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2011年 08月 14日

(9)諸宗教の究極目標「神と一つになる」(その2)

ギリシア神話を信じていた人たちにとって、神々は理想の存在でした。神々はアタナトイ・不滅であると考えられ、人間はタナトイ・死すべきものであり、その区別(運命)は厳格に守られていました。

ベレロポンテスは、神々に寵愛され天馬ペガソスを与えられ、怪獣キマイラなどを退治して有頂天になり、神々に列しようとペガソスを駆って天空に昇り、神域に入る直前にペガソスは力を失い彼は天空から墜落してアレイオンの野原に落ち、気が狂い不具者となって世界を放浪しなければならない運命に定められました。

にもかかわらず、アリストテレスは「人間はできるかぎり不滅(神々のよう)であらねばならない」と言っています。実はこのことには、古代ギリシア人があの素晴らしい文化を作り上げた精神であったと言われています。人間が極限まで努力したところに、ギリシア文化は生まれたのでした。

ソクラテスは「できるだけ魂をすぐれたものにしなければならない」と言っています。その弟子プラトンは「人間の情熱・エロースは最高の善であり美であるイデアに限りのない憧れをもっている」といっています。絶えず向上していくという精神は、現代のヨーロッパ人の共有の遺伝子ともなっています。

人間のエロースが、神的存在であるイデアに限りなく憧れ続けても、イデアはこれに応えてくれる人格的存在ではありません。最高の存在ではあるけれどイデアは非人格的存在です。

いっぽう、古代ギリシアには、神々と人間を区別するというオリンポスの神々のギリシア宗教とはちがう性格をもった、オルペウス教とディオニソス教という宗教があります。この両者は、ともに「神との合一」を目指す宗教です。

オルペウス教について話しますと、その名前が「アポロンの語り手」という意味をもつピタゴラス(前6・5世紀)がいます。彼はオルペウス教の信奉者であり、この宗教を哲学的な高さに導いた人物です。

南イタリア・クロトンにいたピタゴラスは、この秘儀宗教の禁欲と苦行の重視に対して、天体から聞こえてくる音楽による魂の調和と秩序によって魂の浄化がおこなわれ、もともと魂があったところ、神のもとに帰ることができる、と考えました。この宗教による「救い」とは、魂の肉体からの解放と輪廻からの解脱による「神と人の合一」です。

ディオニソス教で中心になるのはディオニソスです。ディオ・ニソスは、《ゼウスの息子》という意味で、「神から生まれた子」であると同時に、人間セメレーに孕まれ「人間の子」として生まれたという「二重の誕生」の子です。つまり、神から人間になった存在であり、逆にいうと、人間が神になりうる可能性を持っているという象徴です。

ディオニソス教の秘儀の犠牲として用いられるものは、雄牛、または、山羊ですが、これはディオニソスの神格の表象、神体そのものと信じられ、信徒はその生肉を食べることによって神の力を身体に取り入れ、神の不死・不滅に与ろうとした、と言われています。葡萄酒・音楽・舞踊・供儀の肉は、
人間が祭儀を通して「神と一体化」するために欠かすことのできない聖なるものであったのです。

ギリシア神話の宗教とは違って、オルペウス教もディオニソス教もともに「神と人の合一」「神との一体化」を求めた宗教であったようです。

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ヴァンジ彫刻庭園美術館にて
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by francesco1hen | 2011-08-14 19:09 | Comments(0)


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