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2011年 05月 04日

「清貧の聖人」と「捨聖」が、見た世界は・・・          「捨てる」という霊性について(7)


同じ心の眼で眺めた神秘的な世界

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興願僧都と呼ばれている人に問われて、書き送った手紙の中で一遍は次のように強調しています。
 
 「ただ愚かなる者の心に立ちかえリて」する念仏、一切の事をすてて申す念仏こそが、阿弥陀如来の救いの心にかなうのであり、その念仏によって仏我一如の世界に至るのである。そこでは、命あるすべてのもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音のすべてのものが念仏となり、阿弥陀如来の世を超えた大きな慈悲によって救われる。救われるのは人間だけではなく、衆生と全自然現象が時空を超えた念仏宇宙となっている。

と、一切を捨離し、自我まで捨てきった一遍には、宇宙に存在する一切のもの、森羅万象の念仏の響きが全体として聞こえていたのです。



一遍と同じように、清貧・無所有に徹し、自我まで捨てて完全に無力となったフランチェスコにとって、頼るべきものは神の恵みしかありませんでした。このような彼にとっては、自然界に存在するものすべてが「神の愛」の証明でした。神の愛は、フランチェスコが兄弟姉妹たちと呼びかけた自然界のすべての被造物に及ぶものでした。そして、「神の愛」に包まれる被造物の生き生きとした喜びの声が、フランチェスコが作った『兄弟太陽の賛歌』となったのでした。


無力になったフランチェスコは、「神の似像」として造られた自身も被造物であり、謙虚に全被造物と同列になって、宇宙における全被造物、大きな輝きである兄弟太陽、姉妹である月と星、兄弟である風と空気、雲と晴天とあらゆる天候、姉妹である水、兄弟である火、姉妹である母なる大地、色とりどりの草花を生み出す母と共に、神の恵みのうちに「いと高い、全能の、よい主」である神に、喜びと感謝の賛歌をささげることができたのです。


大きな輝き、太陽をはじめ全被造物とともに神の栄光と誉れを讃え、賛美したフランチェスコの明澄な心の境地は、一遍が「一切の事をすてて申す念仏」で示した念仏称名の究極の境地と同じではないでしょうか。



《絶対の安らぎ!》と《シャローム・平安!》を。









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by francesco1hen | 2011-05-04 23:06 | Comments(0)


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