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家田足穂のエキサイト・ブログ

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2011年 05月 11日

「平和の挨拶」に込められた願い                 「捨てる」という霊性について(9)

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病者を癒すフランチェスコ


フランチェスコとその兄弟たちは、社会のあらゆる階層の人々に「平和の挨拶」を送っていました。
聖職者や修道士、爵位をもっている貴族や騎士に対して、都市の有力者や住民、村の人々の男女にも同じようにまた、ハンセン病患者やさまざまな病人、貧しい人や山賊や盗賊にも「平和の挨拶」を送り続けてきました。

フランチェスコは、いかなるときも人々の和解や都市住民の平和の回復、都市内部の紛争の調停などあらゆるところで「神から与えられる平和」を願っていました。「神から与えられる平和」こそ、すべての人々に最も大切なものと考えていたからでした。

この平和・平安という言葉はヘブライ語で「シャローム」。この語の本来の意味は、健康・健全・充実・繁栄・充満・完全などです。最後の晩餐のときのイエスの別れの言葉は、「わたしはあなたたちに平安を残す。わたしの平安をあなたたちに与える」(ヨハネ福音書14・27)でした。この少し前に、イエスは真の「平安」について弟子たちに告げています。

「わたしが父の内におり、あなたたちがわたしの内におり、そして、わたしがあなたたちの内にいることを、その日、あなたたちは悟であろう」(ヨハネ14・20)。その日とは「天の国」(永遠の命)に入ったときのことです。

フランチェスコが、あらゆることに超えて望んでいたことは、すべての人々が「神の愛の招き」に応えて、「永遠の命」の内に入ることでした。

イエスの教えと足跡に従って、十字架上の五つの傷と同じ「聖痕」をうけてキリストと一致したように、天の国(神の国)で「神と一致すること」、すなわち神と完全に一つになる「愛の完成」は、フランチェスコの究極の願いであったのです。

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十字架の「キリストとの同化」を願っていたフランチェスコ「聖痕」を受ける


彼がいかなるときも、すべての人々に欠かさず「平和の挨拶」を呼びかけたのは、この切なる願いを込めていたからでした。


皆さんに《シャローム・平安!》を。








by francesco1hen | 2011-05-11 15:52


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