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タグ:『兄弟太陽の賛歌』 ( 4 ) タグの人気記事


2012年 02月 21日

《 インテルメッゾ 2 》 小鳥への説教

京都栂尾(とがのお)高山寺に「明恵上人樹上座禅像」という絵があります。松林のなかで、一切を放下し自然に没入して、座禅を組んでいる明恵上人が描かれています。自然のなかに根を下ろしたような明恵上人の姿は、気魄に満ちていますが、柔和な表情は描かれているリスや小鳥たちに語りかけているようです。

この明恵上人(1173-1232)の描かれた絵をみると、アシジの聖フランチェスコ(1181/2-1226)の「小鳥への説教」のことを思い出します。この二人は同時代の人で、聖フランチェスコと明恵上人が似ているという人がいます。

聖フランチェスコは、おそらく日本では一番親しみを感じている人が多い聖人と思われます。それは彼が、自然界のものに対して同じ兄弟姉妹として語りかけ親しみをもっていたからでしょう。「小鳥への説教」のことが、それを裏付けるような役割を果たしているようです。

チェラーノのトマスが記した『聖フランチェスコの第一伝記』に出ている小鳥への説教のところを紹介します

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アシジの聖フランチェスコ大聖堂の下堂に描かれている《小鳥への説教》


兄弟たち(修道会の会員)の数を増しながら、聖フランチェスコは、スポレート盆地を横切っていた。ベヴァーニアに近い場所にさしかかると、そこにはおびただしい数のいろいろな種類の鳥たち、
鳩、みやまがらす、そしてウソと呼ばれているものなどが集まっていた。動物たちにも慈愛と愛情を抱くほどに情熱に満ち充ちていたこの神の僕は、それを見て連れのものたちを道に残したまま、急いで鳥たちのところに走って行ったいった。そして、近づきながら鳥たちが彼を待っているのを見て、鳥たちに挨拶を送った。しかし驚いたことに、鳥たちはふつう行うように飛び立って逃げようとはしなかった。喜んだ彼は,謙虚に神の御言葉を聞いてくれるように鳥たちに頼んだ。彼が話したのは次のようなことであった。

「わが兄弟の鳥たちよ。お前たちは、お前たちの創造主を讃え、つねに愛さなければなりません。この方は、お前たちの身を覆うための羽毛を、飛ぶための羽を、そして、お前たちに必要なすべてのものを与えたもうからです。神はほかの動物たちのなかでも気高くお前たちを造り、きれいな空気のなかに住むことをお許しになったのです。お前たちは種をまくこともなく、刈り入れをすることもなく、それにもかかわらず、神は自からお前たちが何の心配もないように見守ってくださるのです」。

この言葉に、鳥たちは彼らの仕方で、首を伸ばしたり、翼を広げたり、嘴を開けたり、彼をみつめたりして、ありありと歓喜のしるしを示した。そして彼は鳥たちの間を行ったり来たりして、彼の修道服で頭や体にそっと触れた。さいごに鳥たちを祝福し、十字を切って飛び去る許可を与えた。それから聖フランチェスコは、連れのものたちとともに歩き始め、あらゆる被造物から賛美され崇められている神を賛美し、そして感謝した。

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アシジの聖フランチェスコ大聖堂の上堂の「聖フランチェスコの生涯」の一コマ「小鳥への説教」


なお、アシジの聖フランチェスコの自然界への態度をよく示している歌があります。これはイタリア文学の最初の作品と位置づけられています。その歌とは『兄弟太陽の賛歌』です。太陽をはじめ自然界にあるものを兄弟姉妹と呼びかけ、共に神を賛美する広がりをもっている美しい歌です。
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by francesco1hen | 2012-02-21 23:07 | Comments(0)
2011年 10月 07日

漢字の面白さと意味の深さ(6) 信と任

インド人は人に出合うと「ナマステ!」という意味深いあいさつを交わします。これは「あなたを信頼します。どうかよろしくお願いします(お任せします)。」という挨拶です。ナマステは、古代のサンスクリット語いらいの言葉で、漢民族によって「南無」と音訳されました。仏教の言葉として日本に伝わり「南無阿弥陀仏」の念仏などで使われています。「南無」は、絶対的な信仰を表わすために唱える言葉です。そこで、まず信とう字から入ります。


[ 信 ] 人と言を組み合わせて形です。言は、「さい」と呼ばれる祝詞を入れる器の形。神と誓った上で人と約束したことを「信」といいます。この信は、信義(約束したことはその通り実行する)、自信、所信などに使います。さらに「しるし」「たより」「つかい」の意味でも用い、信号、通信、音信などがあります。また「まこと」「まことにする」を信と書くこともあります。


珍しい文があります。一遍上人の『語録』に「信とは、まかすとよむなり。他にまかする故に、人の言と書けり。人たるもの言は、まことなるべきなり。」(・・・・・本来、まっとうな人の言葉は真実であるべきである)と。本当のことをいう人には信頼する(任す)ことができます。


[ 任 ]  壬(じん)は工具(たたき台)の形。金属を打ちきたえて器物を作るためのたたき台ですから、強い力や重さに耐える台です。それで任は、人が「たえる、あたる、になう」の意味となります。また、「まかせる」の意味にも用います。「つとめ、しごと」の意味でも使われます。
任務、辞任、一任、放任など、そして、信任。


信じ任せることが最も大切ですね。一遍上人が阿弥陀仏の救いを信じ、安心(あんじん)したように。また、アシジの聖フランチェスコが、神への全面的な信頼のうちに『兄弟太陽の賛歌(被造物の賛歌)』を歌ったように!


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奥蓼科の谷や山々を越えて御射鹿池にたどり着きました。10月22日撮影。



                   *     *     *



          父がわたしを愛してくださったように、わたしもあなた方を愛してきた。
          わたし愛に留まりなさい。

                            (ヨハネによる福音書 15 , 9 )


 
   イエスは最後の晩餐の夜、「ぶどうの木」のたとえの中で、弟子たちにくり返しくりかえし、
   「わたしの愛に留まりなさい」と話しています。弟子たちにということは、すべての人間の
   ことです。








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by francesco1hen | 2011-10-07 16:36 | Comments(0)
2011年 06月 23日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(9)

サン・ダミアーノ、ここで聖クララは41年間の修道生活を送りました

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写真は、サン・ダミアーノの修道院とその中庭。

サン・ダミアーノの聖堂で、フランチェスコは十字架からの「キリストの声」を聞いて、聖堂の修復の仕事を始め、1206年には「財産放棄」を宣言して、聖書の言葉に忠実にに従う生活に入りました。フランチェスコの教えの最も忠実な弟子として清貧の修道生活をつづけたクララ(イタリア名でキアーラ)は、後にフランチェスコの命令でこの修道院の院長になりました。

フランチェスコが晩年、病気がひどくなり先に進めなくなったとき、この修道院の中庭に小屋を建ててもらい病躯を休めざるをえませんでした。この苦しい時に有名な『兄弟太陽の賛歌』が作られたのです。この歌は最初のイタリア文学と言われていますが、聖フランチェスコの霊性をよく表わしている作品です。このブログ・シリーズの「捨てる」という霊性(15)にその全文が出ています。

聖クララ(キアーラ)は、アシジの貴族の家に生まれ(1194)、フランチェスコの模範に倣い、
清貧に徹した厳しい修道生活を送り、1253年に帰天しました。1255年には聖人に列せられ、
1257年にはサンタ・キアーラ教会の建設が始められました。

死後クララの遺骸は腐敗を免れ、今もサンタ・キアーラ教会に保存されて、生きているような姿で、訪れる人々を感動させています。

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シモーネ・マルティーニ作 聖クララ(キアーラ)像 (サン・フランチェスコ大聖堂下堂)
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by francesco1hen | 2011-06-23 22:29 | Comments(0)
2011年 05月 18日

《兄弟太陽の賛歌》と 興願僧都への御返事 「捨てる」という霊性について(15)

むすびにかえて ー 聖フランチェスコと一遍上人の心と姿

清貧や捨棄に徹した二人が「捨てること」によって得たものが何であったかを見てきました。また、
フランチェスコや一遍に出合い「平和の挨拶」や「念仏札」を受けた人びとの姿も見てきました。
とは言っても彼らの姿のすべてが明らかになった訳ではなく、ここではそのごく限られた一部分で
しかありませんでした。

おわりに当たり、このすぐれた宗教者にもっと深く近づき知るよすがとして、フランチェスコがサン・ダミアーノの小屋の中で病苦と精神的な苦悩の中で作った『兄弟太陽の賛歌』(この賛歌は最初のイタリア文学と高く評価さています)、並びに、一遍が興願僧都に送った「消息法語」(念仏について一遍の最も深い思念を美しい散文で書いた手紙)を掲げて皆様に読んで頂こうと考えました。


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チマブーエが画き、最も真実に近いといわれるフランチェスコ像



   
     『兄弟太陽の賛歌』(Cantico di Frate Sole)

  高くましまし、いつくしみ深い全能の主よ。
  あなたには賛美と栄光と名誉、そしてすべての祝福があります。
  あなたはそれにふさわしいからです。
  あなたのみ名を呼ぶにふさわしいものは、
  この世にひとりもおりません。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。
  あなたがお作りになったすべてのものの賛美を受けてください。
  とくに私の兄弟、太陽の賛美を受けてください。
  太陽は昼を来させ、その昼の間、あなたは私たちに光を注いでくださいま
  す。
  太陽は美しい、大きな輝き。
  高くましますあなたのお姿は、太陽の中にうかがうことができます。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。私の姉妹、月と星の賛美を。
  あなたは空の中に、月と星を明るく美しくお作りになりました。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。私の兄弟、風の賛美を。
  大気と雲と晴れた空の賛美を。
  これらの兄弟のもとに、あなたはすべての生き物を養ってくださいます。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。私の姉妹、水の賛美を。
  水は役立ち、つつましく清らかです。

  賛美を受けてください、私の主よ。私の兄弟、火の賛美を。
  火を使ってあなたは夜を照らしてくださいます。
  火は美しく楽しく、勢いよく力強いものです。

  賛美を受けてください、私の主よ。
  私の姉妹、母親大地の賛美を。
  大地は私たちを育て、支え、たくさんのくだものを実らせ、
  綺麗な花と草を萌え出させます。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。
  あなたへの愛ゆえにゆるし、
  病と苦しみに耐え忍ぶ者のために。
  しずかに平和をまもる者はしあわせです。
  いと高くまします主よ。そのひとたちは
  あなたから、栄冠を受けるからです。

  賛美を受けてください、私の主よ。
  私たちの姉妹、肉体の死の賛美を。

  生きるものはすべてこの姉妹の手から逃れらない。
  大罪を背負って死ぬものは不幸ですが、
  あなたの聖なる御旨を行いながら死ぬものは幸いです。
  第二の死にそこなわれることはもうありませんから。  
          (註「第二の死」とは、地獄に墜ちること)

  賛美しよう、歌をささげよう。
  感謝の歌をささげ、深くへりくだって、主に仕えよう。

                         
        ( [小川国夫訳] ゆるしと平和の節、筆者補訳)



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      一遍上人の風貌がよく現れている画像です。




    興願僧都、念仏の安心を尋ね申されけるに、書きてしめしたまふ御返事

 それ、念仏の行者用心のこと、しめすべきよし承り候。南無阿弥陀仏とまうす外、さらに用心もな  
 く、此の外に又示すべき安心(あんじん)もなし。諸諸の智者達の様々に立ておかるる法要どもの
 侍るも、皆諸惑に対したる仮初めの要文なり。されば、念仏の行者は、かようの事をも打ち捨てて、
 念仏すべし。
 「むかし、空也上人へ、ある人、『念仏はいかが申すべきや』と問ひければ『捨ててこそ』とばか
 りにて、なにとも仰せられず」と西行法師の選集抄に載せられたり。是誠に金言なり。
 念仏の行者は智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賎高下の道理をも捨て、地獄を恐る
 る心をも捨て、極楽を願ふ心をも捨て、又諸宗の悟りをもすて、一切の事を捨てて申す念仏こそ弥
 陀超世の本願にはかなひ候へ。
 かやうに打ち上げ打ち上げとなふれば、仏もなく我もなく、まして此の内に兎角道理もなし。善
 悪の境界皆浄土なり。外に求むべからず。厭ふべからず。

 よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。
 人ばかり超世の願に預かるにあらず。またかくのごとく愚老の申すことも意得にくく候はば、意得
 にくきにまかせて愚老が申すことをも打ち捨て、何ともかともあてがひはからずして、本願に任せ 
 て念仏したまふべし。

  念仏は安心して申すも、安心せずして申すも、他力超世の本願にたがふ事なし。弥陀の本願には
 欠けたる事もなく、あまれることもなし。此の外にさのみ何事をか用心して申すべき。ただ愚かな    
 る者の心に立ちかへりて念仏したまふベし。

 南無阿弥陀仏
                               一遍
  興願僧都




「捨てる」という霊性についてのシリーズはこれで終わります。


また、新しいブログでお目にかかります。


「神の平和が皆様に与えられますように!」「シャンティ・寂静!」(平和)


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ローマ スビアコの洞窟に描かれた青年フランチェスコ












  
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by francesco1hen | 2011-05-18 16:42 | Comments(0)