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2011年 05月 18日

《兄弟太陽の賛歌》と 興願僧都への御返事 「捨てる」という霊性について(15)

むすびにかえて ー 聖フランチェスコと一遍上人の心と姿

清貧や捨棄に徹した二人が「捨てること」によって得たものが何であったかを見てきました。また、
フランチェスコや一遍に出合い「平和の挨拶」や「念仏札」を受けた人びとの姿も見てきました。
とは言っても彼らの姿のすべてが明らかになった訳ではなく、ここではそのごく限られた一部分で
しかありませんでした。

おわりに当たり、このすぐれた宗教者にもっと深く近づき知るよすがとして、フランチェスコがサン・ダミアーノの小屋の中で病苦と精神的な苦悩の中で作った『兄弟太陽の賛歌』(この賛歌は最初のイタリア文学と高く評価さています)、並びに、一遍が興願僧都に送った「消息法語」(念仏について一遍の最も深い思念を美しい散文で書いた手紙)を掲げて皆様に読んで頂こうと考えました。


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チマブーエが画き、最も真実に近いといわれるフランチェスコ像



   
     『兄弟太陽の賛歌』(Cantico di Frate Sole)

  高くましまし、いつくしみ深い全能の主よ。
  あなたには賛美と栄光と名誉、そしてすべての祝福があります。
  あなたはそれにふさわしいからです。
  あなたのみ名を呼ぶにふさわしいものは、
  この世にひとりもおりません。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。
  あなたがお作りになったすべてのものの賛美を受けてください。
  とくに私の兄弟、太陽の賛美を受けてください。
  太陽は昼を来させ、その昼の間、あなたは私たちに光を注いでくださいま
  す。
  太陽は美しい、大きな輝き。
  高くましますあなたのお姿は、太陽の中にうかがうことができます。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。私の姉妹、月と星の賛美を。
  あなたは空の中に、月と星を明るく美しくお作りになりました。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。私の兄弟、風の賛美を。
  大気と雲と晴れた空の賛美を。
  これらの兄弟のもとに、あなたはすべての生き物を養ってくださいます。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。私の姉妹、水の賛美を。
  水は役立ち、つつましく清らかです。

  賛美を受けてください、私の主よ。私の兄弟、火の賛美を。
  火を使ってあなたは夜を照らしてくださいます。
  火は美しく楽しく、勢いよく力強いものです。

  賛美を受けてください、私の主よ。
  私の姉妹、母親大地の賛美を。
  大地は私たちを育て、支え、たくさんのくだものを実らせ、
  綺麗な花と草を萌え出させます。
  
  賛美を受けてください、私の主よ。
  あなたへの愛ゆえにゆるし、
  病と苦しみに耐え忍ぶ者のために。
  しずかに平和をまもる者はしあわせです。
  いと高くまします主よ。そのひとたちは
  あなたから、栄冠を受けるからです。

  賛美を受けてください、私の主よ。
  私たちの姉妹、肉体の死の賛美を。

  生きるものはすべてこの姉妹の手から逃れらない。
  大罪を背負って死ぬものは不幸ですが、
  あなたの聖なる御旨を行いながら死ぬものは幸いです。
  第二の死にそこなわれることはもうありませんから。  
          (註「第二の死」とは、地獄に墜ちること)

  賛美しよう、歌をささげよう。
  感謝の歌をささげ、深くへりくだって、主に仕えよう。

                         
        ( [小川国夫訳] ゆるしと平和の節、筆者補訳)



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      一遍上人の風貌がよく現れている画像です。




    興願僧都、念仏の安心を尋ね申されけるに、書きてしめしたまふ御返事

 それ、念仏の行者用心のこと、しめすべきよし承り候。南無阿弥陀仏とまうす外、さらに用心もな  
 く、此の外に又示すべき安心(あんじん)もなし。諸諸の智者達の様々に立ておかるる法要どもの
 侍るも、皆諸惑に対したる仮初めの要文なり。されば、念仏の行者は、かようの事をも打ち捨てて、
 念仏すべし。
 「むかし、空也上人へ、ある人、『念仏はいかが申すべきや』と問ひければ『捨ててこそ』とばか
 りにて、なにとも仰せられず」と西行法師の選集抄に載せられたり。是誠に金言なり。
 念仏の行者は智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賎高下の道理をも捨て、地獄を恐る
 る心をも捨て、極楽を願ふ心をも捨て、又諸宗の悟りをもすて、一切の事を捨てて申す念仏こそ弥
 陀超世の本願にはかなひ候へ。
 かやうに打ち上げ打ち上げとなふれば、仏もなく我もなく、まして此の内に兎角道理もなし。善
 悪の境界皆浄土なり。外に求むべからず。厭ふべからず。

 よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。
 人ばかり超世の願に預かるにあらず。またかくのごとく愚老の申すことも意得にくく候はば、意得
 にくきにまかせて愚老が申すことをも打ち捨て、何ともかともあてがひはからずして、本願に任せ 
 て念仏したまふべし。

  念仏は安心して申すも、安心せずして申すも、他力超世の本願にたがふ事なし。弥陀の本願には
 欠けたる事もなく、あまれることもなし。此の外にさのみ何事をか用心して申すべき。ただ愚かな    
 る者の心に立ちかへりて念仏したまふベし。

 南無阿弥陀仏
                               一遍
  興願僧都




「捨てる」という霊性についてのシリーズはこれで終わります。


また、新しいブログでお目にかかります。


「神の平和が皆様に与えられますように!」「シャンティ・寂静!」(平和)


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ローマ スビアコの洞窟に描かれた青年フランチェスコ












  
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by francesco1hen | 2011-05-18 16:42 | Comments(0)


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