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2012年 06月 16日

座間谷戸山公園へ再訪(2)

「わきみずの谷と野鳥観察ウォール」

府中街道をそれて水鳥の池のおくの方へゆくと、ボコボコと気持ちの良い音を出している「わきみずの谷」にでます。豊かな水をたたえた小さな谷に白いスイレンガ咲いていました。谷のおくの方の小さな建物は「野鳥観察ウォール」です。

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園内には、野鳥観察小屋が2カ所、野鳥観察ウォールが1カ所あります。あたりは静かで野鳥の鳴き声がよく聞こえます。

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野鳥観察ウォールの小窓から見る自然の景色は、また格別ですね。
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観察小屋やウォールには、野鳥の鳴き声が掲示されています。ところが、第2野鳥観察小屋の近くにこんな掲示板のサービスがありました。まことに面白く読みました。

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コジュケイの「一寸こい!、チョット コイ!」。そして、センダイムシクイの「焼酎一杯 グビィ」は傑作です。このほかにも鳥の鳴き声の「ききなし」は、面白いですね!


         
        詩編 148「全被造物に呼びかける賛美のさそい」

         太陽と月は神をたたえよ。
         きらめく星座は神をたたえよ。
         大空は神をたたえよ。
         雲は神をたたえよ。

         神のことばで造られた 天にあるすべてのものは、
         神の名をたたえよ。
         神は造られたものに おきてをあたえ、
         とこしえに それを定められた。

         地にあるものは神をたたえよ。
         海と そこに住むものは神をたたえよ。
         いなずまと あられ、雪と霜は神をたたえよ。
         吹きすさぶ風は神をたたえよ。

         山と丘は神をたたえよ。
         身を結ぶ木、すべての糸杉は神をたたえよ。
         野のけもの、すべての家畜は神をたたえよ。
         地をはうもの、翼ある鳥は神をたたえよ。

         地を治める王、すべての民は神をたたえよ。
         すべての支配者は神をたたえよ。
         若者と おとめたちは神をたたえよ。
         年老いたものも、子供たちも神をたたえよ。



わが国でも、このような考え方があります。鎌倉中期の一遍上人は、有名な「興願僧都へのお返事」の中で、つぎのような文を残しています。
    
  「よろず生きとし生けるもの、山河草木、吹く風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことし。          人ばかり超世の願に預かるにあらず。」

これは詩編148と同じように、すべてのものが阿弥陀如来を讃え、念仏を唱えているのだ、と言っているのです。
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by francesco1hen | 2012-06-16 15:57 | Comments(0)
2011年 04月 26日

《兄弟太陽の賛歌》と『興願僧都への御返事』           「捨てる」という霊性について(5’)

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アシジのフランチェスコは、彼自身が作った《兄弟太陽の賛歌》(『被造物の賛歌』とも)でも知られるように、神によって造られた被造物はすべて兄弟姉妹であるという心を持っていました。太陽や月,空気や水、大地の草花にいたるまで神を賛美している兄弟姉妹であると自然を愛していた彼は,
1979年11月29日,教皇ヨハネ・パウロ2世から「環境保護の聖人」と宣言されました。

「捨聖」一遍が興願僧都への手紙の中で書いた「よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずということなし。人ばかり超世の願に預かるにあらず」と、人間だけが成仏するのではなく,命あるすべてのものが救われて成仏できるのだ、と人間の思い上がりをたしなめています。


地球上を征服し資源を極限まで使い,快適便利な生活を追い求める現代文明は、地球環境を破壊するまでに危機を拡大してきました。また、この文明の方向は、金融危機や世界同時不況を引き起こし,
気候変動による自然災害や不当な国家権力の抑圧によって,地球上の各地域で多くの人々を厳しい困窮・困難な状況の中に陥れました。


宇宙の森羅万象が神を賛美する兄弟姉妹であるというフランチェスコの霊性や、生あるすべてのもの
吹く風,立つ浪の音までが,仏になる性質、仏性(ぶっしょう)備えているという、謙虚で慈しみ深い一遍のとらえかたを知るとき、人間の傲慢な考えで現代文明を生きている「われわれ」にとって、
彼らの考え方には大きな意味があると、謙虚に反省しなければならないと思います。


フランチェスコと一遍の生きた姿やその「捨てる」という霊性から、現代世界を生きる「われわれ」が学ぶメッセージはたくさんあります。

「断捨離」によってフランチェスコや一遍が、あらためて発見した世界は、このようなものでした。


《シャローム・平安!》




壁画の絵の題名は「清貧の聖人」フランチェスコの《小鳥への説教》です。
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by francesco1hen | 2011-04-26 11:31 | Comments(0)
2011年 04月 25日

なにを「捨てる」のですか     「捨てる」という霊性について(5)

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『断捨離』という有名な本があります。これはこれはものに満ち溢れて困っている人々に対する、みごとな整理術指南の本で脚光を浴びました。

本欄での「捨てる」という霊性 は、「清貧」無所有を生きたフランチェスコと、一切捨離の「聖」
一遍が自己の内面までの「断捨離」を実行した宗教生活を見るものです。そして、それが大事にしなければならない人間的な生き方であったことに注目したいと思っています。


得るために「捨てる」

生き方の根底となった「捨てる」ということで、この両者の生活の目立った特徴は、清貧・無所有と
一切捨離でした。持つべきはずのものを,また持つことによってものすべてを満たすよりも,もっとも大切なものを得るために「捨てる」べきものを捨てるという、価値観を変えるということは、彼らが生み出した大きな世界のはじまりでした。

アシジのフランチェスコが金銭に対して極端とまでいえる嫌悪を示し,金銭欲からの脱却を求めたり,社会から隔離され排除されていたハンセン病患者などの重病人や物を乞う人びと、盗賊たちにまで与えた好意や奉仕,さらには、すべての人に「平和の挨拶」を持ち運んだのは、人々にもっとも大切なものを知ってほしかったからです。

同じように一遍が、癒しを望んでいるハンセン病患者やさげすまれていた乞食・非人たちを助け,女性をはじめ救いを求めているあらゆる階層の人々に配慮して,諸国に念仏を勧める遊行の旅を続けたのも、フランチェスコの熱意と変わることがありませんでした。

社会で彼らが行った行為は、「すべての人が、神の国に迎えられている」、また「生きとし生けるものは、阿弥陀仏の救いを受ける」と、この世でも来世でも平和と安楽があるというメッセージを送り続けることでした。

       ここで、「平和」ということを考えてみたいと思います。

「平和」とは単に戦争や争いのない状態だけではなく「欠けたものがない状態」「神の恵みに満たされている状態」を意味しています。もちろん現代において政治的紛争や武力衝突のない状態はなくてはならないことです。不正な力によって平穏さが保たれているような状態は「平和」とはいえません。

金融工学によってマネーが最大の価値として求められ,社会や人々の心を壊すような社会の中で人間の幸福な状態はあり得ません。生存すら脅かされ、人間としての自由や権利を奪われるような国家の状態は、決して許されることではないでしょう。地上での正義や弱者への配慮にもとづく「平和」が、未来の「平和」につながるためにも発想を転換し,価値観を変えることが求められます。

ここでまた、あらためて「平和」ということの、さらに深い意味を考えてみなければなりません。
これから、そのことにさらに近づいていきたいと思っています。


《シャンティ・平和!》


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by francesco1hen | 2011-04-25 22:53 | Comments(0)
2011年 04月 21日

「捨てる」という霊性について(1) はじめのご挨拶

拙著 家田足穂『「捨てる」という霊性 聖フランチェスコと一遍上人』(オリエンス宗教研究所)が、今もネットの書店で、次のような二つの文章で紹介されています。

ただひたすらに「捨てること」で真の幸福を求め続けた聖フランチェスコと一遍上人。金銭を得ることが目的化し,あくなき所有を繰り返しながらも心が満たされることのない現代にあって「清貧の聖人」フランチェスコと「捨聖」一遍の霊性は我々に新たな希望を指し示す。

徹底した清貧に生きた修道者、聖フランチェスコと鎌倉新仏教の一つ時宗の開祖,一遍上人の人となりを残された資料から浮かび上がらせ,現代に生きる私たちに「捨てる喜び」という新たな価値観を呈示する。

ここで「霊性」という言葉は、宗教的生き方,または、宗教的生活という意味を持っていますが、もっと広く深い意味はこの「ブログ」を読み進めていくうちに解ると思います。

これからの「ブログ」では,本の中の内容を少し柔らかく加工して皆さんにお伝えしようかと思っています。では,またお目にかかります。


《シャローム・平安!》を。

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アシジの聖フランチェスコ



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時宗の開祖 一遍上人
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by francesco1hen | 2011-04-21 16:03 | Comments(0)