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家田足穂のエキサイト・ブログ

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2018年 05月 29日

神の栄光のなかで輝くわたしたち 「神と一つになる」

[ 三は位一体の神 ] について

旧約聖書の時代に、天地の創造主「神ヤーウェ」は、「主」(アドナイ)と呼ばれていました。

 この神は、父性的な神として知られていましたが、神の子イエスが福音を宣べ伝える言葉のなかで、ヤーウェの本当の「名」を明らかにしました。「父と子と聖霊」(父と子と聖霊の交わり)が神の名です。《名》は、そのものの本質を表わすものといわれます。


「父と子と聖霊」の神は、のちに「三位一体の神」といわれるようになりました。

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初期キリスト教時代の「三位一体の神」

    (父の懐に抱かれた神の子キリストと聖霊を表象する鳩が描かれています)


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           北イタリアにあるアルベンガ洗礼堂に描かれた「三位一体の神」
   
       (三重のXpi=キリストは、三位一体の神を示し、鳩は十二使徒、周りは空の星)



 結論的にいえることは、神が「三位一体」であることを「信じる」ことはできるが、これを完全に「説明する」ことはできない、ということです。

 三位一体の神の「神秘」は人知の限界を超えることで、「信じる」ことによってのみ知ることができることです。




[ 晩餐の夜のふしぎな言葉 ]

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   レンブラント 「最後の晩餐」

    (彼の作品はこのエスキースのみで、完成作を遺していません)



最後の晩餐のとき、イエスは弟子たちにつぎのことを話しました。

「わたしが父のうちにおり、あなた方がわたしのうちにおり、そして、わたしがあなた方のうちにいることを、その日、あなた方は悟であろう」(ヨハネ福音書 14・20)。

その日というのは、神の国に入った(神の命に入った)ときのことです。このイエスの言葉は、すぐには理解し難いことばです。


〈イスラーム〉という言葉があります。その意味は、アラーへの「帰依」と一般に知られていますが、その深い意味は「神アラーとモスレム(信者)の円融無障の一致」で、完全に一つに融け合っている状態をしめす言葉です。

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             モスクの天井のイメージは〈イスラーム〉のようです。


このように、人は神の国に入ったとき、父と子とすべての人々が、聖霊の交わりのなかで「完全に一つ」になっていることを悟るのです。


そして、その夜イエスは、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人をお愛しになり、わたしたちはその人のところに行き、ともにそこに住む」(ヨハネ 14・23)とまで語りました。




[ イエスはまことの〈ぶどうの木〉]

ヨハネによる福音書の15章は、心の温まる美しいことばのある箇所です。なかでもつぎの言葉は「こころ」に響いてきます。


「わたしはぶどうの木であり、あなた方はその枝である。人がわたしに留まっているなら、その人は多くの実を結ぶ。 ・・・・・ 

あなた方がわたしの掟を守るなら、わたしの愛に留まることになる。わたしが父の掟を守って、その愛に留まっているのと同じである。わたしがこれらのことをあなた方に話したのは、わたしの喜びがあなた方のうちにあり、あなた方の喜びが満ち溢れるためである」(ヨハネ 15・5. 10-11)。


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      ローマ・サン・サンクリメンテ教会の「キリストはぶどうの木」




[ ゲッセマネの園で祈る ]

晩餐の夜、十字架の受難がせまるなかゲッセマネの園で、イエスは自分自身と弟子たち、および、イエスを信じる者たちのために、父である神に祈りました。この祈りのなかで、ヨハネによる福音書14章20節の「ことば」が、明らかになります。


「どうか、すべての者を一つにしてください。父よ、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らのうちにおり、あなたがわたしのうちにおられるのは、彼らが完全に一つになるためです」(ヨハネ 17・21-23)。


この父である神へのイエスの祈りは、わたしたちの大きな希望と喜びです。さらにつづく祈りは、それ以上に喜びを大きくするものです。


「父よ。わたしにくださった人々が、わたしのいる所に、ともにいるようにしてください。世界が造られる前から、あなたがわたしを愛して、お与えくださった、わたしの栄光を彼らに見せるためです。 ・・・・・

 わたしを愛してくださったあなたの愛が、彼らにあり、また、わたしも彼らのうちにいるようになるためです」(ヨハネ 17・24. 26.)。

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               ゲッセマネの園で祈るイエス (エル・グレコ)


わたしたちは信仰と愛によって、神の子イエスと「一つ」になり、父である神からも愛されます。わたしたちは、父と子と聖霊の交わりのなかで「一つの愛」となるからです。




[ 父と子と聖霊のみ名に入る ]

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                〈 円 〉にかぎりなく近い〈 八角形 〉


八角形は、限りなく円(完全)に近いかたちです。八角形は、円の「天」と四角の「地」の中間のかたちと言われます。

それは天の神の完全(神の国)に憧れる象徴として八角形の「鍾塔」になりました。また、父と子と聖霊のみ名に入る洗礼を受ける「洗礼聖堂」の形になりました。


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        八角形の「洗礼聖堂」 と 八角形の「鐘塔」 (ミラノの美しいロマネスク聖堂)



イエスは十字架の受難の「死」から、三日目に「復活」し、40日後に「昇天」しました。 地上から離れるとき、弟子たちに告げました。

「あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。父と子と聖霊のみ名に入る(沈める)洗礼を授け、わたしがあなた方に命じたことを、すべて守るように教えなさい」(マタイ 28・19-20)。


「神の命」のなかに入る洗礼を受け、キリストを信じる者はすでに「永遠の命」を持っていることになります。そして、この世を終わって「神の命」に入るとき、


「わたしたちはみな、鏡のように主(神)の栄光を映し出しながら、主の霊(聖霊)によって栄光から栄光へと、主(神)と同じ姿に変えられていくのです」(コリント人への第二の手紙 3・18)と 使徒パウロは記しています。


  

 「神の命」に入るとき わたしたちは、神と「完全に一つ」になって、神の栄光のなかで輝くのです。




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by francesco1hen | 2018-05-29 16:48


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