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2018年 07月 13日

イザヤ書53章の「ヤーウェの苦難のしもベの歌」

イザヤ書53章の「ヤーウェの苦難のしもベの歌」は、旧約聖書におけるメシア預言の頂点となっています。

この歌が「文学の奇跡」といわれる理由は、イザヤ預言者が十字架の下に立って、磔刑のイエスを観ていたかのようにイエスの姿を描いていることです。

これは今まで、いずれの画家も描きえなかったイエスの受難の真実のすがたを、イザヤが「詩文のかたち」で書き残しているのことから「文学の奇跡」といわれるのです。


   
    「ヤーウェの苦難のしもベの歌」 (52・13 ー 53・12)


52・13 見よ、わたしの僕は栄える。
     はるかに高く上げられ、あがめられる。
   14 かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように
     彼の姿は損なわれ、人とは見えず
     もはや人の子の面影はない。
   15 それほどに、彼は多くの民を驚かせる。
     彼を見て、王たちも口を閉ざす。
     だれも物語らなかったことを見
     一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。

53・1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じようか。
     主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

   2 渇いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
     この人は主の前に育った。
     見るべき面影はなく
     輝かしい風格もなく、好ましい容姿もない。

   3 彼は軽蔑され、* 人々に見捨てられ * *
     多くの痛みを負い、病を知っている。
 
                   ( * マルコ 10・34. ルカ 18・31-33を見よ)
                    ( * * マタイ 2631. ヨハネ 16・32 を見よ)
                    
                      (《メサイア》第23曲の歌詞の前半)

    わたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

  4 彼が担ったのはわたしたちの病
    彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
    わたしたちは思っていた。
    神の手にかかり、打たれたから、 彼は苦しんだ、と。

  5 彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり
 
    彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎めのためであった。
    彼の受けた懲らしめによって、
    わたしたちに平和が与えられ      
                       (《メサイア》第24曲の歌詞)
    
    彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

                       (《メサイア》第25曲の歌詞)
  6  わたしたちは羊の群れ
    道を誤り、それぞれの方角に向かって行った 。
                      
                        (《メサイア》第26曲の歌詞)


    そのわたしたちの罪をすべて *     ( * マタイ 26・31. 26・56 を見よ)
    主は彼に負わせられた。
  7 苦役を課せられて、かがみ込み *
                 ( * マタイ 26・67-68 と 27・27-30 を見よ )

    彼は口を開かなかった。*  
                  ( * マタイ 26・63 と ヨハネ 19・ 9 を見よ)

    屠り場に引かれる小羊のように *          ( * 黙示録 5・6 を見よ)
    毛を切る者の前にもの言わない羊のように
    彼は口を開かなかった。

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  8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。*

       ( * ヨハネ 18・3-11./ 18・19-24./ 18・28-19./19・28-37 を見よ)

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        彼の時代の誰が思い巡らせあであろうか。

        わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
        命ある者の地から断たれたことを。 
                          (《メサイア》第31曲の歌詞)

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      ジョット   〈ピエタ 聖母マリアの悲しみ〉


    9 彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに *
                     ( * ヨハネ 18・38. / 19・16 を見よ)

      その墓は神に逆らう者と共にされ *
               ( * マタイ 27・33-38/ ヨハネ 19・16-18 を見よ)
      富める者と共に葬られた。*       ( * マタイ 27・59-60 を見よ)

   10 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
      彼は自からを償いの捧げ物とした。
      かれらは、子孫が末永く続くのを見る。
      主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる。

   11 彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。
      わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
      彼らの罪を自ら負った。

   12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
      彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
      彼が自らをなげうち、死んで
      罪びとのひとりに数えられらからだ。*
                 ( * マルコ 15・26-27. と ルカ 22・37 を見よ)

      多くの人の過ちを担い
      背いた者のために執り成しをしたのは
      この人であった。


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     ルオー  〈 キリストの顔 〉
           

                        *


このイザヤ53章の「ヤーウェの苦難のしもベの歌」を、使徒パウロは次のように要約しています。


キリストは神の身でありながら、神としてのありかたに固執しようとはせず、かえって自分をむなしくして、しもベの身となり、人間と同じようになった。

その姿はまさしく人間であり、死にいたるまで十字架の死にいたるまで、へりくだって従う者のとなった。

それゆえ、神はこの上なく彼を高め、すべての名にまさる名を惜しみなくお与えになった。
こうして、天にあるもの、地にあるもの、地下にあるものはすべて、イエスの名においてひざをかがめ、
すべての舌は「イエス・キリストは主である」と表明し、父である神の栄光を輝かす。

                      (フィリピの信徒への手紙 2・6 -11)


このフィリピの信徒への手紙で、「死にいたるまで、十字架の死にたるまで、へりくだって従う者となった」と要約された、イザヤ53章7-10節のメシア受難の描写は、まさにイエスの受難の真相に迫るものです。

イザヤ書53章の「ヤーウェの苦難のしもベの歌」_b0221219_17175524.jpg
ベラスケス イエスの死



     イザヤ53章に「主の僕の苦難の後の栄光」という標題が付けられている聖書の訳もあります。


    
 *




   





by francesco1hen | 2018-07-13 12:40


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