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2011年 06月 20日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(3)

財産を捨てハンセン病患者の中へ

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この絵は、アシジの聖フランチェスコ大聖堂上堂のジョット作《聖フランチェスコの生涯》(28面)
の中の「財産放棄」の場面です(1299年の制作)。

1205年秋か年末にフランチェスコが、サン・ダミアーノ聖堂の木の十字架の前で祈っていると「フランチェスコよ、壊れかけているわたしの教会を建て直しに行きなさい」という声を聞きました。彼は直ちにサン・ダミアーノ聖堂の修復にとりかかりました。修復費用を得るために家から商品の反物を持ち出し、その結果として父親との激しい衝突を引き起こし、街の司教裁判に臨むことになりました。

ここで、フランチェスコの「財産放棄」の宣言が行われました。自分が受け継ぐであろう莫大な財産を放棄し、愛する家族との縁を切り、世俗の栄誉への願望を捨てたのです。
フランチェスコの回心の年は、ここから始まります。1206年1月か2月のことです。


「遊行聖」一遍上人の肖像(3)

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この一遍上人立像彫刻は、京都・長楽寺にあるものです。像内銘によって応永二十七年(1420)
の康秀の作品と分りました。制作年の明らかな一遍彫像としては最古のものです。

再出家して8年目、蒙古襲来の気配が迫っていた文永八年(1271)春、信濃善光寺で、阿弥陀仏の救いを信じて浄土往生を願う心、すなわち「安心(あんじん)」を得ていらい、伊予に帰って窪寺で、さらに同国菅生の岩屋での修行で、俗縁捨離を決意しています。こののち伊予を出て、難波四天王寺をへて熊野に至り、その思想は徹底した捨棄から他力本願の念仏称名へと深められていきました(熊野成道1274)。
翌年建治元年から一遍の本格的な「遊行の旅」が始まります。
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by francesco1hen | 2011-06-20 11:14 | Comments(0)


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