図 》

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中央の「審判のキリスト」 ロマネスク時代は「栄光の主キリスト」と呼ばれていました。

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「天の国(神の国)に迎えられる人々」(部分)

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「地獄に落される人々」(部分)



マタイによる福音書に記述されている「最後の審判」

 人の子(イエス・キリスト)が栄光に包まれ天使を従えてくるとき、人の子は栄光の座につき、すべての民族は、その前に集められる。そして、人の子は、牧者が羊と山羊を分けるように、彼らを二つに分け、羊を右に、山羊を左に置く。

 そのとき王は自分の右側の者に言う。『わたしの父に祝福された人たち、さあ、世の始めからあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたがたは、わたしが飢えているときに食べさせ、渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢屋にいるときに訪ねてくれたからである』。

 そのとき、正しい人たちは答えるであろう。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておられるのを見て食べさせ、渇いておられるのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅をしておられるのを見て宿を貸し、裸でおられるのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気であり、牢屋におられるのを見て,あなたを訪ねてあげましたか』。

 すると王は答えて、『あなたがたによく言っておく。これらのわたしの兄弟、しかも最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしたのである』と言うであろう。

 そして、左側の者に向かって、『のろわれた者たち、わたしを離れて、悪魔とその使いたちのために用意されている永遠の火に入れ』と言うであろう。 (マタイ 25, 31 - 41 )

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ジョットによる《イエスの生涯とその福音の約束》の壁画は、これで全てです。


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《 イエスの福音の約束 》とは、どんな約束でしょうか?

一言でいえば、それは天の国(神の国)における「 永遠の命 」です。
イエスは、最後の晩餐のあとゲッセマネの園で、自分のため、弟子たちのため、信じる者たちのために、血の汗が出るような祈りを父なる神に祈っています。

 「父よ、時が来ました。子があなたに栄光を帰することができますように、
 あなたの子に栄光をお与えください。
  子が、あなたから与えられた人すべてに、永遠の命を与えるためです。

 永遠の命とは、唯一の真の神であるあなたを知り、また、あなたがお遣わしになった
 イエス・キリストを知ることです。 (知る = 神を愛すること)

 どうか、みんなを一つにしてください。
 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、
 彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。

 わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、
 彼らが完全に一つになるためです。・・・・・」


イエスの福音の約束とは、神と人間が、完全に「一つになる」ことでした。それが「永遠の命」ということです。



キリスト教は、「愛の宗教である」とよく言われています。なぜ「愛の宗教」なのでしょうか。

キリスト教の神は、「三位一体の神」といわれます。父である神、子である神(キリスト)、そして、聖霊の三つのペルソナが、一つになっている神です。三つのペルソナは、神性において一つであるから、三位一体の神といいます。

「神は愛である」といわれます。二つ以上のものが、「一つになる」ことが愛です。三つのペルソナが一つになっている神は、「愛そのものである」ということができます。したがって、「神は愛である」のです。この《愛である神》と「一つになる」ことは、人間の究極の幸福(至福)であると思います。

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by francesco1hen | 2013-05-08 11:19 | Comments(0)
2013年 05月 07日

キリストの復活・昇天・そして、聖霊降臨

ジョットによる《 イエスの生涯とその福音の約束 》6


《 イエス・キリストの復活 》

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 イエス マグダラのマリアに現れる  「ノリメ・タンゲレ」(わたしに、縋り付くな!)   

 さて、マグダラのマリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞき込むと、イエスの遺体が置かれていた場所に、白い衣をまとった二人の天使が、一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っているのが見えた。

 すると、天使たちはマリアに、「婦人よ、なぜ泣いているのですか」と言った。マリアは答えた。「誰かがわたしの主を取り去りました。どこへ置いたかのか、わたしにはわかりません」。こう言って、後ろを振り向くと、そこにイエスが立っておられるのが見えた。しかし、その人がイエスであることには気がつかなかった。

 イエスは、「婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」と尋ねられた。マリアは園の番人だと思って、「あなたが、もしあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか、教えてください。わたしが引き取ります」と言った。

 イエスは、「マリア」と言われた。マリアは振り返って、ヘブライ語で、「ラボニ」ーつまり「先生」ーと言った。イエスは仰せになった。「わたしに縋り付くのはよしなさい。わたしは、まだ父のもとに上っていないのだ。わたしの兄弟たちのところに行ってこう伝えなさい。『わたしの父であり、あなたたちの父でもある方、また、わたしの神であり、あなたたちの神でもある方ものとへ、わたしは上って行く』」と。

 マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、「わたしは主を見ました」と言い、主から言われたことを弟子たちに告げた。


    このジョットの絵は、ヨハネによる福音書20章11−18節にもとづいています。




《 キリストの昇天 》

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 主イエスは弟子たちに語り終わって後、天い上げられ、神の右の座に着かれた。弟子たちは出て行き、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は弟子たちとともに働き、しるしを伴わせて、弟子たちの言葉を確かなものとされた。

 イエス・キリストの昇天ときの最後の言葉は、「わたしは世の終りまで、いつもあなたたちと共にいる」でした。

『使徒行録』1 . 9 - 11 は、「キリストの昇天」をつぎのように述べています。 ジョットの絵はこれにもとづいていると思われます。キリストの昇天は、復活の後、40日目のことです。

 こう語り終わると、 イエスは使徒たちの見ているあいだに上げられた。一むらの雲がイエスを包んで、見えなくした。すると、そのとき突然、白い衣をまとった二人の男が彼らのそばに立って、「ガリラヤの人たちよ、なぜ、天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたあのイエスは、天に上るのをあなたがたが見たのと同じありさまで、またおいでになるであろう」と言った。

「またおいでにになる」というのは、世の終り、最後の審判のといのことを言っています。



《 聖霊降臨 》(ペンテコステ=ユダヤ教の五十日祭) 復活の後、50日目の出来事

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 五旬祭の日が来て、みんなが一つ所に集まっていた。そのとき突然、激しい風が吹いてくる音が天から聞こえ、彼らが座っていた家じゅうに響き渡り、炎のような舌が現れ、分かれておのおのの上にとどまった。すると、みんなは聖霊に満たされ、聖霊が語るままに、さまざまな他国の言葉で語り始めた。


聖霊降臨の後、使徒たちは福音宣教のために各地へおもむいて、イエスの福音を宣べ伝えました。したがって、この聖霊降臨をもって、「キリストの教会の成立」としています。

メシア・イエスの時代、つまり、新約時代は終わり、新しい「教会の時代」が始まり、福音は全世界、地の果てまで、伝えられるようになりました。



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by francesco1hen | 2013-05-07 16:54 | Comments(0)
2013年 05月 06日

イエスの十字架上の死

ジョットによる《 イエスの生涯とその福音の約束 》5


イエス ゴルゴタへの道を歩む

 兵士たちはイエスをなぶりものにした後、マントをはぎ取り、また、もとの服を着せ、十字かにつけるために引き出した。彼らが出て行くと、シモンというクレネ人が目に止まったので、これにイエスの十字架を無理に背負わせた。

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 ゴルゴタ、すなわち、「されこうべの場所」という所に着くと、兵士たちは胆汁を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスは舐めただけで、飲もうとされなかった。兵士たちはイエスを十字架につけて後、くじを引いてその衣を分け、そこに座って見張りをしていた。

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 正午から、闇が全地を覆い、三時まで続いた。三時ころに、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
 
 イエスの傍らには、その母マリアと母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアがたたずんでいた。弟子ヨハネもいた。・・・・・ その後、イエスはすべてが成し遂げられたことを知り、「のどが渇く」と言われた。こうして、聖書の言はが成就した。
 
 そこには、酸っぱいぶどう酒の入った器がおいてあった。兵士たちは、このぶどう酒をたっぷり含ませた海綿をヒソプに着けて、イエスの口もと差し出した。イエスは酸っぱいぶどう酒を受けると、
「成し遂げられた」と言って、頭を垂れ、息を引き取られた。

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イエスの足許に縋り付いているのはマグダラのマリア、弟子ヨハネと母マリア 右は、百夫長と祭司、兵士たち


イエス 十字架より降ろされる  
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 その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスの遺体を取り下ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラとは許した。それで、ヨセフは行って、遺体を取り下ろした。

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「聖母と弟子たちの哀悼」 ・ 《ピエタ》(聖母の悲しみ)という題も付けられます。


                             ***


「二ケア信仰信条」ではつぎの言葉で、イエス・キリストの十字架上の死と埋葬を述べています。

  ポンショ・ピラトのもとにて、われらのために十字架につけられ、苦しみを受け葬られたまり。
  聖書にありしごとく三日目によみがえり、天に昇りて、父の右に座したもう。
  主は栄光のうちに再び来たり、生ける人と死せる人を裁きたもう。


「二ケア信仰信条」には、十字架の死のあとは、輝かしい復活と昇天、最後の審判のことが出ています。




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by francesco1hen | 2013-05-06 16:25 | Comments(0)
2013年 05月 05日

イエスの受難 始まる

ジョットによる《 イエスの生涯とその福音の約束 》4


イエスのエルサレム入城 (この時から、受難の週にはいります)
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 イエスと弟子たちがエルサレムに近づいたとき、二人の弟子は出かけて行き、イエスが命じられたとおりにして、めろばと小ろばを引いて来た。そして、その上に自分たちのマントを掛けると、イエスはそれに乗られた。群衆のうち多くの者はマントを道に敷いた。木の枝を切って道に敷く者もあった。
群衆は、イエスの前に行く者も後に従う者も、叫んで言った。

 「ダビデの子に、ホザンナ! 主の名によってこられる方に祝福があるように。
 いと高きところにホザンナ!」

イエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎとなり、人々は口々に「この人は誰だろう」と言った。ついて来た群衆は、「この方はガリラヤのナザレから出た預言者イエスです」と答えた。


エルサレムの神殿で商人たちを追い出すイエス      (下の絵は、聖霊降臨のようす。後述)
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神殿は祈りの家  イエスは神殿の境内に入って、そこで物を売る人や買う人を皆追い出し、両替人の台や、鳩を売っている人たちの腰掛けを倒して、「『私の家は祈りの家と呼ばれてる』と書き記されているのに、お前たちはそれを強盗の巣にしている」と言った。また、境内で、盲人や足の不自由な人がイエスに近寄って来たので、彼らを治した。



ユダの裏切り
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 最後の晩餐の少し前、十二人の弟子の一人、イスカリオテのユダという者が、大祭司たちのところに行って、「あの人をあなたがたに引き渡せば、いったい、いくらくれますか」と言った。すると、大祭司たちは銀貨三十枚を支払った。ユダはその時から、イエスを引きわたすよい機会をねらっていた。

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過ぎ越の祭りの食事 「最後の晩餐」
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 弟子たちとの別れの食事「最後の晩餐」のとき、イエスは食事をしながら「愛について」多くのことを語りました。

 「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という新しい掟を与えています。「わたしは道であり、真理であり、命である」という天の国にいたる「父への道」を諭すイエスの言葉。

 愛の完成のかたちをしめす「かの日には、わたしが父に内におり、あなたたちがわたしの内におり、わたしもあなたたちの内にいることを、あなたたちは悟であろう」(その日とは、天の国へ入ったときのこと)という言葉は、天の国(神の国)で、神と完全に「一つになる」神秘の状態を語るものです。
 
 弟子たちにはまだ十分に理解されないことでしたが、これは、「愛」の極致の姿が示された瞬間でした。

 イエスはふたたび、新しい掟をくり返し、「友のために自分の命を捨てること、これ以上の愛はない」と自らの使命を明らかにして、受難への道を歩み始めます。



イエス 弟子たちの足を洗う
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 過越の祭りの前のことであった。イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時がきたのを悟り、この世にいる弟子たちを愛して、終りまで愛し抜かれた。
イエスは食事の席を立って、上着を脱ぎ、布をとって身に付けられた。それから、たらいに水を取り、弟子の足を洗っては、身に付けていた布で拭き始められた。・・・・・
 さて、イエスは弟子の足を洗い終わり、上着を着て、再び食事の席につくと言われた。「あなたたちにしてやったことがわかるか。あなたたちは、わたしを『先生』とか、『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。そのとおりだからである。それで、主であり、先生であるこのわたしが、あなたたちの足を洗ったからには、あなたたちも互いに足を洗い合わなければならない。わたしのしてやったとおりに、あなたたちもするようにと、模範を示したのである」。

弟子の足を洗ったのはこのような意味があったのです。さらに、以前、イエスは、「人の子(イエス)が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」と述べたことがあります。このことは、十字架の犠牲によって人類を救う「メシア」がどのように死ぬかを予告したものです。

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イエスの逮捕
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 大祭司や、民の長老たちから遣わされた多くの人々が、剣や棒を持ってユダについて来た。裏切り者は彼らとあらかじめ、「わたしがせっぷんする者が、その人だ。その人を捕まえろ」と示し合わせておいた。ユダはすぐにイエスに近寄り、「先生、いかがですか」(シャローム、ラビ!)といって、イエスにせっぷんした。イエスは、「友よ、しようとしていることに取りかかれ」と言われた。
その時、人々は進みでて、イエスに手をかけて捕まえた。



大祭司の尋問  
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 イエスは黙っておられた。そこで、大祭司はイエスに言った。「生ける神に誓ってわれわれに言え。お前は神の子、メシアか」。イエスは大祭司に、「あなたの言うとおりである。だが、わたしは言っておく。今からのち、あなたがたは、人の子が力あるおん者の右に座し、天の雲に乗ってくるのを見るであろう」と仰せになった。そのとき、大祭司は衣を引き裂いて言った。「この人は冒涜の言葉を吐いた。どうしてこれ以上、証人の必要があろうか。あなたがたは今冒涜の言葉を聞いた。これをどう思うか」。すると彼らは、「死に値する」と答えた。

 それから、人々はイエスの顔につばをかけ、こぶしで打ち、また、ある者は平手で打って、「メシアよ、預言者ならば、お前を打ったのはだれか、言ってみろ」と言った。



イエスの受難 「いばらの冠」
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 さて、総督の兵士たちはイエスを総督官邸のなかに連れて行き、部隊全員をイエスの前に集めた。そして、イエスの着ているものをはぎ取り、赤いマントを着せ、いばらの冠をあんで、その頭にかぶせ、また右の手に葦の棒を持たせて、彼の前にひざまずき、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言ってなぶりものにした。また、イエスにつばを吐きかけ、葦の棒を取って頭を打った。




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by francesco1hen | 2013-05-05 16:57 | Comments(0)
2013年 05月 03日

福音を宣べ伝えるイエス

ジョットによる《 イエスの生涯とその福音の約束 》3

イエス・キリストという名前の意味は?

主のみ使いがヨセフに現れて、「マリアは男の子を産む。あなたはその子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を救うからである」と言いました。

イエスはヘブライ語で「ヨシュア」というユダヤ人男性の一般的な名前で、その意味は「主は救い」です。このヨシュアのギリシア語表記は、Iesos で、ラテン語では、Iesus です。それで「イエス」と呼ぶようになりました。イエスの意味は「主(神)は救い」ですから、イエスには、「救い主」という意味もあります。

「救い主」は、「メシア」と言われます。メシアは、「油を注がれたもの」「王に任命されたもの」という意味をもつヘブライ語の Masiah 、あるいは、アラム語の Mesiah で、やがて「救い主」という意味をもつようになりました。この Mesiah がギリシア語化されて、 Messias となり、音訳されたメシアスがギリシア語に翻訳されて Xristos 「救い主」になりました。ラテン語では、Christus になります。

人となった「救い主」の名前がイエスです。そして、キリストは「救い主」という意味をもっています。イエス・キリストは、「人となった・救い主」ということになります。

なお、ヘンデルの傑作オラトリオ《 メサイア 》の MESSIAH は、ギリシア語の「メシアス」が英語化されたものです。 


イエス、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受ける
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 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼をお受けになった。
イエスが水の中からあがると、天が開け、「霊」が鳩のように自分の上に降ってくるのをごらんになった。そして、天に声がした。「あなたはわが愛する子、わが心にかなう者である」。

イエスの洗礼について、マルコによる福音書はこのように記述しています。

洗礼を受けたのちの、イエスの福音宣教の第一声は、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という、神の愛に招く「良い知らせ」でした。イエスが生涯をかけて人々に伝えたかったのは、「神は愛である」ということでした。
よく知られている「姦通の女」への態度のように、イエスは人を責め罪に定めるようなことをしないで、「良き羊飼い」のように共にいて人々を受け入れ、やさしく包み込むような人でした。

メシア「救い主」としてイエスは、どんな犠牲を払ってでも、人々の罪をあがない罪を取り除こうという愛をもちつづけていました。当時の社会で軽蔑され、疎外されていた貧しい者、病める者、徴税人、罪深い女(売春婦)そしてサマリア人に近づき、このような人こそ神の愛に招かれていると、彼らの友となっていました。目が見えない者、耳が聞こえない者には奇跡をほどこし、疲れた者、重荷を負う者には「安らぎ」を与えていました。


紀元二・三世紀まで、イエスは「良き羊飼い」の姿で表わされていました。

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カナの婚礼 イエスが最初の奇跡を行う

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 さて、ガリラヤのカナで婚礼があり、イエスも弟子たちもその婚礼に招かれていました。ぶどう酒がなくなりかけていたので、イエスの母がイエスに、「ぶどう酒がありません」と言いました。そこでイエスは給仕たちに、「水がめに、水を一杯入れなさい」と命じました。そして、「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持っていきなさい」といわれると、彼らはそれを持っていきました。世話役は、ぶどう酒になった水を味わってみました。そのぶどう酒がどこから来たのか知らなかった世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言いました。「誰でも始めに良いぶどう酒を出して、酔いのまわったころに、質の落ちるものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今までとっておいたのですね」と言ったそうです。

 イエスの奇跡で、たいへん良いぶどう酒が生みだされたようです。




イエスの親友ラザロの復活   人間の復活の希望
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 エルサレムに近いベタニアに、ラザロというハンセン病患者がいました。イエスはエルサレムへ上る時しばしば、親友ラザロの家に立ち寄っています。ラザロには、マルタとマリアという名の姉妹がいました。イエスが立ち去ったあと、ラザロは病気で亡くなりました。
 
ふたたびイエスが立ち寄ったとき、マルタは、「先生がいてくださったら、ラザロは助かっていかもしれません」と。イエスは涙を流して、愛していたラザロの死を悲しまれました。そして葬られた墓に出かけ、墓の前で大声で、「ラザロ、出て来なさい」と叫ばれました。

すると死んでいた人が手と足を布で縛られたまま出てきました。顔のまわりは手拭で縛られていました。イエスは人々に「ほどいてやって、行かせなさい」と言われました。

ラザロは、人間で最初に復活した人です。このことは、「人間は復活する」という希望となり、キリスト教絵画の主題になっています。とくに東方教会で人気の高い絵の主題になってたくさんの作品が残されています。




                          *  *  *




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by francesco1hen | 2013-05-03 12:31 | Comments(0)
2013年 05月 02日

ナザレのイエス 受胎告知から少年時代まで

ジョットによる《 イエスの生涯とその福音の約束 》 2


スクロヴェーニ礼拝堂の内部正面
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中央に、見えない「父である神」が可視的に描かれ、大天使ガブリエルをおとめマリアのところに遣わします。

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大天使ガブリエルの受胎告知 (マリアへのお告げ)

 すると、み使いは言った。「マリア、恐れてはいけません。あなたは神の恵みをいただいたので す。あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その名をイエスと名付けなさい。彼は偉大な者となり、いと高きおん者の子と呼ばれます。」


受胎告知を受けるマリア
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 そこでマリアはみ使いに、「どうしてそのようなことがありえましょうか、わたくしは男の人を知りませんのに」と言った。み使いは答えた。「聖霊があなたに臨み、いと高きおん者の力があなたを覆うでしょう。それゆえ、お生まれになる子は聖なるもので、神の子と呼ばれます。」



イエスの降誕                    (下の絵は、最後の晩餐) 
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羊飼いたちのイエス訪問

 さて、羊飼いたちが、その地方で野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主のみ使いが羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が羊飼いたちを覆ったので、彼らはひどく恐れた。み使いは言った。「恐れることはない。わたしは、すべての民に及ぶ大きな喜びのおとづれをあなたがたに告げる。きよう、ダビデの町に、あなたがたのために、救い主がお生まれになった。このかたこそメシアである。あなたがたは、うぶぎにくるまれて、かいば桶に寝ている乳飲み子を見るであろう。これがしるしである」。すると突然、み使いに天の大軍が加わり、
  
 「いと高き天においては神に栄光、地においてはみ心にかなう人々に平安!」と神を賛美した。 

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東方の三人の博士の礼拝 (マギの礼拝)
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博士たちの来訪

 ヘロデ王の言葉を聞いて、博士たちはベツレヘムに出かけた。すると、どうであろう、彼らがかつて上るのを見たあの星が、先立って進み、幼子のおられる場所の上まで来て止まった。
博士たちはその星を見て、非常に喜んだ。そして家の中に入って見ると、幼子は毋マりアとともにおられた。博士たちはひれ伏して幼子を拝んだ。そして宝箱を開けて、黄金、乳香、没薬(もつやく)を贈り物として捧げた。


イエスのエジプトへの避難
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 博士たちが立ち去ると、主の使いがヨセフの夢に現れ、「起きよ。幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げよ。そして、わたしがおまえに知らせるまで、そこに止まれ。ヘロデが幼子を殺すために捜すだろうから」と告げた。ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、ヘロデが死ぬまでそこに留まった。
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イエスの奉献とマリアの清め
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 モーセの律法に定められた彼らの清めの日数が満ちると、両親は、みどり子を連れてエルサレムに上った。これは主の律法に、「始めて生まれた男の子は皆、主に聖別された者である」と書き記されているとおり、その子を主に捧げるためであった。



ヘロデによる嬰児虐殺
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 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に怒った。 そして人を遣わし、博士たちから確かめた時に基づいて計算し、ベツレヘムとその地方全体にいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺させた。

 両親は自分たちの町、ガリラヤのナザレに帰った。みどりごは成長し、強くなり、知恵に満たされ た。神の恵みがその上にあった。


エルサレムにおける学者との問答
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 イエスが十二歳になられたとき、彼らは祭りのならわしに従って都に上った。過ぎ越の祭りの期間が終わって、帰路についたが、イエスはエルサレムに残っておられた。両親んはそれに気付かなかった。一日の旅を終えてからイエスを探したが見つからなかったので、イエスを探しながらエルサレムまで引き返した。そして、三日目に、イエスが神殿の境内で、学者たちに囲まれて座り、彼らの言葉を聞き、また、彼らに質問しておられるのを見つけた。イエスの言葉を聞いた者は皆、その賢い受け答えに驚嘆していた。



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 イエス・キリストの意味は?  次回のブログで・・・











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by francesco1hen | 2013-05-02 15:54 | Comments(0)