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2011年 04月 25日

なにを「捨てる」のですか     「捨てる」という霊性について(5)

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『断捨離』という有名な本があります。これはこれはものに満ち溢れて困っている人々に対する、みごとな整理術指南の本で脚光を浴びました。

本欄での「捨てる」という霊性 は、「清貧」無所有を生きたフランチェスコと、一切捨離の「聖」
一遍が自己の内面までの「断捨離」を実行した宗教生活を見るものです。そして、それが大事にしなければならない人間的な生き方であったことに注目したいと思っています。


得るために「捨てる」

生き方の根底となった「捨てる」ということで、この両者の生活の目立った特徴は、清貧・無所有と
一切捨離でした。持つべきはずのものを,また持つことによってものすべてを満たすよりも,もっとも大切なものを得るために「捨てる」べきものを捨てるという、価値観を変えるということは、彼らが生み出した大きな世界のはじまりでした。

アシジのフランチェスコが金銭に対して極端とまでいえる嫌悪を示し,金銭欲からの脱却を求めたり,社会から隔離され排除されていたハンセン病患者などの重病人や物を乞う人びと、盗賊たちにまで与えた好意や奉仕,さらには、すべての人に「平和の挨拶」を持ち運んだのは、人々にもっとも大切なものを知ってほしかったからです。

同じように一遍が、癒しを望んでいるハンセン病患者やさげすまれていた乞食・非人たちを助け,女性をはじめ救いを求めているあらゆる階層の人々に配慮して,諸国に念仏を勧める遊行の旅を続けたのも、フランチェスコの熱意と変わることがありませんでした。

社会で彼らが行った行為は、「すべての人が、神の国に迎えられている」、また「生きとし生けるものは、阿弥陀仏の救いを受ける」と、この世でも来世でも平和と安楽があるというメッセージを送り続けることでした。

       ここで、「平和」ということを考えてみたいと思います。

「平和」とは単に戦争や争いのない状態だけではなく「欠けたものがない状態」「神の恵みに満たされている状態」を意味しています。もちろん現代において政治的紛争や武力衝突のない状態はなくてはならないことです。不正な力によって平穏さが保たれているような状態は「平和」とはいえません。

金融工学によってマネーが最大の価値として求められ,社会や人々の心を壊すような社会の中で人間の幸福な状態はあり得ません。生存すら脅かされ、人間としての自由や権利を奪われるような国家の状態は、決して許されることではないでしょう。地上での正義や弱者への配慮にもとづく「平和」が、未来の「平和」につながるためにも発想を転換し,価値観を変えることが求められます。

ここでまた、あらためて「平和」ということの、さらに深い意味を考えてみなければなりません。
これから、そのことにさらに近づいていきたいと思っています。


《シャンティ・平和!》


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by francesco1hen | 2011-04-25 22:53 | Comments(0)


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