2018年 09月 12日
「無常という事」 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 「無常」は昔のことだけではなく、現代においても世は「無常」です。 小林秀雄は「無常という事」(1942)というエッセイで、「現代人は、鎌倉時代のなま女房(若い女)ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」と警告しています。 「常なるもの」は、どこにあるのでしょうか。 聖書につぎの言葉があります。 「天地は過ぎ去る。しかし、わたしの言葉は過ぎ去ることがない」(マタイ 13・31)。 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通ってでなければ、だれも父である神のもとに行くことはできない」(ヨハネ 14・6)。 三位一体の神こそ、「常なるもの」・真理であり、永遠の命です。 父と子と聖霊の三位一体の神が、「常なるもの」です。 人間に必要な「平安と平和」ー 幸福 釈迦が悟りを開き、その境地で死の世界に入ったようすを表わす絵を「仏涅槃図」といいます。 釈迦の入滅(死)を「涅槃・寂静」(漢訳)ともいいます。サンスクリット語で〈ニルヴァーナ〉・〈シャンティ〉。その現代語訳は「絶対の安らぎ」と「平和」です。 悟りの境地に入った釈迦の死は、絶対の安らぎと平和でした。 人間にとって「平和・平安」は、常に必要なものです。 最後の晩餐の夜イエスは、「わたしはあなた方に平安を残す。わたしの平安をあなた方に与える」と告げました。ここで「平安」は、真の幸福のことです。 まことの幸福とは、完全に「神と一つになる」ことです。 「極楽」と「天国」 ー 究極の幸福 ー 現代の日本では「極楽」は、死語のようです。一般に抵抗なく使われているのは「天国」です。 「極楽」(スクーヴァティ)の意味は「幸いのあるところ」です。 「天国」は、「天の国」または「神の国」ともいいます。究極の幸福のあるところです。その「神の国」とは、来世で人が完全に「神と一つになる」ことです。それが「究極の幸福」です。 「神の栄光の中にある」ということであるとも言えます。 *
by francesco1hen
| 2018-09-12 10:53
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人間は、いいものに出合ったり、文化や宗教の深い意味を知ったり、よい事に出合ったりすると、それを共有したり、それを人に伝えて喜びあったりしたくなります。「宜有千萬」(よろしく千萬あるべし)、《 シャローム・平安!》を あなたに。 by francesco1hen カテゴリ
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