家田足穂のエキサイト・ブログ

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2015年 04月 22日

近くの小さな公園の八重桜  さくらの記録 (2)

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小さな公園に一本の八重桜があります。毎年、惜しみなくすばらしい花を咲かせています。

ありふれた八重桜かもしれませんが、この八重はとくにその花びらがうすく透き徹ったようはかろやかさが特徴です。これがこの八重の愛されるところです。ご覧ください。この美しさを!



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                              *






さくらの名所 引地川の上流の桜ヶ丘の川沿いの さくら です。

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川沿いの桜もうつくしいものですね。。。。。。。!



                           完





《 紹介 》 この 小さな公園の八重桜  さくらの記録(2)が、「編集部おすすめ記事」に選ばれました(2015.05.01. )。「アーカイブ」として掲載されています。
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by francesco1hen | 2015-04-22 16:57 | Comments(4)
2015年 04月 22日

藤沢教会の桜の咲き始め   さくらの記録(1)

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さくらの花の咲きはじめもなかなか美しいものです。つぎのフォトを見るととくにそう思います。

このブログは、それを独り占めにするのはもったいないと考えて、投稿におよんだのです。





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これらの桜も満開の時期になるとこうなります。 これは、そのとおり世の常ですね。


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兎に角、さくら狂いの西行法師でなくても、桜の花は美しいですね!




                 * すべて携帯のカメラで撮影しました。*
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by francesco1hen | 2015-04-22 16:36 | Comments(0)
2015年 04月 14日

金閣・鹿苑寺   世界文化遺産(1994年登録)

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金閣が水に映っている様がなんともいえず、美しい。(リーフレット表紙より)


光り輝く金閣寺は美しさで知られていますが、金閣寺の正式の名称は、鹿苑寺(ろくおんじ)で臨済宗相国寺派の寺院です。世界各地から、わが国各地から観光客が押し寄せている人気ある観光スポットです。しかし、金閣の庭園や建物は外見の美しさだけではなく、金閣が持つ日本文化を象徴する内容の豊かさに注目したいと思います。

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南北朝動乱を安定させ南北朝合体実現により、動乱に終止符をうった室町幕府3代将軍 足利義満は、独特の政治・外交・経済政策(日明貿易)によって、安定的な時代をつくり上げました。その有能な義満が、引退後の隠棲所として造ったのが金閣でした。

金閣寺のある地には、鎌倉時代に西園寺家の邸宅ともいうべき別荘「北山第」があり、壮大な池泉回遊式庭園がありました。3代将軍義満は西園寺家からこれを譲り受け、山荘「北山殿」という隠棲所「金閣」を造りました。


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この楼閣建築の金閣は、一層が藤原時代の寝殿造り「法水院」、二層が鎌倉時代の武家造り「湖音洞」、三層は中国的な禅宗仏殿造り「究竟頂」で、屋根には鳳凰(極楽鳥のような空想上の鳥)を戴いています。


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究竟頂と呼ばれる三層の内部 目もくらむように輝く室内の漆の床の上に舎利容器が安置されています。

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屋根の上に輝く鳳凰の姿

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金閣の浮かぶ鏡湖池は、仏教世界の須弥山(しゅみせん 梵 Sumeru 妙高 世界の中心の高山)の山の麓の九山八海(くせんはっかい)を模した池になっています。九つの山(島)とその間の海という池が鏡湖池といわれているのです。


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その九山八海に浮かぶ金閣の一層の寝殿造りと武家造りの二層の優雅さがよく調和しています。二つの建築様式にまったく違和感はありません。禅宗仏殿造りの三層についてもそれは言えることです。

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東側に廻って眺めた金閣の姿はまた格別です。軽快に広がり、また堂々と迫ってきます。

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北側の佇まいです。見慣れない建物という感じですが、美しさ変わりはありません。

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楼閣の右端には、船遊びができる船の「船泊まり」があります。


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裏の山に登ると金閣の後ろの姿がこのように見えます。


                         *



金閣・鹿苑寺と鏡湖池をめぐる回遊式庭園は、室町時代を代表する庭園と建築です。金閣の一層の寝殿造り、二層の武家造り、三層の禅宗仏殿造りの三様式の建物がみごとに調和し、金閣とその庭園は、平安朝と鎌倉時代の日本の伝統文化を受継ぎ、また、禅宗の仏教思想がみられる究竟頂、さらに庭園を九山八海の嶋と海にたとえるなど、文化と宗教の融合する優れた文化遺産になっています。

3代将軍義満が遺言で、没後は夢窓国師を開山(初代の住職)として寺にすることを定めました。「北山殿」金閣は、義満の法号「鹿苑院殿」から二字をとって「鹿苑寺」と名付けられました。さらに、金閣を中心とした庭園と建物は、「極楽浄土」をこの世に現したものとして造られたものであることも、室町時代の文化の情況をしめすものでもあります。

金閣・鹿苑寺とその庭園はこれらのことを考えると、世界文化遺産として評価されるだけの充分な理由があり余ります。

なお、室町時代の北山文化は、金閣以外にもすぐれた文化要素をもっています。臨済宗がさかえ、中国からの渡来僧や中国に渡った留学僧も多く,禅宗精神を具体化した水墨画や禅僧の宋学研究や漢詩文の創作により五山文学を生みだしました。能もこの時代に盛になり、観世座の観阿弥・世阿弥父子により、洗練された芸の美が追求され、能の真髄を述べた「風姿花伝」の理論書も残されました。

さらに、室町文化は今日、日本の伝統文化の代表といえる能・狂言・茶の湯・生け花は、この時代から中央や地方の区別なく、武家・公家・庶民に愛好され、文化として洗練されていきました。



                *    *    *



          国宝の銀閣寺については、 2016_05_17. のブログ
       「慈照寺銀閣と東求堂 ー 世界遺産シリーズ ー」に載せてあります。
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by francesco1hen | 2015-04-14 14:59 | Comments(0)
2015年 04月 04日

復活の主日 復活の聖なる徹夜祭 (2017_4_16)

[ 主 キリストの復活  「わたしは復活し、あなたと共にいる」]


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グレコ 《キリストの復活》

この絵のようなキリストの復活の姿は、聖書には記述されていません。これは画家の想像によるものです。しかし、復活の栄光に輝くようすは、このような輝かしいものであったに違いありません。いや、もっと神秘的な想像もできない輝きであることでしょう。


                           *


2017年4月16日の日曜日は、カトリック教会では、復活の主日です。つまりイースター・復活祭です。
教会では、土曜日の夜から復活の聖なる徹夜祭がおこなわれ、翌日曜日に復活の主日を迎えます。


[ 復活の聖なる徹夜祭 ]

典礼の儀式では、第一部 光の祭儀で、司祭がΑとΩ(アルファとオメガ=初めと終り)の徴のついた復活のローソクを捧げながら「キリストの光!」を三回唱えながら行列を行います。つづいて、荘厳な「復活賛歌」を歌いあげます。

第二部 ミサのことばの典礼は、第一朗読から第七朗読まで創世記、出エジプト記、イザヤの預言、バルクの預言、エゼキエルの預言などが朗読され、あいだに答唱詩編が歌われます。つづいて、使徒書の朗読と聖書朗読がおこなわれます。

第三部 洗礼式(古代から復活祭のときによく洗礼式が行われました)。

第四部 ミサのもっとも中心的部分である感謝の典礼が行われます。感謝の典礼が始まるときの叙唱では、盛大につぎのように唱えます。

「聖なる父よ、過ぎ越の小羊キリストが捧げられたこの時、感謝と喜びに満ち溢れてあなたを讃えます。キリストは死からの復活によって罪を打ち破り、倒れていた世界を立て直し、新しい命をわたしたちにお与えになりました。全世界は復活の喜びに満ち、すべての天使はあなたの栄光を讃え終わりなく歌います」。

これにつづいてミサは、聖変化と聖体拝領がおこなわれ、感謝と喜びのうちにおわります。ミサの終りは「行きましょう。主の平和のうちに!」これに答えて「神に感謝!」です。



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ジョット  《復活のキリスト マグダラのマリアに現われる》  ヨハネ福音書の記述による

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フラ・アンジェリコ 《ノリメ・タンゲレ (わたしに触れるな!)》  ヨハネ福音書による


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                  [ キリストの受難と十字架の死と復活について ]



ヨハネ福音書が伝えている「ニコデモとの対話」のなかで、イエスは「神は独り子をお与えになるほど、この世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命をえるためである」と言っています。

この世界について、神は始めから救いの計画をもっていました。世界と人間が創造され、アダムとエヴァが原罪を犯し、人類が罪の暗闇に苦しんでいるとき、メシアを送って人類を救う計画のはじめとして、神の子イエスをマリアに懐胎させ(受胎告知)、受肉の神秘によって神の子を人間として世に送り出しました。成長したイエスは奇跡を行うと共に福音を宣教して、人々に神の国の永遠の命の何ものにもかえることのできない価値あるものとして教えました。

いよいよ時が来て、最後の晩餐のあとイエスの受難と十字架の死のときが来ました。神の子イエスが、救い主キリストとして自分のすべてを父である神に犠牲として捧げ、人類の罪をあがなう「救いの業」十字架の受難と死を成し遂げました。そして墓に葬られて三日の後、イエスは復活したのです。イエスの復活は、キリスト(救い主)が、真の神の子であったことを鮮明にする出来事でした。そして「イエスの十字架の死と復活」は、「神の栄光」の現れであるといわれます。

イエスの十字架の死と復活は、父である神の救いの計画が達成されたこと、すなわち「神の栄光」を示しています。「神の栄光」とは、「神の救いのわざ」の素晴らしさが輝きでることです。よりやさしい言葉でいえば、神の輝く「喜び」です。

その喜びは、救われた者の「喜び」となります。そして、その喜びは神の国における《永遠の命》です。永遠の命の喜びは、神と完全に「一つになる」歓び、至福の喜びのほかはありません。

それはヘブライ語のことばでいうと《シャローム!》(神の平和・平安)です。ついでにいうと、サンスクリット語の《ニルヴァーナ》《シャンティ》(涅槃・寂静)です。これをやさしい言葉でいうと「平安・平和」ということになります。《平和・平安》は、人類共通の最高に大切なものであることが分ります。

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レンブラント 《エマオのキリスト》  復活ごイエスが二人の弟子に会う出来事



イエスが復活した同じ日に二人の弟子が、エルサレムから離れたエマオに向かって歩きながら、これまでの出来事について心配しながら話し合っていました。一人の旅人がちかづいてきていっしょに歩き始めました。

心配していることを聞いたその人は、「メシアは、必ずこのような苦しみをうけて後、その栄光に入るはずではなかったか」と言いました。そして、モーセから始めて、すべての預言者が、メシアについて聖書全体にわたって書いていることを、二人に説明しました。

やがて、彼らはめざす村にちかづいたので、泊まるようにすすめました。食卓に着いたとき、旅の人はパンを取り、賛美をささげて、二人の弟子に与えました。このとき弟子の目には、イエスということがはっきりと分りました。気が付いたときイエスの姿は消えていました(ルカ福音書24・13−35)。




                           *

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by francesco1hen | 2015-04-04 23:02 | Comments(0)
2015年 04月 03日

聖金曜日 「主イエスの受難」 2017_4_14

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ジョット 《キリストの十字架上の死》 母と弟子とマグダラのマリア、百人隊長や兵士たち、祭司長たち、ゴルゴタの丘に集まった人々。



2017年4月14日は、聖金曜日 「キリストの十字架上の受難と死」を記念し、追憶する日です。

カトリック教会の典礼では、第一部 ことばの典礼では、イザヤ預言書の「ヤーウェのしもベの苦難」の朗読と、「ヨハネによるイエス・キリストの受難」の箇所が、C.福音史家、A.ピラト/祭司長/群衆、+.イエスの三人によって劇的に朗読されます。

聖書朗読のあとは、盛式共同祈願として、教会のため、教皇のためから、困難に直面する人々のためまで、十の祈りが捧げられます。

第二部では、十字架の顕示と十字架の礼拝が行われます。



                   *     *     *



      ここでは、「キリストの十字架の受難と死」を絵画をとおしてみることにします。



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グレコ 《聖衣剥奪》  このあと十字架に磔にされます。



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グレコ 《十字架のキリスト》  十字架のもとに立つ母はマリアと弟子のヨハネです。ヨハネ福音書にもとづています。



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グレコ 《エリ、エリ・レマ・サバクタニ》(わが神、わが神、なぜわたしを捨てられるのですか)
マタイ福音書に、この言葉が記されています。
 

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ルーベンス 《ゴルゴタの丘の磔刑》  イエスは、二人の強盗のあいだに磔されました。一人は、イエスを冒涜し、一人は回心して、イエスから「今日あなたは、わたしと共に楽園にいるであろう」という言葉をかけられます。ルカ福音書の記述にもとづくと考えられます。



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ルーベンス 《十字架降下》  槍で突き刺されたという記述は、ヨハネ福音書に見られます。



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ジョット 《聖母の悲しみ(ピエタ)》  十字架降下の後の悲痛な悲劇的情景です。



                         *
     


        ジョットは、「キリストにもっとも近づいた画家である」と言われています。



        そして、も一度。 「キリストの十字架像」を見てみましょう。



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ベラスケス 《十字架のキリスト》  マドリッド美術館


キリストの最後のことば、「成し遂げられた」、そして「父よ!わたくしの霊をみ手に委ねます」。


            なぜ、この言葉が発せられたのでしょうか?


           





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by francesco1hen | 2015-04-03 16:27 | Comments(0)
2015年 04月 02日

聖木曜日 「主の晩餐」 2017_4_13

2017年4月13日(木)は、最後の晩餐を想起・記念する日です。最後の晩餐の夜の出来事は四つほどあります。第一は、晩餐の始めの「洗足」イエスは自ら弟子たちの足を洗って模範を示します。第二は、「愛について」弟子たちに徹底的に語りました。第三は、イエス自身を残す「聖体の制定」です。第四は、晩餐が終わってからの「ゲッセマネの園での祈り」そして、「イエスの逮捕」です。


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ジョット 《イエス弟子たちの足を洗う》


「洗足」

イエスは「わたしは仕えられれるためではなく、仕えるために来た」と言っていました。そもそもイエスがこの世に現れたのは、貧しい人や病人、罪びとといわれた徴税人や罪深い女たちのために仕え、救い出すためでした。弟子たちにも仕えるように模範を示したのです。

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「愛について」

晩餐の夜の記述で「イエスは弟子たちを愛して、終りまで抜かれた」と、ヨハネ福音書は記しています。そのなかで「新しい掟」を三回に渡って与え命じています。

「互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」。
二回目には「友のために命を捨てること、これ以上の愛はない」と付け加えています。

このほかにも沢山のことを話しました。なかでも最も貴重なことは「わたしが父のうちにおり、あなた方がわたしの内におり、そして,わたしがあなた方のうちにいることを、その日、あなた方は悟であろう」という言葉でした。その日とは神の国に入ったときです。これは、神と人間が完全に「一つになった」状態をいっているのです。



「ゲッセマネの園での祈り」

晩餐が終わって,イエスは三人の弟子たちを連れてゲッセマネの園で父である神に祈ります。自分のため、弟子たちのため、そして、イエスを信じる者のために祈りました。

「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです」という祈りが、わたしたちの目を惹きます。愛に溢れるイエスの祈りです。



「イエス、逮捕される」

ゲッセマネの園からで来たところに、ユダに導かれた兵士たちが押し寄せ、イエスは逮捕されました。ジョットが迫真の絵画をのこしています。説明はいりません。絵画が語ってくれます。

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                        *



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このエスキース(下絵)は、バロックの巨匠レンブラントの《最後の晩餐》の下絵です。彼は旧約聖書や新約聖書の様々な場面の作品を多くのこしています。ところが、《最後の晩餐》の完成作品はありません。

レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》を超える作品を描く自信がなかったのか、あるいは、最後の晩餐のイエスの重要な話しを表わすことは到底できないと考えたのか、その理由は分りません。
いずれにしても、貴重なエスキースです。完成作品があったのなら、素晴らしい作品であったに違いありません。

    あれこれ想像するのは興味深いことですね。






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by francesco1hen | 2015-04-02 16:36 | Comments(0)
2015年 04月 02日

イエスの《エルサレム入城》

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ジョット 《イエスのエルサレム入城》 パドヴァ・スクロヴェーニ礼拝堂



今年2017年の復活祭は、4月16日です。したがって4月9日が、主の受難の主日(枝の主日)で、この日から聖週間(受難週)が始まります。「枝の主日」というのは、最後の週のこの日のエルサレム入城に際しイエスが救い主として、人々から「ホサナ〜! ホサナ〜!」と熱狂的に賛美されて迎えられたことを記念する日です。

聖書朗読では、今年はマルコによる主イエス・キリストの受難の箇所(15章1〜39節)が朗読されました。



しかし、この枝の主日から、いよいよイエスの受難が始まります。したがって、受難週とか聖週間とよばれて、受難の月曜日、受難の火曜日、受難の水曜日、そして、聖木曜日の最後の晩餐ミサ、聖金日の主の受難の記念、聖土曜日はイエスが墓に葬られたことを偲び、夜からは復活の聖なる徹夜祭によって復活の主日を迎えます。つまり「復活祭・イースター」となります。



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フラ・アンジェリコ 《受胎告知》 フィレンツェ・サン・マルコ修道院の修室


受胎告知の最終的結末はイエスの十字架上の死と復活でした。それは神の救いの現れ「栄光」であるとされています。栄光はそのもの素晴らしさが輝きでることで、十字架の死のうちに神の「栄光」が救いの恵として輝いています。それは「キリストの復活」によって確実なものとなります。


                         *


    復活祭の日は毎年かわります。それは復活祭の算定法があるからです。
    
  復活祭の算定法によると、復活祭の日は、春分の次の満月のあとの日曜日となっているからです。



                      *  *  *






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by francesco1hen | 2015-04-02 12:13 | Comments(0)
2015年 04月 01日

マリアへのお告げ「受胎告知」

3月25日、カトリック教会では、マリアへの神のお告げ(受胎告知)が祝われます。絵画の《受胎告知》は、フラ・アンジェリコのフレスコ画が有名で親しまれています。

しかし受胎告知には、どんな意味があるのでしょうか。ルカによる福音書の1章26−38節につぎのようなことが書かれています。

天使はマリアに「恵まれた者、喜びなさい。主はあなたと共におられます」と。マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶はなんのことかと考えていました。すると天使は「マリア、恐れるこはない。あなたは神から恵をいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人となり、いと高い者と呼ばれる」と伝えました。いぶかっているマリアに天使は「聖霊があなたに臨み、いと高い方の力があなたを覆うでしょう。だから生まれる子は、聖なる者で神の子と呼ばれる」と告げました。マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおりに、この身に成りますように」と答えました。そこで天使は彼女から離れ去って行きました。

受胎告知はこのように行われました。受胎告知は、父と子と聖霊の三位一体の神のことを知らないと
理解できないかもしれません。

旧約聖書の時代に、ヤーウエの名で知られていた神は、イエスの出現によって三位一体の神であることが分りました。父である神は、人類を救うために子である神をイエスという名の救い主がこの世に人間の姿で現れることを計画しました。これがマリアへの神のお告げ「受胎告知」という神秘的なことなったのです。

受胎告知は、神が人間の姿でこの世に現れる最初の出来事で、「受肉」(incarnation=託身、人の姿をとること)ともいわれます。神が人間の身体をとって人々に接することです。福音記者ヨハネは、イエスのことを、神である御言葉(ロゴス)と呼んでいます。父である神の意志や思いを人間に語るのがイエスだからです。

受胎告知は、救い主たしてのイエスの地上での生涯の始まりです。メシア・イエスの「救い」は、受肉によって(人間となって)人類を救う十字架上の犠牲(死)と復活が可能になったのです。


フラ・アンジェリコは、《受胎告知》のテンペラとフレスコ画で三つの作品を残しています。

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1432-33年頃 テンペラ板絵 コルトーナの司教美術館

大天使ガブリエルがマリアのもとに現れ、神のお告げを伝えています。マリアは敬虔な面持ちでガブリエルの方に身をかがめ、言葉を聞いています。円柱の上の円形枠には、乙女がみどりごが生まれることを預言した預言者イザヤが描かれ、また、左奥にはアダムとエバの楽園追放がが描かれ、人類の救い主の誕生の最初の告知を表わすこの絵の主題に相応しい絵になっています。

この《受胎告知》は、疑いもなく最初の偉大な作品であり、《受胎告知》の一連の作品の原型となっています。


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1441-43年頃 フィレンツェ、サン・マルコ修道院第3修室

このフレスコ画は、修道士たちの黙想や観想の助けとなる壁画で、そのために装飾的な形や豊かな色彩を避けて簡素に描かれています。民衆を教化するような華麗なコルトーナの作品とは大きく異なります。

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1450年 フィレンツェ、サン・マルコ修道院2階廊下

このフレスコ画は、わが国で一番よく知られている作品です。華麗なコルトーナの祭壇画とサン・マルコ修道院の修室に描かれた壁画との中間に位置するような作品です。落ち着きのある好ましい作品として親しまれています。








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by francesco1hen | 2015-04-01 23:30 | Comments(0)