家田足穂のエキサイト・ブログ

france1pen.exblog.jp
ブログトップ

<   2014年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧


2014年 06月 24日

珍しい「キリシタンの聖餅器」について

2014年6月22日(日)カトリック教会では、「キリストの聖体」の主日が祝われました。

その日曜日の聖書朗読は、ヨハネにおる福音書の6章51−58節でした。主要な点を紹介します。

[イエスは言われた]「わたしは、天から降って来た生けるパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉をわれわれに食べさせるのか」と、激しく議論し始めた。イエスは言われた。「人の子(キリスト)の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は,永遠の命を得、わたしはその人を終りの日に復活させる。・・・ わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。・・・ これは天から降ってきたパンである。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

b0221219_17453341.jpg

ジョット 「イエス弟子たちの足を洗う」 わたしは仕えるためでなく、仕えるために来たのだ。


このヨハネによる福音書6章にでてくる不思議な話しは、最後の晩餐のときに明らかになります。最後の晩餐で行われたことは、四つのことです。(1)弟子たちの洗足と聖体の制定。(2)最も大事なこととして、愛につい徹底的に弟子たちに語り新しい掟を与えたことと受難の予告。(3)ユダの離反とペトロの否認の予告。(4)ゲッセマネの園での祈りからイエスの逮捕。

b0221219_17472234.jpg

ジョット 「イエスの逮捕」 ユダ「ラビ、安かれ!」(先生。シャローム・平安!)


(1)の聖体の制定の記述はつぎのとおりです。

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美をささげてこれを手で分け、弟子たちに与えて仰せになった。「取って食べなさい。これはわたしの体である」。また杯を取り、彼らに与えて言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これはわたしの血であり、多くの人に罪のゆるしを得させるために流される、契約の血である」。

このパンと杯のぶどう酒は、ミサのときキリストの体と血に聖変化した聖体として聖体拝領で信徒たちが、パンとブドウ酒の形色のうちにいただくキリストの御体と御血です。


このキリストの聖体を聖櫃の中で保存しておく器が、ラテン語で「チボリュウム」、日本語で「聖体器」といわれています。

b0221219_1745860.jpg

上段の杯は、カリスと呼ばれ、ミサのときぶどう酒を入れ聖変化によってキリストの御血としていただく杯です。下段の中央は聖体顕示台で、右端がチボリュウム「聖体器」です。


b0221219_1732778.jpg



これが、鎌倉の「駆け込み寺」東慶寺の宝物殿に所蔵されている「キリシタンの聖餅器(せいへいき)」です。おそらく高貴なキリシタンの女性が、迫害を恐れ寺に駆け込んだときに持参していた「聖体器」 ー 当時の呼び名の 「聖餅器」であったと推定されます。

器のふたに記されている JHS は、イエスの頭文字です。イエズス会の紋章としても使われてもいました。立派な「聖体器」として作られた珍しいものです。


b0221219_1731371.jpg

美しい佇まいをかもしている東慶寺


                 *   *   *

キリストの聖体にちなんで、セザール・フランクの傑作《 Panis Angelicus 》の歌詞の日本語訳を紹介します。《 パニス・アンジェリクス 》は、《 天使の糧 》と訳されています。



               《 パニス・アンジェリクス 》


    天使のパンは、人々のパンとなられました。
    与えられたパンで、旧約の徴*を完全なものとなさいました。
    貧しい者、僕であり、卑しい者であるわたしたちが、
    主キリストを食することは、おお、なんと!感歎すべきことなのです。

    御身、三位一体の神にお願いします。
    あなたをあがめ礼拝しているわたしたちの処に、
    すぐに、訪れてください。そして、
    父への道によって、わたしたちが憧れている処へ、
    御身がお住まいになる栄光のところに、わたしたちをお導きください。

                           《 天使の糧 》

                     *


* 旧約の徴とは、イスラエルの民がエジプトから脱出のときに、与えられた天から降ってきたマンナのことです。
[PR]

by francesco1hen | 2014-06-24 18:41 | Comments(0)
2014年 06月 23日

《 マラナ・タ 》という歌?

カトリック教会には、《 マラナ・タ 主よ来てください 》という新しい聖歌があります。「マラナ・タ」という言葉は新約聖書の最後にでている『ヨハネの黙示録』という記述の最後のことばです。
世の終りにキリストが再び来るという信仰にもとづいて、キリスト教徒の最終的願望、死者の復活と永遠の命が実現することを希求することばです。 まず、歌の歌詞を紹介します。



          《 マラナ・タ 主よ来てください 》


b0221219_14211777.jpg

1 主の食卓を囲み 命のパンをいただき
  救いの杯を飲み 
  主にあってわれらは一つ
   
   マラナ・タ マラナ・タ 
   主のみ国が来ますように!
   マラナ・タ マラナ・タ
   主のみ国が来ますように!


b0221219_9434358.jpg
b0221219_9505222.jpg















2 主の十字架を思い 主の復活をたたえ
  主のみ国をまち望み 
  主にあってわれらは生きる 

   マラナ・タ マラナ・タ
   主のみ国が来ますように!
   マラナ・タ マラナ・タ
   主のみ国が来ますように!


b0221219_9594673.jpg


3 主の呼びかけに応え
  主のみ言葉に従い 愛の息吹に満たされ
  主にあってわれらは歩む

   マラナ・タ マラナ・タ
   主のみ国が来ますように!
   マラナ・タ マラナ・タ
   主のみ国が来ますように!

                        (新垣壬敏 作詩・作曲)


b0221219_9245825.jpg

1番の歌詞の「主の食卓を囲み」は、最後の晩餐と十字架の救いを想起し記念するミサで、キリストの御身体と御血をいただく、聖体拝領でキリストと一つに結ばれることを歌い、終末のときにキリストが再臨し、死者の肉体がキリストのように復活し、神とともに永遠の命を生きることをたたえ、願います。主にあってわれらは「一つ」は、愛に結ばれていることを意味しています。

1番の主題は、キリスト教が一番大事にしている「愛」です。



b0221219_1032352.jpg
b0221219_10331663.jpg

2番の歌詞の「主の十字架を思い 主の復活をたたえ」は、十字架上で人類を救ったメシアであることを示すキリストの復活をたたえます。キリストの復活はキリスト教信仰の核心です。それは天国における永遠の命の約束の保証でもあります。神の国を待ち望みながらキリスト教徒は、主とともに生きています。 

2番の主題は、人間が本質的に希望的存在であることを示している「希望」です。
「希望と喜び」という美しい言葉があります。なぜ「希望と喜び」なのですか、希望のさきには「神」と一つに結ばれる「愛」があるからです。


b0221219_10532820.jpg
3番の主題は、「信仰・信頼」です。イエスの福音のはじめは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」でした。キリストの福音のことばに信頼して、「愛の息吹」である聖霊の働きに満たされながらキリスト教徒は、神への信頼のもとで地上の旅を歩みながら「神の国」ー「永遠の命」をめざします。

マラナ・タ 主よ来てください! 主のみ国が来ますように! と叫びながら、歌いながら「永遠の命」を信じ、神と一つになることを希望し、完全に神と一つになる「愛の完成」に向かっています。



                     *



使徒パウロの「コリント人への第一の手紙」の13章「愛の賛歌」の13節で「それゆえ、信仰と、希望と、愛この三つは、いつまでも残る。その中でもっとも大いなるものは、愛である」と記しています。「信仰・希望・愛」、とくに「愛は最も大事なも」のです。


聖アウグスティヌスは晩年の著書『信仰・希望・愛について』(1巻)のなかで、キリスト教徒が大切にしている信仰・希望・愛は、愛のよって分ちがたく結ばれている。そして愛こそ神にいたる道であり、律法・預言・福音の最終目標は愛であり、愛は天国において完成すると教えています。



                  *  *  *



「最後の晩餐」のときイエスは弟子たちに、「新しい掟」を3回に渡って与え、それが「友のために命を捨てること、これ以上の愛はない」と教え、命じました。



    「わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である」。

               (→ ヨハネによる福音 13 , 34 . 15 , 12 -13 . 17. )




b0221219_11134571.jpg








 
[PR]

by francesco1hen | 2014-06-23 11:41 | Comments(0)
2014年 06月 19日

伊豆高原 大室山 と 城ヶ崎海岸(’14.6.13/14)

b0221219_1185850.jpg

「伊豆の瞳」一碧湖は,前日までの雨で湖水があふれ遊歩道が歩けなく、思いを残しながら大室山に向かいました。

b0221219_11125815.jpg

b0221219_11132048.jpg


伊豆高原大室山は、標高580Mあり、伊豆単成火山群の中では最大の火山の一つです。噴火活動は約3700年前の縄文時代後期の初期と見られています。流れ出した火山溶岩流で、城ヶ島海岸ができました。円錐形の美しいすがたは沖合をとおる船から絶好の目標となりました。



b0221219_12151687.jpg

b0221219_12222127.jpg


山頂には直径300M、周囲1000M、深さ70Mの大きな噴火口跡があり、これを周遊する「お鉢めぐり」は360度の大展望がひらけ、伊豆諸島、天城連山、富士山と南アルプスまで望むことのできる大自然の素晴らしい景観に恵まれています。


b0221219_1122997.jpg

b0221219_1133384.jpg



城ヶ崎海岸の門脇吊り橋と海岸の奇景の数々

b0221219_11362072.jpg

b0221219_11361231.jpg


門脇吊り橋の長さは48Mで、高さ23M。橋の定員は100人、小錦関26名分というのが面白く、ゆすらないでくださいとか、橋の上でふざけないでください、などの注意書きがありました。(伊東市観光課)

b0221219_11485584.jpg


b0221219_11424916.jpg

b0221219_11432111.jpg


b0221219_1145832.jpg

偉大な自然景観をめぐる《城ヶ崎遊覧船》の船上から眺める大室山のすがた。



                  *  *  *


                 「詩編のことば」


  神よ、わたしたちの主よ、あなたの名は、あまねく世界に輝き、その栄光は天にそびえる。

  あなたの手でつくられた大空を仰ぎ、月と星をながめて思う。
  人とは何者か、なぜ、人に心を留められるのか。なぜ、人の子を顧みられるのか。

  あなたは人を神に近いものとし、栄と誉れの冠を授け、造られたものを治めさせ、
  すべてをその足もとにおかれた。羊も牛もことごとく、
  野のけもの、空の鳥、潮路を泳ぐ魚の群れも。

  神よわたしたちの主よ。あなたの名は、あまねく世界に輝く。


                     *


b0221219_1271453.jpg

[PR]

by francesco1hen | 2014-06-19 12:27 | Comments(1)