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2011年 06月 20日

「断捨離」の本家 聖フランチェスコと一遍上人(4)

ポルチウンクラの大聖堂・「清貧の聖人」の誕生

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画像は、ポルチウンクラの大聖堂とその内部にある、フランチェスコが「決定的な回心」のきっかけとなった聖書の言葉を聞いた小聖堂です。大聖堂の彼方に見えるのはアシジの街の一帯。

1208年までにアシジの街の聖堂を修復したフランチェスコは、ポルチウンクラの聖堂で同年2月24日聖マチアスの祝日ミサで朗読された聖書の言葉(マタイ10・7−13)を聞いて、「決定的な回心」を体験しました。

キリストの清貧に倣って「神の国と悔い改め」を述べ伝える使命を覚悟したのです。出合うすべての人びとに「平和の挨拶」を告げる決心をしたのもこの時でした。

こののちフランチェスコと同志のベルナルドは、将来の生活指針を求め、聖書の三つの箇所を発見しました。その福音的勧告は、(1)財産放棄、(2)清貧・無所有、(3)自己放棄によるキリストへの従順の三つです。

同志が12名になるまでフランチェスコたちは、人びとに「平和の挨拶」を告げ、福音書の教えを分りやすい言葉の説教で、男にも女にも伝えました。

このようにポルチウンクラは「清貧の聖人」の誕生の地となったのです。


「熊野成道」他力本願の深意をを領解(げ)する

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絵図は『一遍聖絵』第三巻「熊野那智に詣でる」。右には、那智の滝が見られます。
同、第三巻「熊野本宮証誠殿で山伏姿の熊野権現(本地の阿弥陀仏)から神託を授かる」(中央)。

文永十一年(1274)春、一遍智真は妻超一、娘超ニ、従者念仏房の同行(どうぎょう)三人を伴って故郷伊予を旅立ました。一行は四天王寺から高野山をへて聖地熊野に参詣しています。
本宮証誠殿では、熊野権現の神託を授けられたのです。

その神託の意味は、智真(一遍)に衆生救済の力があると思ってはならない、救うのは阿弥陀如来である。智真はただ相手の信不信や浄不浄にかかわらず、念仏札を配ればよい。配られた札を手にした人が往生できる、という教えでした。

一遍智真はこのとき初めて「他力本願の深意」を悟ったのです。彼の阿弥陀仏への絶対帰依の心は不動のものとなりました(熊野成道)。そして、智真の名を一遍と改めて、いよいよ本格的に念仏を勧める「遊行の旅」に出かけることになったのです。本来の「捨て聖」一遍の誕生です。
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by francesco1hen | 2011-06-20 18:00 | Comments(0)


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