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2011年 05月 12日

「踊り念仏」に集う鎌倉時代の人々                「捨てる」という霊性について(11)

一遍の十六年間の遊行中に念仏札の賦算を受け、踊り念仏の法悦を経験した人々は、どのような階層の人びとであったでしょうか。『一遍聖絵』に描かれた人々の姿をつぶさに見ていくと、そこには鎌倉時代中期の社会層のあらゆる生活の姿がいきいきと描かれています。

聖戒がこれを記し、法眼円伊が画いた『一遍聖絵』の「市屋一遍聖道場之図」から踊り念仏の盛況を見てみます。京の都での念仏賦算が四十八日に及んだのは、一遍が追慕していた空也上人ゆかりの市屋道場に長く滞在したからです。

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『「捨てる」という霊性 聖フランチェスコと一遍上人』 本文から

 円伊が描いた『市屋一遍聖道場之図』での踊り念仏の場面も殊に出色の絵図である。中央に舞台造りの高床式の板屋が四方吹き抜けでまわりから見やすくなっている。その踊屋では中ほどに鉦鼓を打ち鳴らす一遍、念仏声明を唱え右回りに激しく踊る僧尼たち一同の足並みは揃い、舞踏としての形も整った様子である。

 高い踊屋の下や遠くから見上げている僧や男女、踊屋の近くまで乗り入れた絢爛たる貴顯の人々の牛車がところ狭しとひしめいている。その数、何と十一輛。車の中から眺める女性、車から降りて見ている姫君と侍女、白い被衣(うつぎ)の上臈(じょうろう)や市女笠を被った女性も多い、黒衣の僧、笠を差しかけた白衣の僧、頭巾姿の尼、褌姿に小袖の男が手に弓矢を持つのは狩場帰りに立寄ったものか、身分を示す烏帽子を着けた男たち、若い女性と会話を交わす若い僧、子連れの母親、左手の急造の桟敷から眺める見物人。そのまわりには、これまた集まる人目当ての酒肴を供する急ごしらえの店が並び、立ち寄ろうとする武士が数人、長髪の稚児を伴う白衣の僧と武士の姿も見られる。

 往来にも人々のにぎわいがあり、道場の脇には乞食・非人の群れ八、九人が描かれている。市屋道場の踊り念仏に集まってきた人々は、京中のあらゆる階層の人々の姿を示しているかのようである。
 
京極釈迦堂と市屋道場の「踊り念仏」はその頂点を示すものであった。その後の踊り念仏は『聖絵』
の詞書はなく、弘安九(一ニ八六)年、鉦や念仏の声が風に乗って聞こえるような淀のうえの(植野
現在の京都市伏見区)の「踊り念仏」の場面と正応ニ(一ニ八九)年、淡路の二の宮参詣のとき、社殿前の松林で行われた「踊り念仏」を絵図で伝えているだけである。


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二ノ宮社殿前の松林での「踊り念仏」




「ナマステ・南無!」










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by francesco1hen | 2011-05-12 17:28 | Comments(0)


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