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2011年 04月 23日

「清貧の聖人」フランチェスコと「捨聖」一遍           「捨てる」という霊性について(3)

前回末尾の「シャンティ・寂静」は、これもサンスクリット語です。寂静が仏教で使われている訳語です。シャンティの現代語訳は「平和」です。理解し難い仏教用語も、実は平易に受けとめることができるのです。次のこともそれを示しています。

寂静は、釈迦が悟りをひらいた境地「涅槃(ニルウァーナ)」と同じ意味です。このニルウァーナは、中村 元博士によって「絶対の安らぎ」と現代語に訳されています。

《シャンティ!》はヨガの修行の前に三回唱えられています。心の安らぎに集中するためでしょう。


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念仏賦算をする一遍上人

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フランチェスコの最初の肖像画


「捨てる」という霊性は語り始めます。

十三世紀の西欧と日本は、政治や社会の状況や宗教界でさまざまの問題を抱えていた激動の時代でした。そしてそれぞれの時代の中から現れたアシジの聖フランチェスコは「清貧の聖人」として、一遍は「捨て聖」として、彼らの属していた社会に重大な影響を及ぼした人物でした。

この傑出した宗教者であった二人がわれわれの注目を惹くのは,彼らがほぼ同時代に生き,宗教と文化の異なる中で宗教生活と行動が非常にたくさんの似た側面をもった人物であったことです。

この二人の相似の部分は,すべてを捨てた清貧・捨棄の徹底性と完全な自己放棄と超越的な存在への一体化・絶対帰依であると言えます。

十三世紀という西欧と日本がまったく関係を持たなかった時代に,このような人物がいたという事実には驚きます。このことはまた注目に値します。

フランチェスコとその兄弟たちは,西ヨーロッパの多くの人々一人ひとりに「平和の挨拶」を届け、
彼らの生きた時代を新しい時代へと変え始めていました。その一方、わが国では、一遍と彼に帰依した「時衆」たちが、全国各地に足を運んで念仏札を配り、「踊り念仏」によってあらゆる階層の人々に衝撃的な心の喜びを与えていました。

現代世界で人々は、科学や文明が進歩すれば人間は幸せになるということに疑問を抱いています。 

その我々にとって、フランチェスコや一遍が「捨てること」によって求めえた「真の幸福」とはどのようなものであったかを知ることは、たいへん大事なことではないかと思います。


おわりにも、皆様に《シャローム・平安!》の挨拶をおくります。








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by francesco1hen | 2011-04-23 17:17 | Comments(0)


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