2018年 05月 29日
[ 三は位一体の神 ] について 旧約聖書の時代に、天地の創造主「神ヤーウェ」は、「主」(アドナイ)と呼ばれていました。 この神は、父性的な神として知られていましたが、神の子イエスが福音を宣べ伝える言葉のなかで、ヤーウェの本当の「名」を明らかにしました。「父と子と聖霊」(父と子と聖霊の交わり)が神の名です。《名》は、そのものの本質を表わすものといわれます。 「父と子と聖霊」の神は、のちに「三位一体の神」といわれるようになりました。 (三重のXpi=キリストは、三位一体の神を示し、鳩は十二使徒、周りは空の星) 結論的にいえることは、神が「三位一体」であることを「信じる」ことはできるが、これを完全に「説明する」ことはできない、ということです。 三位一体の神の「神秘」は人知の限界を超えることで、「信じる」ことによってのみ知ることができることです。 [ 晩餐の夜のふしぎな言葉 ] (彼の作品はこのエスキースのみで、完成作を遺していません) 最後の晩餐のとき、イエスは弟子たちにつぎのことを話しました。 「わたしが父のうちにおり、あなた方がわたしのうちにおり、そして、わたしがあなた方のうちにいることを、その日、あなた方は悟であろう」(ヨハネ福音書 14・20)。 その日というのは、神の国に入った(神の命に入った)ときのことです。このイエスの言葉は、すぐには理解し難いことばです。 〈イスラーム〉という言葉があります。その意味は、アラーへの「帰依」と一般に知られていますが、その深い意味は「神アラーとモスレム(信者)の円融無障の一致」で、完全に一つに融け合っている状態をしめす言葉です。 このように、人は神の国に入ったとき、父と子とすべての人々が、聖霊の交わりのなかで「完全に一つ」になっていることを悟るのです。 そして、その夜イエスは、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人をお愛しになり、わたしたちはその人のところに行き、ともにそこに住む」(ヨハネ 14・23)とまで語りました。 [ イエスはまことの〈ぶどうの木〉] ヨハネによる福音書の15章は、心の温まる美しいことばのある箇所です。なかでもつぎの言葉は「こころ」に響いてきます。 「わたしはぶどうの木であり、あなた方はその枝である。人がわたしに留まっているなら、その人は多くの実を結ぶ。 ・・・・・ あなた方がわたしの掟を守るなら、わたしの愛に留まることになる。わたしが父の掟を守って、その愛に留まっているのと同じである。わたしがこれらのことをあなた方に話したのは、わたしの喜びがあなた方のうちにあり、あなた方の喜びが満ち溢れるためである」(ヨハネ 15・5. 10-11)。 [ ゲッセマネの園で祈る ] 晩餐の夜、十字架の受難がせまるなかゲッセマネの園で、イエスは自分自身と弟子たち、および、イエスを信じる者たちのために、父である神に祈りました。この祈りのなかで、ヨハネによる福音書14章20節の「ことば」が、明らかになります。 「どうか、すべての者を一つにしてください。父よ、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らのうちにおり、あなたがわたしのうちにおられるのは、彼らが完全に一つになるためです」(ヨハネ 17・21-23)。 この父である神へのイエスの祈りは、わたしたちの大きな希望と喜びです。さらにつづく祈りは、それ以上に喜びを大きくするものです。 「父よ。わたしにくださった人々が、わたしのいる所に、ともにいるようにしてください。世界が造られる前から、あなたがわたしを愛して、お与えくださった、わたしの栄光を彼らに見せるためです。 ・・・・・ わたしを愛してくださったあなたの愛が、彼らにあり、また、わたしも彼らのうちにいるようになるためです」(ヨハネ 17・24. 26.)。 ゲッセマネの園で祈るイエス (エル・グレコ) わたしたちは信仰と愛によって、神の子イエスと「一つ」になり、父である神からも愛されます。わたしたちは、父と子と聖霊の交わりのなかで「一つの愛」となるからです。 [ 父と子と聖霊のみ名に入る ] 〈 円 〉にかぎりなく近い〈 八角形 〉 八角形は、限りなく円(完全)に近いかたちです。八角形は、円の「天」と四角の「地」の中間のかたちと言われます。 それは天の神の完全(神の国)に憧れる象徴として八角形の「鍾塔」になりました。また、父と子と聖霊のみ名に入る洗礼を受ける「洗礼聖堂」の形になりました。 八角形の「洗礼聖堂」 と 八角形の「鐘塔」 (ミラノの美しいロマネスク聖堂) イエスは十字架の受難の「死」から、三日目に「復活」し、40日後に「昇天」しました。 地上から離れるとき、弟子たちに告げました。 「あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。父と子と聖霊のみ名に入る(沈める)洗礼を授け、わたしがあなた方に命じたことを、すべて守るように教えなさい」(マタイ 28・19-20)。 「神の命」のなかに入る洗礼を受け、キリストを信じる者はすでに「永遠の命」を持っていることになります。そして、この世を終わって「神の命」に入るとき、 「わたしたちはみな、鏡のように主(神)の栄光を映し出しながら、主の霊(聖霊)によって栄光から栄光へと、主(神)と同じ姿に変えられていくのです」(コリント人への第二の手紙 3・18)と 使徒パウロは記しています。 「神の命」に入るとき わたしたちは、神と「完全に一つ」になって、神の栄光のなかで輝くのです。
by francesco1hen
| 2018-05-29 16:48
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人間は、いいものに出合ったり、文化や宗教の深い意味を知ったり、よい事に出合ったりすると、それを共有したり、それを人に伝えて喜びあったりしたくなります。「宜有千萬」(よろしく千萬あるべし)、《 シャローム・平安!》を あなたに。 by francesco1hen カテゴリ
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