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家田足穂のエキサイト・ブログ

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2011年 05月 05日

フランチェスコと一遍が出合った人びと              「捨てる」という霊性について(8)

13世紀イタリア社会の政治的対立と都市間の覇権争いや富への欲望が渦巻き、貧富の格差や社会的疎外がある中で,高位聖職者から貧しい人々にいたるまでキリストの福音を伝えるために、フランチェスコは彼らにどのように接したのでしょうか。

フランチェスコは謙虚に民衆が使う言葉で説教をしました。それを分らせるためには身振り手振り、
踊りや歌、音楽を用いても福音の心を伝えようとし、仲間の兄弟たちにもそうさせました。

また彼は、社会的現実と諸階層の中で弱く虐げられた者たちの側に身を置く事に心を決めていました。しかも彼らが来るのを待つのではなく、必要としている者たちのところへ自分から出かけていくのでした。

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病人を癒すフランチェスコ


都市、農村を問わず巡り歩き、男女を問わず出かけていったのです。フランチェスコが出合った人びとにかける言葉は、「神の平和があなたと共にありますように!」という平和の挨拶でした。これまでの教会の在り方の中で、救われず打ち捨てられていた貧しい人々への彼の積極的な働きかけは、これまでには見かけられなかった福音宣教の新しいあり方でした。

そして、このだれをも差別することなくイエスの福音を告げるというフランチェスコの働きかけは、
高位聖職者である司教に対しても変わることはありませんでした。


日蓮や一遍が活躍した鎌倉時代の文永・弘安の元寇は、わが国全体に及ぼす衝撃的な事件でした。
戦費や警備費の負担、異国警固番役などはご家人の財政破綻を招き、やがて元寇後のご家人社会の窮乏という事態になりました。社会的な動揺・不安は増大するばかりでした。

このような社会情勢の中で、一遍ら時衆の足跡は宿から市へ、市から寺社の門前、境内へ、あるいは、海路や海辺を歩くいたるところに記されています。一遍ら時衆の遊行は、このようなわが国の社会的・精神的動揺の中でたくましく、あるいは苦しい生活をしている人々と出合いながら続けられていったのです。

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人々に食事を施す一遍たち


一遍と同行を共にした時衆の念仏賦算の遊行は、それが行われた範囲の広さも驚異的ですが、重要なことは念仏札を受け念仏の救いを得たた人々が、この時代のあらゆる階層に及んでいたことです。


フランチェスコと一遍が出合った人びとは、当時の社会のあらゆる階層に行き渡っていたという点で
彼らが果たした宗教的役割は同じようなものであったと言えます。彼らの願いは、差別することなくすべての人々に「平和の挨拶」を伝え、南無阿弥陀仏の「念仏札」を配り歩くことでした。そしてそれは、あらゆる人々に大きな喜びを与えていたのです。


《シャンティ・寂静!》










by francesco1hen | 2011-05-05 19:59


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