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2014年 04月 29日

公園の遊具も英語の表記です

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近くの小さな公園の遊具が新しくなりました。新しくデザインされた遊具は好ましいすがたで子供たちの気を惹いているようです。

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左右に揺れるこの遊具には、珍しく英語の表記がしてありました。なんと Sea otter と書いてあります。海のひょうきん者 ラッコ です。その裏側も sea otter でした。

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微笑ましいデザインです。ちなみに otter は、カワウソです。

この sea otter の前の遊具は、素朴な木製の馬でした。もちろん馬という表記はありませんでした。

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ラッコの左奥にあるのは、河馬でした。

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河馬の表記は hippopotamus です。これはラテン語の学名表記ですが、英語ではそのまま河馬の名前となっています。俗には hippo と呼ばれています。

この hippopotamus の裏側は elephant です。リンゴを鼻で持ち上げているすがたはなんとも可愛いものですね。早く子供たちに乗ってほしいものです。乗った跡がありましたが。

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子供のうちから英語に馴れさせようという最近の英語重視の文教政策の反映でしょうか。いずれにしても好ましい英語表記です。
           
                 *  *  *



hippopotamus の Hippo は、古代ローマ帝国時代の北アフリカの町の名前です。

ヒッポは、古代ローマ帝国時代にアウグスティヌス(354−430)が活躍したことで有名です。

アウグスティヌスは、北アフリカ生まれのローマ人でした。彼の前半生の経験は、ローマ人のだれしもが大なり小なり経験するような生き方でした。学芸研究や思想の遍歴をした後、ミラノでキリスト教に改宗しました。

改宗後、アウグスティヌスは間もなく北アフリカに帰り、北アフリカのヒッポの司教としての司牧活動と学問研究で大きな業績を残しました。彼は,古代最大のキリスト教神学者といわれています。

このアウグスティヌスは、ミラノの回心以来の魂のあり方を包み隠さずつづった『告白録』を著して、世間の人々の共感を呼びました。彼は、その『告白録』の第一巻の冒頭でつぎのように書いています。


   「(神よ)あなたは、わたしたちをあなたに向かうようにお造りになりました。だから、
   わたしたちはあなたの所に行くまでは、心の安らぎを得ることができないのです」。

                    *


「人間は神から出て、神に戻るのが本来のすがたである」。また、「人間の命の源泉は神であり、人間の最終目標も神である」と、アウグスティヌスは考えていました。


人間が神のところで「安らぎ」を得ることは、来世において「永遠の命」を生きるということです。
人間が神のもとで「神と一つになり」神の命をともに生きることを、アウグスティヌスは「愛の完成」と言っています。「一つになる」ことが「愛」であるならば、最高の存在である神と一つになる「愛」は、「完全な愛」であるからです。「愛の完成」とはこのようなことを言います。



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by francesco1hen | 2014-04-29 17:54 | Comments(0)
2013年 05月 08日

世界の終り《 最後の審判 》

ジョットによる《 イエスの生涯とその福音の約束 》7



《 最後の審判 》

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スクロヴェーニ礼拝堂内部西壁全面の《 最後の審判図 》

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中央の「審判のキリスト」 ロマネスク時代は「栄光の主キリスト」と呼ばれていました。

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「天の国(神の国)に迎えられる人々」(部分)

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「地獄に落される人々」(部分)



マタイによる福音書に記述されている「最後の審判」

 人の子(イエス・キリスト)が栄光に包まれ天使を従えてくるとき、人の子は栄光の座につき、すべての民族は、その前に集められる。そして、人の子は、牧者が羊と山羊を分けるように、彼らを二つに分け、羊を右に、山羊を左に置く。

 そのとき王は自分の右側の者に言う。『わたしの父に祝福された人たち、さあ、世の始めからあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたがたは、わたしが飢えているときに食べさせ、渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢屋にいるときに訪ねてくれたからである』。

 そのとき、正しい人たちは答えるであろう。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておられるのを見て食べさせ、渇いておられるのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅をしておられるのを見て宿を貸し、裸でおられるのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気であり、牢屋におられるのを見て,あなたを訪ねてあげましたか』。

 すると王は答えて、『あなたがたによく言っておく。これらのわたしの兄弟、しかも最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしたのである』と言うであろう。

 そして、左側の者に向かって、『のろわれた者たち、わたしを離れて、悪魔とその使いたちのために用意されている永遠の火に入れ』と言うであろう。 (マタイ 25, 31 - 41 )

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ジョットによる《イエスの生涯とその福音の約束》の壁画は、これで全てです。


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《 イエスの福音の約束 》とは、どんな約束でしょうか?

一言でいえば、それは天の国(神の国)における「 永遠の命 」です。
イエスは、最後の晩餐のあとゲッセマネの園で、自分のため、弟子たちのため、信じる者たちのために、血の汗が出るような祈りを父なる神に祈っています。

 「父よ、時が来ました。子があなたに栄光を帰することができますように、
 あなたの子に栄光をお与えください。
  子が、あなたから与えられた人すべてに、永遠の命を与えるためです。

 永遠の命とは、唯一の真の神であるあなたを知り、また、あなたがお遣わしになった
 イエス・キリストを知ることです。 (知る = 神を愛すること)

 どうか、みんなを一つにしてください。
 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、
 彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。

 わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、
 彼らが完全に一つになるためです。・・・・・」


イエスの福音の約束とは、神と人間が、完全に「一つになる」ことでした。それが「永遠の命」ということです。



キリスト教は、「愛の宗教である」とよく言われています。なぜ「愛の宗教」なのでしょうか。

キリスト教の神は、「三位一体の神」といわれます。父である神、子である神(キリスト)、そして、聖霊の三つのペルソナが、一つになっている神です。三つのペルソナは、神性において一つであるから、三位一体の神といいます。

「神は愛である」といわれます。二つ以上のものが、「一つになる」ことが愛です。三つのペルソナが一つになっている神は、「愛そのものである」ということができます。したがって、「神は愛である」のです。この《愛である神》と「一つになる」ことは、人間の究極の幸福(至福)であると思います。

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by francesco1hen | 2013-05-08 11:19 | Comments(0)
2012年 07月 19日

(4)《 八角形の聖堂 》 カトリック藤沢教会

藤沢教会は、1955(昭和30)年に松林に囲まれた丘の上に献堂された教会でした。その後1963(昭和38)年ごろからの市の区画整理で丘は現在の平地になり、新教会は1970(昭和45)年に献堂式が行われました。

このとき建築された新教会は、世界でも珍しい《 八角形の聖堂 》でした。八角形の建物といえば、法隆寺東院堂の夢殿や幸福寺北円堂などのは八角堂があり、日本人にはなじみ深い建物です。とはいえ藤沢教会の大きな《 八角形の聖堂 》は、珍しい教会建築といえます。

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藤沢教会は世界的にも珍しい八角形の聖堂であるといいましたが、ヨーロッパでは、ロマネスク時代から教会の塔とか洗礼聖堂では八角形の塔や洗礼聖堂は珍しくありません。写真の例は、ミラノの大聖堂の近くにあるロマネスクの教会の塔と洗礼聖堂です。有名なものでは、南仏トゥールーズのサン・セルナン教会の塔は、その高さ塔の美しさで人の目を惹きます。フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の正面にあるダンテが洗礼を受けた八角形洗礼聖堂も美しい姿を示しています。

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8という数字は、キリストが復活後8日目に弟子トマスに現れたことから、「復活の象徴」としての聖数となっています。そのことから聖堂、塔、洗礼堂、洗礼盤などが「八角形」で造られることが多いようです。

別の面から考えてみますと、「円」には始めも終わりもないことから「永遠」とか「永遠の存在」を示す象徴です。また、「円」の完全なシンメトリーと不変の均衡を持つことから、神の完全生や全能・永遠性・天の国を表わす象徴となっています。

洗礼によって新しく生きる者となる。この世を終えたときの天国に入る希望に生きる。神の国への憧れ。おわりの日にキリストのように復活する。「永遠の生命」と「肉身の復活」への希望に生きるキリスト教徒にとって、キリスト教徒として新たに生まれる「洗礼聖堂」と天国への憧れを示す「八角塔」などは、それぞれ深い意味をもつものです。

「円に内接する八角形」は、限りなく円に近づく形です。八角形は、「天(円)と地(方形)」との中間的状態の形態として「人間の行為そのもの」として考えられています。また、「八角形」は、「天へと志向する地上的なもの」と理解されています。


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八角形の藤沢教会では、新しい命に生きるための洗礼式が行われます。信徒たちは、ここでミサで祈り、天国における幸福を待ち望んでいます。そして、神の国では「神と一つになる」喜びを感謝と賛美のうちに「永遠の命」を生きることを究極的に求めながら、教会的生活をしています。

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藤沢教会の《八角形の聖堂》は、「洗礼聖堂」、「天国への憧れを示す塔」、最後の晩餐と十字架の犠牲を象り、典礼化した「ミサを行う祭壇を囲み、信徒たちが集まる聖堂」の三つの聖なる場を持っている《聖堂》であるといえましょう。
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by francesco1hen | 2012-07-19 18:27 | Comments(0)
2011年 10月 08日

漢字の面白さと意味の深さ(7) 愛と望

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かわいい子から立派な大人まで愛という字のつく人はたくさんいます。愛は人間の本質をあらわしている、と言ってもいいでしょう。何かを愛する、何かが好きであるということによって人間は動いています。愛は人間の行動の源泉です。愛がなければ人は生きて行けません。愛には喜びがあります。そして平和と幸福があります。



[ 愛 ] この心を取った字、ふつうの漢字にないのですが「あい」とい字と心を組み合わせた形が、愛という字になりました。後ろを顧みてたたずむ人の形である「あい」の胸のあたりに心を加えた形。「愛」は後ろに心をひかれる人の姿で、その心情を愛といい、「いつくしむ」の意味となります。国語では「かなし」とよみ、後の人に心を残す、心にかかることをいいます。それにより愛情の意味となりました。
用例はみなさんがよくご存知です。ただ、愛は「希望と喜び」を呼び起こすということに注目したいのです。

[ 望 ] 甲骨文字の字形は、つま先で立つ人を横から見た形(壬てい)の上に臣(上方を見ている目の形で大きな瞳)をかく形(臣の下に壬を置いた字)で、つま先立って遠くを見る人の形です。これに亡をくわえて望という字に音を与えました。遠くを望み見ることから、「のぞむ、まちのぞむ、ねがう」の意味に用います。用例には、望見、切望、待望、絶望などがあります。


男でも女でも 望(のぞむ)(のぞみ)の名前が付けられます。親は、この子がきっと希望に満ちあふれた人生を送るようにと希望して名付けたことでしょう。希望には喜びがあります。


愛と望に信という字を加えると、「信仰・希望・愛」というキリスト教が大切にしている言葉になります。信仰とは、神を知り、自分に頼らず、全面的に信じ、信頼することです。「知る」ということは愛のはじまりです。知ることによる親しさは、愛ということです。愛するもの(神)に深く近づくことが信仰であるともいえます。


希望は喜びとなります。喜びのうちに生きながら「神と一つになる」ことを願い、「永遠の命」をひたすら願う。すなわち、喜びのうちに希望し、待ち望む期待の喜びの先きにあるものに向かいます。
愛するもの(神)に向かう喜びが希望です。


愛は、これこそ最も大切なものです。「神は愛です」。そして神の恵みと愛は、すべての人に与えられています。すべての人は、神の愛に招かれています。神によって造られた人間は、神の愛の中にもどるように招かれています。人間の最終目標は、神と一つになる「永遠の命」に入ることです。これによって愛は完成されます。


これが「信仰・希望・愛」です。信仰と希望とによって人は神と直接結びつけられますが、これに勝って人を神と「一つにする」最も大切なものが「愛」です。そして「一つになる」ことも愛なのです。


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       ラテン語で《 Spes et Gaudium 》(希望と喜び!)という美しい言葉があります。




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東京都文京区駒込の「六義園」(りくぎえん)です。

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「六義園」は、5代将軍綱吉が川越藩主の柳沢吉保(後に側用人=大老格)に与えたことにより、柳沢吉保が年月をかけて造園した大名庭園です。日本の名勝に数えられています。

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庭園には、万葉集と古今和歌集で詠まれたの八十八景(現在は41景)が、庭園の随所にちりばめられ見事な景観を見せています。

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庭園中央の池には、たくさんの キンクロハジロ が泳いでいます。

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これはメスです。オスは腹のところが白いのが特徴です。
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あちらこちらに、ツツジがよく咲いています。水面にツツジの色が反映しているのが美しい。

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州浜の美しさも見所の一つです。日本の庭園はその美しさで世界的に有名です。



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   鳥取県安来の「足立美術館の庭園」は、世界的に超有名な庭園です。



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        あなた方がわたしの掟を守るなら、わたしの愛に留まることになる。
        わたしが父の掟を守って、その愛に留まっているのと同じである。
        わたしがこれらのことをあなた方に話したのは、
        わたしの喜びがあなた方のうちにあり、あなた方の喜びが満ち溢れるためである。




                            (ヨハネによる福音書 15 , 10-11)







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by francesco1hen | 2011-10-08 17:37 | Comments(0)
2011年 10月 06日

漢字の面白さと意味の深さ(5) 希と願

この初夏、大きな手術をうけた入院中に理学療法士の夏希という人の指導を受けました。秋になって、ブザンソン世界指揮者コンクールで垣内悠希さんが優勝しました。希は願いにも通じます。それでこの二つの字を調べてみました。


[ 希 ] 希は、すかし織の布の形です。上のメは交(こう)。交はその織り方で、下の巾が麻の布です。もと希(まれに数すくなくめずらしい様子)の意味で用いられていましたが、それは布の織り目が粗いからであろうと言われています。のちに希(まれ)の意味は稀(き)を使うようになり、希は「ねがう」の意味に用いられるようになりました。用例は、(稀)希少、希薄、希有(けう=めったにないこと)。
もっともよく使われるのは希望です。

希望のはんたいは絶望。太平洋戦争後の1940年代に、キルケゴールの『絶望は死に至る病である』という訳書がでました。これに触発されて、わたくしは《絶望を超えて》という題名の油絵を描いたことがあります。それから、ずいぶん後になって「希望と喜び(spes et gaudium)」という素晴らしい言葉に出合いました。希望の向こうには愛があります。愛は喜びですね。


[ 願 ] 原と頁の組み合わせ。古い文献では「大きな頭なり」と、また「思うなり」とあります。深く思うことから「ねがう」という意味になったと考えられています。原の下に心を付けた字には「つつしむ」という意味があり、頁(けつ)は、古い象形文字で神を拝む人の姿であるから、願は
つつしんでお願いする意味の字であろうと言われています。用例として、願望、祈願、哀願、悲願などがあります。

人間の魂からの願望は何処に向けられているのでしょうか。究極的には[永遠の命]ではないでしょうか。それを祈願している人々は大勢いると思われます。悲願(ぜひとも達成しようとする心からの願い)している人々もいます。



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奥蓼科の風景です



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          あなた方がわたしの愛のうちに留まっており、
          わたしの言葉が、あなた方のうちに留まっているなら、
          望むものは何でも願いなさい。そうすれば、かなえられる。

                    (ヨハネによる福音書 15 , 7 )

 
 
 イエスの言葉で、いちばん大切なものは、最後の晩餐のときに話した「新しい掟」です。
 「わたしがあなた方を愛したように、あなた方が互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である。
 友のために命を捨てること、これ以上の愛を人はもちえない」という有名な言葉です。 
 



   
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by francesco1hen | 2011-10-06 11:05 | Comments(0)